日本船舶海洋工学会 関西支部 海友フォーラム K シ ニ ア
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「沖縄の海」 ― 自然・環境から潜水艦戦まで

2010.08  岡本 洋

 2010.07.29 川重・海友館新館で開催の船舶海洋工学会、「海洋フォーラム 第11回懇談会」にて Power Point 約60駒を用いて発表した。 ここでは、説明文を加えて報告書の形に纏めた(Power Point Slideを
一部加筆のうえ引用)。 口頭発表とは順序を一部組み替えて、内容を次のように3部にまとめた。
   1.沖縄の海、    2.沖縄の海の文化、    3.潜水艦戦争

T. 沖縄の海
1.沖縄の地政学的位置

 「海友フォーラム」的観点から、沖縄の地政学的要点を第1図のように纏めた。 第図2、3 からは、その内容を概念的に知る事ができる。
 さてここでは、「沖縄の海」を、次の3点から考えることにする。 即ち 1.海洋レジャー、 2.海洋温暖化、 3.東シナ海ガス田 である。

第1図  沖縄の地政学的位置など
1.1. 海洋レジャーとしての沖縄の海 

 沖縄の海は美しい。
 自然と変化に富んだ海岸線、世界的に高い透明度の海中世界の人気は極めて高い。

 木村伊兵衛賞、土門拳賞などを多数受賞している有名な水中写真家中村征夫(65)は次のように言って、慶良間の海を絶賛している。
「慶良間の海ならば何回もぐったかわからない。――その海に潜るたびに、あの果てしない珊瑚と透光と魚の群れと波の揺らぎを、この惑星でもっとも美しい光景とおもった。――明日にも又慶良間の海に潜りたい(National Geographic 2010.8 日本語版)」。

第2図 沖縄の地政学的位置
 慶良間の海は世界レベルの本物らしい。 今回の懇談会で、私に先立って講演していただいた外山さんがダイビングの為に既に30年? 近くも座間味島(慶良間諸島)に通いつめているのも納得できる。

第3図 沖縄の地政学的位置 

第4図 慶良間諸島(円内) と座間味島
1.2 定年後宮古島に移住したS君
                  
 川重神戸の船舶・基本設計から岐阜工場を経て昨年定年退職した彼は、今年初め、年来の計画を実現させて、家族とともに沖縄・宮古島に移住した。 ヨットマンである彼は、早くから之を計画していた由で、宮古ではペンションを経営し海をまじかにして沖縄の生活を満喫しているという。 息子さんも一緒に移られて、自然派の生活を成功させているという。 今回、沖縄の海にまつわる情報を聞くことが出来た。

 ほかにも、小説家を初め、かなりの数の沖縄礼賛派の移住話をきく。 沖縄県は長寿の県として知られている。 近年は九州の各県の人口が減少しているのに反して、沖縄県はひとり1970年から着実に人口増加を続けている。 S君の家族もその中に入るのであろう。              第5図 沖縄と九州各県の人口動態(万人) 沖縄県、政府資料

 第5図は1970年からの人口の変化を示す。 沖縄の着実な増加はなにによるものか、海の魅力もその有力要因ではなかろうか。 何れにしても、興味の有る数字である。

1.3 慶良間諸島とラムサール条約 (第4図、第7図参照)

 慶良間諸島は沖縄本島から西に約40Km、大小30余りの島からなる。 その中の座間味島には那覇から高速艇で50分前後で結ばれる。 下の図のように海を中心にしたレジャー世界に恵まれているのが分かる。
 
     第6図 慶良間諸島の海、美しい海岸、変化に満ちた海底と魚たち、そしてホエールウオッチング

 然し、一方で人気の高まりとともに、珊瑚礁保全の必要性も発生している。 慶良間諸島海域は造礁珊瑚が高い密度で分布しており、248種類が確認されていると言う。

 地元組織の要請により、2005年11月に353ha がラムサール条約登録されている。 将来にわたり貴重な珊瑚礁を中心にした海域保全するのが主目的だが、条約に登録されると、その海域へのアクセス数などを制限することが可能になると言う側面があり、関係者の心配が伝わってくるようである。

  第7図 慶良間諸島のラムサール条約登録区域

2.海洋温暖化

2.1 黒潮と本流の変動

 第8, 9図 は黒潮本流と海水表面温度を示す。 黒潮本流は幅約100Km,流速最大約4Knot、水深600〜700mでも1〜2Knotになる、とされる。
 琉球列島の北側を北上し、九州と奄美大島の間のトカラ海峡から東に折れて太平洋にはいる。 太平洋に入って四国沖から紀伊半島沖、さらに房総沖に至る海域で、年によって可なり変動していることはよく知られている。 我々も大型船の試運転を紀伊水道沖で行っていたときには、この本流の位置、反時計回りの反転流の位置の情報を注意深く収集したものである。

 一方、沖縄本島の西海域では、殆ど場所を変えないと従来は考えられていた。 然し、第11管区海上保安本部の2010.5.4の発表によると 、新しい2軸電磁ログの計測で本流の東端が東西に変動していることがわかった、という。 今まで、こんなことも調べていなかったのか、という感じもするのだが、慶良間諸島の西で急に北に方向を変えるのは興味深い事実である。

       第8図 黒潮本流と海水温度など                第9図 黒潮本流と速度ベクトル

2.2 海水温度上昇

 第10図 は、東シナ海の海水温度と、その長期変化を示す。

 結果は 100年に付き + 1.3度C 

 この値は日本の平気気温変化100年に付き + 1.1度C にほぼ等しいが、世界の平均に比べると2倍以上という。

 これは多分に黒潮の温度影響があると思
われる。 メキシコ湾流により北欧の気温が
相対的に高い事と同じではなかろうか。

  第10図 東シナ海の海水温度、長期変化


3.東シナ海ガス田 問題

3.1海底地形、沖縄トラフ

 第11図は日本周辺、第12図は鹿児島以南の沖縄の海底3次元図を示す。
 
          第11図 日本周辺海底3次元図               第12図 鹿児島以南図

 沖縄本島と東シナ海大陸棚の弓状の窪みの深海が沖縄トラフである。 九州西方から台湾まで円弧状に約1,000Km、幅約100Km、最も深い所で約2,200mある。

 然し、これらは地球のプレート活動により変化している。 現在の沖縄トラフの拡張方向と速度は、沖縄トラフ北部から中部では北西−南東方向に1年あたり1〜2cm、南部では南北方向に1年あたり3〜5cmであり広がっている。  一方、琉球列島南東側を囲むフィリピン海プレートは1年あたり北西に7〜8cmでユーラシアプレートにもぐりこんでいる、という複雑さである。

 中国は沖縄トラフの南端を自国のEEZと主張しているわけだが、地球的時間で見ると、その南端は次第に北上して行くことになる様にみえる。
 今回調べた範囲では、大陸棚とその端部、トラフ詳細の海底地形図面は結局手に入らなかった。 「中国主張の正確なEEZのライン」の図面も確認できなかった。
                第13図 プレートの移動

3.2 EEZ−排他的経済水域

 国連海洋法条約において初めてEEZなる概念が導入された。
 これは領海でもなく公海でもない、というものだが、経済的主権がみとめられる。                     第14図 EEZ,その他のとりきめ (数値は海里、1海里=1,852m)

 第14図はその取り決めを示す。 これらは、自然に決まるものではなく、関係国がそれぞれについて宣言することによって決まる。 日本では1996.年7月に発効した。
基本的事項
 ―海岸線(定義に基づく基線)より、「領海は12海里」、さらにその外に「接続水域12海里」。
   EEZは基線より200海里。
大陸棚の取り扱い
 ―大陸棚が200海里以上ある場合は、その先端+60海里の地点がEEZ線。 東シナ海の場合は、
   このケースに近い。
   中国本土〜沖縄本島までは約350海里。 そのうち中国海岸から大陸棚の先端までは
   概略250海里ほどになる。 200海里以上あるということだ。
中間線
 ―中間線が機械的に公平と言うわけではない。 「衡平の原則」による。国際司法の判例では、
   バンク(堆)は一般に好漁場、又、油田、ガス田などがあり中間線では不公平を生ずる恐れがある。
日本の例外的3海里海峡
 ―宗谷海峡、津軽海峡、対馬海峡、大隈海峡は例外的に領海を12海里から3海里としている。
   日本政府見解は、「国際海峡として利便性を確保した」としているが、これは、日本の非核三原則と、
   米ロの核兵器搭載艦、潜水艦の通行を両立させるため、と言われる。
   <宗谷海峡=42Km,−60m、 津軽=19.5Km, −140m、 対馬・朝鮮=50Km, 大隈=約35Km> 幅と水深
 東シナ海のガス田開発で日中は問題を抱えているが、その大きな問題の一つが、このEEZに対する両国の主張の違いである。 その理由は、大陸棚に対する国際海洋法条約の2面性にある。 東シナ海の大陸棚が200海里以上あるからである。

 おそらくこの条項は中国が強く、巧妙に織り込んだに違いないとさえ思える。 この条項によって、中国は当然に沖縄トラフに接する大陸棚の端部を主張し、日本は日中の中間線を主張している。 条約に両方のケースが示されているのが問題である。

 当事者で結論が得られないときには、国際裁判所の調停を謳っているが、中国は之を受け入れず二国間の話し合いを主張しいる。 この裁判所の調停には強制力がないとう困難な問題も孕んでいる。 なかなか日本主張の中間線、共同開発は先行き難航が予想される。

3.3 経過


                     第15図 東シナ海ガス田、15−1図(左)  15−2図(右)

 15−1図(左)の中国主張線は沖縄トラフの略中間を通る。 もう少し北ではないか、と思われる。 これと15−2図の中国主張線とはやや異なる。 海上保安庁に質しても、今の所詳細線は不明。

今までに合意したこと
 ―白樺、北部共同開発
合意できなかったこと
 ―EEZ境界線、樫や楠のガス田
   2年前にようやく共同開発が合意されたが、その後
  具体的な交渉が行われたのは今年の7月28日。
  然し具体的な成果は得られず平行線におわった。

 米国の駐日大使の非公式な意見として、「日本は本当に
中間線を死守しようとしているのか よくわからない。」

 また、別件ながら普天間の問題、抑止力の問題についても どう考えているのか良くわからない!! 」という。

 考え方の違う首相がくるくる変われば担当者は毅然たる
交渉が出来ないのであろう。

                          「T.沖縄の海 」の項 おわり


U.  沖縄・海の文化から

1. 沖縄の歴史・・・沖縄の資料による。 表現のニュアンスに若干の違和感がある

1.1旧石器時代
  −港川人骨− 1万8000年前の完全な形に近い旧石器時代人骨。 1967年、沖縄本島南端部・八重瀬
    町で、日本で初めて発見。 それに続く貝塚時代ーまでの約1万2000年間は遺跡が全く見つかって
    おらず、空白。 
1.2弥生時代
  −現時点で弥生時代にあたる時期の水田はみつかっておらず、農耕がはじまるのは貝塚時代後期の
    末。 弥生文化の影響はあまり見られず最古の農耕(沖縄県における農耕の最古のもの)は紀元8
    世紀頃。
1.3農耕社会
  −本格的な農耕社会が成立したのは12世紀から。
1.4「古琉球」
  −農耕社会が成立してから、島津氏の侵攻(1609) まで。
1.5歴史への登場
  −607年 「隋書」に。 『随書』の記事は、煬帝の大業3(607)年とその翌年にみえる。
    616年 『日本書紀』では推古24年に掖久・夜勾・掖玖の人30人がやってきて、日本に永住。
    当時大和政権に属さない九州以南の島々に住む人々を指して「ヤク」と呼んだことが分かる。
    779年 日本側の文献には、鑑真の伝記『唐大和上東征伝』(779年)の中に、「阿児奈波」と出てくる
    のが初出である
    14世紀以降 「琉球國」を正式に、自国の国号として用いる。 明との交易にあたり。


2. 海の道 

 古くは、民俗学者柳田國男の一連の著作、遺作がある。 南から漂着する「椰子の実」にとどまらず、弥勒を海から迎える類似の行事が遠く離れた八重山と鹿島(茨城県)にある。 前者は「ニロー神やニライカナイの島」につながり、後者は「鹿島踊り」だという。 また稲の伝播としても肯定的に語っている。

 柳田が亡くなってもはや半世紀(1962年,昭和37年没)だが、最近では、この方面の研究は実証的な積み重ねで大きく前進した。 遺跡の発掘やDNA検査に代表される科学的な検証などである。 その結果、黒潮ルートによる稲の伝播は柳田のロマンを否定す結果が優勢とのことであるが、多くは柳田ロマンを裏付けつつあると思う。 ここでは、その一部を紹介する。

2.1 石斧の文化圏

 鹿児島県加世田市栫ノ原(かこいはら)遺跡で、約12,000年前の薩摩火山灰層の下から、縄文時代草創期の豊富な遺構、遺物が確認された。 そのなかに特徴的な技法と形態を示す磨製石斧が存在し注目された。 円筒石斧である。 その出土範囲からの文化圏を小田は第16図のように示している。

 またそれより年代は下るがマリアナ円筒石斧文化圏をも明らかにしている(第17図)。 小笠原ではマリアナ先史文化人がカヌーを操り北上したことが暗示される。 沖縄ではどうであったか、明らかではない。
          第16図   第17図

2.2 貝の道

 時代はさがり縄文時代後期の礼文島の船泊遺跡から南海の貝の装飾具が出土している。 礼文島は北海道北端、稚内の西方海上に浮かぶ花の島として利尻島と共に知られる。 放射性炭素の年代測定では3.500年〜3,800年前で縄文中期と判定された。 さらに下って弥生時代の九州を中心とする遺跡から南西諸島からの貝の装身具類が出土している。 古くからの本州から北海道まで貝の道が明らかである。(第18、19図)

               第18図                              第19図


3. 琉球人、琉球語

3.1 古代人――第4図参照(港川みなとが人骨出土場所)  

 本州と交易をしたという人達はどこからきたのか、日本本土との関係はどうか。 那覇市出土の化石人 山下洞穴人(32,000年前)、具志頭村出土の 港川人(17,000年前)
沖縄に住み始めた古代人される。
 港川人骨(第21図)は中国南部の柳江人に似ているとも言われるが、最近の科学的手法による研究から、むしろ日本の縄文人に近いという説が有力。 

    第20図 日本で発見された化石人骨



      第21図 港川人頭骨



3.2ホモサピエンス(新人)

 約20万年前にアフリカで生れたホモサピエンス(新人)はその後、10万年前にそこを出て世界にどのように拡散していったのだろうか。

 第22図は篠田謙一氏による最近(2007年)の一つの答えである。 日本列島への到達は4〜3万年前と、比較早くアジア大陸より到達したと言う。 沖縄へは台湾、南からではなく、日本(九州)から入ったのが主流とされる。 然し、日本人そのものの由来はなかなかに複雑で単純ではないという。
                           第22図

 定説では、アジア北方より日本にやって来た縄文人の中に中国大陸よりやや遅れて、別集団(弥生人)が移住(約2000年前)。 古い集団の一部は南西諸島に押し出された。  この集団こそが琉球人である(アイヌや琉球人は直系の縄文人)。

 従って、琉球人は日本人であり、琉球語は日本語である、とされる。 この一つの論拠として、ある種のウィールスのキャリヤーの分布はこれをよくあらわしている。 それはHTLV―1 成人T細胞白血病のことで、HTLV-1は普通のウイルスと違って、一旦、母乳から感染すると一生涯体の中にウイルスは存在しつづける。 殆どの人は天寿を全うするが一部の人が発症する。 良く知られるこの病気の発症者の代表は夏目雅子である。

3.3 琉球語

 沖縄県の大半と鹿児島県奄美群島とで広く使用されていた言語であり、現在でも用いられているが、話者は高齢者に多い。 独立言語として見た場合、日本語と同系統である唯一の言語と見なされ、日本語族に属するとする学者もいる。 また、日本語は、本土方言と琉球方言に大きく二つにわかれるとする言語学者もいるという。

 日本語は、世界にある約3000種の言語のうち、系統的分類が定まっていない「バスク語」と共に唯二つの言語だといわれる。 琉球語にも色々の方言があるが、沖縄本島のものが「ウチナーグチ」とよばれるもので明治の標準語化によって使われなくなっている。 2009年、ユネスコは琉球諸島の諸方言を危機に瀕する言語と指定した。 いずれにしても琉球語は言語学的には、台湾語、中国語でも、さらに南方系の言葉でもなく、日本語と同類、方言であると言うことである。 このことは、ここに住み始めた古代人が日本人だった、と言うことを示している証左であろう。

4. 沖縄のロマン−−「源為朝」と『椿説弓張月』 第4図の運天港の位置参照

4.1源為朝
 −保延5年(1139)〜嘉応2年(1170)?。 平安時代末期の武将。源為義の八男。 鎮西八郎を称し弓にすぐれる「保元の乱」で敗れ、伊豆大島に流されて後、追討を受け自害した。 史上最初の切腹による自殺の例とされる。

 一方、琉球王国の正史『中山世鑑』や『おもろそうし』、『鎮西琉球記』などでは、「この時、追討を逃れて琉球に渡り、その子が琉球王家の始祖舜天になったとされる。 この話がのちに曲亭馬琴の『椿説弓張月ちんせつゆみはりつき』を産んだ。

 運天港と為朝上陸の遺跡−−沖縄本島 北部の今帰仁村に運天港がある。 運を天に任せた為朝がたどり着いた港という。 近くの園地展望台近くに記念碑がある。 為朝は系譜上からは、頼朝、義経の叔父に当たる。 かって、運天港からフェリーで伊是名島にわたった時、ここを訪れ、おおいに歴史のロマンを感じたものだ。

4.2椿説弓張月
 ちんせつゆみはりづき  作者−曲亭(滝沢)馬琴。  発表年−1807(文化4)より4年かけて完成。 正式には、『鎮西八郎為朝外伝・椿説弓張月』(ちんぜい はちはちろう ためとも がいでん・ ちんせつ ゆみはりづき)全五篇。
 前篇ー鎮西八郎を称した源為朝の活躍を『保元物語』にほぼ忠実に描く。
 後編ー琉球に渡った為朝が琉球王国を再建
      (為朝が琉球へ逃れ、その子が初代琉球王舜天になったという学説による) 。

琉球王国正史「中山世鑑」に見る日琉同祖論
  1. 琉球王国の正史『中山世鑑』及び『おもしろそうし』、『鎮西琉球記』などでは、
  2. 鎮西八郎源為朝は、沖縄の地に逃れ、その子が琉球王家の始祖「舜天」になったとされる。
    この話に基づき、
  3. 為朝上陸碑建立−−大正11年(1922年)建立。 表側に「上陸の碑」と刻まれて、その左斜め下には
    この碑を建てることに尽力した東郷平八郎の名が刻まれている。
  4. 『中山世鑑』を編纂した羽地朝秀は、摂政就任後の1673年3月の仕置書 (令達及び意見を記し置き
    した書)で、琉球の人々の祖先は、かつて日本から渡来。
    有形無形の名詞はよく通じるが、話し言葉が日本と相違しているのは、遠国のため交通が長い間
    途絶えていたからであると語り、源為朝が王家の祖先だというだけでなく琉球の人々の祖先が
    日本からの渡来人であると述べている

斎場御嶽(せーふぁうたき/サイハノうたき)   第4図、第23図参照

 御嶽(うたき)は、琉球の信仰の宗教施設である。 琉球王国(第二尚氏王朝)が制定した琉球の信仰における聖域の総称。 その中で、せーふぁ は最高位を意味する。 15-16世紀の琉球王国・尚真王時代の御嶽とされる。

 正式な神名は「君ガ嶽、主ガ嶽ノイビ」。 3つの拝所が集中する最奥部の三庫理(さんぐーい)には最も格の高い拝所があり、クバの木を伝って琉球の創世神であるアマミクが降臨するとされる。  なお、三庫理からは王国開闢にまつわる最高聖地とされている久高島を遥拝することができる。 (右の写真、 海上に島)
                                      第23図 せーふぁうたき

 天孫降臨神話はよくあるパターンと言うが、最高神が山ではなく海の向こうの島の峯に降臨した、と言うのは日本神話を連想させると共に、海の果ての世界を暗示てしているように思われる。 

                         「U. 沖縄・海の文化から」の項 おわり


V. 潜水艦戦争
1. 沖縄の戦略的位置  第3図も参照


 第24図 西太平洋図 西沙諸島、南沙諸島、沖縄と米戦略拠点     第25図 沖縄よりの距離 

1.1西太平洋における日米/中国の対峙

 第24図を見ると、沖縄(那覇)がまさに西太平洋と東アジアの戦略的中心にあることを実感させられる。 これを稍クローズアップしたのが第25図で、上海は大阪より360Kmも近い。 更に驚かされるのは、中国極東艦隊の基地である寧波(ニンポウ)は鹿児島と余り変わらない距離にある

 第24図では、中国の太平洋に向けての前線の実情を理解できる。 北朝鮮、ミャンマーを両翼に従えて、沖縄への潜水艦などによる具体的な挑発的圧力、西ではベトナム、ヒィリピンなど東南アジア諸国との西沙諸島、南沙諸島領有争いなどが顕在化しているのが現状である。 既に第U極東冷戦状態にある感じさえする状態である。

1.2 沖縄の米軍基地

 第26図は、この様な中国の南方進出への押さえの拠点としての重要さが高まっている沖縄の米軍基地配置マツプである。
 何れにしても、その多さに先ず驚かされる。これは、20世紀最大とも言われるフィリピンのピナトゥボが火山噴火による基地機能の壊滅も原因で、1992年にヒィリピンの米軍基地は完全撤退、沖縄に集約されたという事もその理由である。

 そのときの軍事的教訓は、ヒィリピンから米軍基地の撤退に直ちに呼応して中国海軍などの南進が露骨になった事だという。 西沙諸島、南沙諸島とその周辺がターゲットになっている。 この経験から、沖縄の米軍基地再編について周辺国首脳の基地維持への要望は強い、と報じられている。 鳩山前首相の「不勉強だった。普天間の国外移転は無理」との発言を彼らはどう聞いたろうか。                    第26図 沖縄の米軍基地マップ

2. 高まる潜水艦の評価

2.1太平洋戦争における教訓
 ―日本は太平洋戦争で潜水艦戦争にやぶれた、とも言われる。 開戦まもなく制空権と共に制海権も失った。 兵員やなけなしの兵器を南方戦線へ運ぶ多くの補給船が米潜水艦の餌食になって多くが無防備の船員とともに沈んで行った。 ヨーロッパにおいても悲惨な事例は枚挙にいとまがない。

2.2チャーチルの述懐
 ―戦後、かれは第二次世界大戦を振り返り、もしヒトラーが潜水艦戦を徹底的に遂行していたら連合国の勝利はあぶなかった、と述懐したと言う。

2.3:原子力潜水艦を無力化する? 潜水艦
 ―現在、原子力空母は巨大な軍事力の固まりとされている。 然し、原子力空母も現代の潜水艦3隻に囲まれたら、その魚雷攻撃の前にはもはや無力だ、とさえいわれる。 勿論、原子力空母を中心とする艦隊は強力な攻撃型潜水艦隊によって水中から守られているし、水上艦、対潜哨戒機などの一連の完結型システムによって守られているのだが。

2.4 費用対効果
 ―新型の潜水艦は約500〜550億円で上記2.3の効果を考えると、費用対効果に優れた兵器といわれる。 冷戦時のソ連、現在の中国、インドを初め東南アジア諸国を含む世界の傾向。

3. 中国海軍の西太平洋進出

3.1中国人民開放軍 海軍の組織、兵力など
 国防部―主要艦隊 @北海艦隊 A東海艦隊 B南海艦隊
 兵力―約26万人、うち海軍航空部隊約35,000人、沿岸警備隊約26,000人、陸戦隊約1万人を有する。
      近代化を進めてはいるが、未だ旧式装備の数の方が多い、といわれる。
 艦艇―@.駆逐艦26隻、フリゲート艦49隻、 
      A.原潜ー弾道ミサイル搭載3隻(夏型1隻、普型2隻)、攻撃型・漢型3隻(稼働1隻)、商級2隻
      B.通常型潜水艦ー56隻(うち26隻は旧式化し退役の近い)
      C.海軍航空隊は、7個海航師(海軍航空師団)・7個独立飛行団編成、各種軍用機620機を保有
 東海艦隊ー東シナ海、寧波司令部基地、寧波基地、上海基地、福州基地

3.2中国の海軍の発展戦略と海洋覇権計画
 1)「第1・2列島線」という考え方の導入
  1990年までは、中国人民解放軍はソ連国境線警備の陸軍中心であった。 それより前、対米の重要さの高まりの中で、1982年にケ小平の意向の下で海軍が「第1・2列島線」を基本とする海洋覇権計画をまとめた。 それはやがて、1997年の「海軍発展戦略」として対米国防計画が立案された。

第T列島線 (沖縄から南シナ海を含む)
 2000〜 2015年までに、内側の南シナ海、東シナ海、日本海の制海権確保
第U列島線 (小笠原からグァムを含む)
  2010〜2020年 空母建造。 内側への米海・空軍の侵入を阻止する。

即ち
 @〜2015年 (第1列島線内の制海権確保)
 A〜2020年 (第2列島線内の制海権確保/
          通常型空母2隻建造)
 B〜2040年 (米海軍による太平洋・インド洋覇権
          阻止/原子力空母2隻の建造計画
          開始/米軍と対等な海軍建設)

                                  第27図 第1、第2列島線、中国海洋覇権計画 

3.3 中国首脳の対日無視――李鵬総理(当時)の発言
 1) 日本は30 年か40年後にはなくなっているだろう
  1988年3月 〜1998年3月の間、中国国務院総理の座にあつたのは李鵬であった。 彼はその後1998年3月〜2003年3月まで江沢民の下で全国人民代表大会常務委員長を務めている。 まさにこの海軍覇権計画策定当時に政府に中枢を支配していた人物と言える。 1989年の天安門事件では、一貫して終始保守的な強硬姿勢を貫いた。
  その彼は、「1995年頃、日本について、オーストラリア首相であつたポール・キーティングに、「日本という国は40年後にはなくなってしまうかもわからない」あるいは「30年もしたら日本は大体つぶれるだろう」といった内容の発言をした」とされる。 よく引用される話である。
 2) 海洋権益確保
  1)の李鵬発言と、第1、第2列島線による海軍制海権構想の内容との時期とを重ね合わせてみると、彼らの権益確保圏構想の真意が理解されよう。 そのときには日本はまさに第1、第2列島線に飲み込まれている。 何という、自己中心的な侵略思想だろうか。 着々と日本飲込み計画進行中という事が。
 中国は一貫してこの構想の実現に向けて着実に体制わ進めている。 1992年には領海法を制定して、尖閣諸島、西沙諸島、南沙諸島を中国の領土であると規定、1997年には、国防の範囲に海洋検疫の維持を明記した「国防法」を施行、さらに島嶼の管理を強化する「海島法」の立法をすすめている。
 日本のEEZ中間線(尖閣諸島は日本領)などは、既に1992年に中国領に法律で決まっているのだから日本は何を今更言っているのか,ということであろう。 恐ろしい中国の国家的な危険潮流である。

3.3 中国海軍の太平洋進出事件

 @2003年11月―
  ―中国のミン級潜水艦 大隈海峡浮上航行。
 A2004年11月―
  ―中国の漢級原子力潜水艦が日本領海侵犯。
 B2006年―
  ―沖縄沖で訓練中の米空母キティーホークの
   わずか8キロまで気づかれずに接近して浮上。
   中国潜水艦の性能アツプと軍事力の無言の
   対米メツセージ。
 C2010年4月―
  ―中国の多兵種連合編隊(潜水艦、駆逐艦、
   フリゲート、補給艦、艦載ヘリなど10隻)が
   沖縄本島と宮古島の間を太平洋へ通過。
   第27図も参照

   第28図 2010年中国海軍編隊の宮古水道通過

4. 東アジアにおける潜水艦

4.1 1989年より2009年の推移

第29図 東アジア戦術潜水艦勢力推移 (世界の艦船より)      第30図 潜水艦 就航数現状

4.2 アジア等における就航潜水艦隻数

最新の情報では各国の戦術潜水艦の就航数は次のとおり。
ジェーン年鑑2010年、BS TBS作成による。

関連する潜水艦に関する最近の動き 
 1)中国−−商型潜水艦―
      ロシアヴィクターV級、 米国ロサンゼルス級と
      同等の高性能。
 2)ベトナム−−ロシアよりキロ級6隻を購入契約(1,700億円)。
        インターファックス2009.12.15
 3)インド−−2010.7.26 遂に原子力潜水艦を進水させた。
      Loa=105m Δ=5,500ton開発費=2,749億円
 4)インド−−ロシアAkuraU級攻撃原子力潜水艦「ネルパ」が2010年5月までにインドに到着運用に入る(2010.3.17)。 この艦「ネルパ」の概要  Δ=8,140ton V=30k,最大潜航深度600m  独立航行期間100日。 533mm魚雷発射管x4,  650mm魚雷発射管x4 。 2008.11に日本海で試運転中に事故。 20人が死亡。 10年間インドにリースの予定だったものがおくれていたもの。
 5)アジア各国の 潜水艦倍増計画
  豪州=現在の6隻を12隻に。
  マレーシア=仏・スペインきょうどう開発スコルペン級潜水艦取得中。
  韓国=ドイツ製新型Type214 でType209を更新中。現状9隻を18隻に倍増計画中。
   (以上は、日本の防衛大綱で潜水艦2隻増加決定の関連ニュース。2010.07.25)―
    ―前出の第30図の数値と異なるところもある。

         第31図 日、中、ロの潜水艦             第32図 運用中の海上自衛隊の潜水艦

5. 日本の潜水艦             

5.1運用中の隻数 第32図
 はるしお 3 隻、  おやしお 11隻、  そうりゅう 2隻     合計 16隻 
 練習艦はるしお  1隻、  試験艦はるしお改造  1隻     合計 18隻。 
 合計隻数は、防衛大綱による。

 練習、試験艦除く潜水艦の隻数は防衛大綱によって定められている。 民主党は平成22末の大綱において16隻を20隻に増やすことを決定したと報じられている。 基本的に毎年1隻建造のペースを維持して建造予算の増額ではなく、現在の耐用年数16年を延長するなどの措置によるものとなる見込み。


                   第33図 航行中の「はるしお、おやしお」と船体模型

5.2 そうりゅう
 「おやしお」型潜水艦 葉巻型  基準排水量 2,950 トン  Loa x B x d=83.7 x9.1x8.5 m
 主機関 ディーゼルx 2・スターリング発電機x 4, 電気推進 水上3,900馬力 水中8,000馬力
 速力 20ノット(水中) 13ノット(水上)   533mm魚雷発射管x 6 乗員65。
 搭載のスターリング機関は川崎/コッカムス製、75Kw x 4。 液体酸素をもとに 酸素とケロシンとの燃焼による発生熱でヘリウム・ガスを膨張させ、海水による冷却で圧縮させてピストンを駆動、クランクシャフト回転、発電機回転させるシステム。 空気無しで14日間の潜航が可能。 AIP(Air Independent Propulsion)を搭載した潜水艦。 但し、之は潜航時の低速航行時用で、高速時は従来のように蓄電池の電力が使用される。

5.3 日本潜水艦必要隻数について
 1) 現在は16隻保有だが
 ――ソ連極東潜水艦隊は冷戦時約100隻を配置していた。 之に対して海上自衛隊潜水艦隊としては対象とする海峡は宗谷、津軽、対馬の3海峡で、この際の必要隻数は各海峡に常時2隻、計6隻、潜水艦隊では、就役・交代行き帰り・修理休養に3分されるので、全体隻数は3箇所x 2隻x 3 =18隻。 これを予算枠などの理由で2隻の削減して16隻としたといわれる。 P3C地対潜哨戒機約100機を保有していたので総合的に隻数を決定されたとも考えられる。
 2)中国海軍台頭の現在、16隻では不足、少なくとも24隻必要
 ――ロシア潜水艦は現在は100→約20隻となり、特に北方3海峡の常時監視の必要性は薄らいで、沖縄をはじめ南西諸島の重要度が高まっている。 専門家は北方は不要となっても、全体では少なくとも4ポイントの監視が必要と指摘する。 従って必要隻数は 4 x 2 x 3 =24 は必要という。 1993〜1995年・潜水艦隊司令官であった元海将・西村義明氏の意見である。                 
                     
6. 米シンクタンクCSBA の東アジア分析

6.1 AirSea Battles―西太平洋の不安定に対する米シンクタンクレポート 2010.5.18 リリース


          AirSea Battle 表紙                     第34図 沖縄と太平洋米基地

 米国のシンクタンク「戦略・予算評価センター」Center for Strategic and Budgetary Accessments ,CSBAは「AirSea Battle」と題するレポートを最近発表した。

 これは、中国人民解放軍PLA( People’s Liberation Army) の西太平洋に設定した第1,2列島線についての分析である。

 中国は、「アクセス遮断・地域介入阻止 (A2/AD)」制海権確保領域としてこの第1,2列島線を設定した。 これによって、伝統的な米国の防衛戦略は将来、おそらくますます危険で高価になるだろうとしている。 詳しい分析がおこなわれている。
                                     第35図 中国のアクセス拒否度合い

6.2 中国人民解放軍の能力分析
 第1,2列島線内の制海権確保の方策としての具体的なミサイル配備を推定を示しているのが第35,36図である。 第35図では、赤色の濃い程、中国の強い接近拒否領域を示している。 列島線上の沖縄、グァム基地から横須賀、オアフ、シンガポール相互の距離が示されている。

                第36図                              第37図

 若し戦争になった場合には、PLAは先ず連携サイバーと電子戦攻撃と協力して米国衛星配置破壊などで米国戦略ネットワークを混乱させようとするだろう。 具体的な特定された航空機、ミサイル位置も示している。

 第36図では、第1列島線に対しては南西諸島を完全にカバーするのは、CSS6 (東風)15 短距離弾道ミサイルなど。 第2列島線に対しては、CSS6(東風21)2段式弾道ミサイルの他、ASBM(Air to Surface Ballistic Missile)、ASCM(対艦巡航ミサイル)などである。 上の第36図、第37図は夫々に中国軍PLAの所有システムの到達距離をしめす。 日米の主要基地は完全にカバーされる危険な状態を知ることができる。 宇宙を含めるIT技術の高度化とあいまって精密ポイント攻撃のレベルが向上するにつれてその威力を高めてゆくであろう。

7. 論壇と考察

7.1潜水艦の情報収集
 ―現在の平時における潜水艦の職務は、相手国潜水艦の行動、性能、音紋そのたの情報収集が主体といわれる。 かつて、中国の潜水艦の水中発信音は大きく、3.3に示した初期の侵入事件の際などには、発信音は終始捕捉されて潜水艦の行動は完全に把握で出来ていたと言われるが、最近では非常に静かになったと言われる。
 現在においては、専門家の意見によれば、潜水艦の発信音のメインは既にプロペラの発信音ではなく、原潜のタービン、通常型潜水艦ではマルティ・ディーゼルのギャー音などだとしている。 船内ではゴム靴を履き生活音についても高い注意を払う状態だという。

7.2 防衛省・防衛研究所年次報告「東アジア戦略概観2010」
 この報告書は2010年3月に発表された。 「第1・2列島線」関連としては、「中国海軍に関しては、「2009年には、「近海防御」から「遠海防衛」に転換しつつあることが一層明確になった」と記している。 我われの知る当初計画より或いは前倒しで進んでいるのかとさえ思われ展開のようである。 そして、報告の全体の纏めとして
 @有事の時にだけ米軍が展開するという図式はもはや成立しにくくなっている。
 A米軍が再展開する時期によっては、事態をエスカレートさせかねない。
 B中国などのアクセス拒否能力をもつ国が増加しており米軍再展開そのものが物理的に阻止される
   リスクも増大する。ーーーそして最後に
 C「抑止力を域内に維持しておく必要がある」と結論付けている。 まさに正論である。

 鳩山前首相は、普天間基地に関して「少なくとも県外移転」と言い続けながら、このレポート発表の約2ヵ月後に、「勉強すればするほど沖縄基地が必要」として前言を翻し、責任をとって退陣した。 彼の「常時駐留無き安保」の持論は何処へ行ったのだろうか。 安全保障の実態はそんな甘いものでない、ことをあるいはこの報告書で学習したのであろうか。

7.3 中国海軍の現状については、わが方で「数だけで近代化に遅れている」「練度・士気が低い」といった優越感も混じった指摘は聞かれなくなった。 それに比例して「自衛隊の“脅威”」を批判する中国軍事当局者もめっきり減った。 彼我の戦力逆転により必要が無くなったためだ(世界の艦船記事)。

7.4 中国海軍は宋・キロ級よりさらに優秀な元級潜水艦を保有。 「外洋訓練の常態化・実戦化推進」宣言もした。 2010年1月には南海艦隊航空部隊が、海上における超低空飛など「実戦能力向上」を練成した。 4月の事件におけるヘリコプター異常接近も、海自護衛艦相手に「実戦能力向上」を図る演習だった可能性がある。 東シナ海はもはや、米海軍と海自で防衛できる「安全な海」ではない(産経新聞)

7.5 危機にさらされる前方展開基地と空母
 1).「軍事関連の衛星技術、IT技術の独占はいずれ損なわれてゆく」とCSBA米戦略予算評価センター所長アンドリュー・F・クレピネビッチ氏は指摘する。―
―米国防省はかって2002年に冷戦終結以降、最大規模のパワーゲーム(軍事演習)をおこなったことがある。 米退役海兵隊中将、ポール・バン・ライパー率いる「イラン」軍は、ことごとく米軍の行く手をさえぎることに成功した。 ペルシャ湾岸に入った米艦隊は、イラン軍の自爆船、対艦巡航ミサイル(ASCM)による攻撃を受け、米戦艦のほぼ半数が沈められるか、作戦遂行ができない状態に追い込まれた。(演習とはいえ)米軍にとって、これはパール・ハーバー以来の大失態だった。―
―この様な事例を背景に、もはや、米軍は湾岸と東アジアに介入できなくなるという。

 2).「東アジアについてみると」
 ―中国の衛星やレーダー能力の向上、ASCM (Air to Surface Cruising Missile) の配備、そして衛星の能力向上によって、東アジア海域に米空母は立ち入れなくなりつつある(フォーリン・アフェヤーズ・2009.9.10) とする意見も有る。
 特に東アジアについては、中国軍の「アクセス遮断・地域介入阻止=A2/AD」能力によって、嘉手納空軍基地を含む前方展開基地が精密誘導型弾道ミサイルで脅かされ、中国の衛星やレーダー能力の向上、超低空で接近するASCM(対艦巡航ミサイル)の配備、そして衛星能力の向上によって、東アジア海域に米空母は立ち入れなくなりつつあると同氏は言う。 しかし、現実はどうか。

7.6 依然として存在プレゼンスを示す原子力空母
 1)日本海米韓軍事演習
 ―韓国警備艦「天安」の沈没事件の発生は今年(2010年)3月26日。 之を受けて日本海での米韓軍事演習「不屈の意志」作戦が行われたのは今年(2010年)7月25日から。 これには 横須賀港を基地とする米原子力空母「ジョージ・ワシントン(Δ=104,000ton,Loa=333m)」が釜山をへて日本海の演習海域へ、更に米イージス駆逐艦3隻など約20隻、航空機米F22戦闘機、E2C早期警戒機、韓国F15K戦闘機など200機兵力両国約8,000人という大規模勢力が参加している。 当初はこの演習は事件現場である黄海で計画されたが、中国の強い反発により日本海に変更になった経緯がある。 ここにも既に中国の第1列島線内への「アクセス遮断・地域介入阻止」を見る思いである。 尚、この演習の主眼は対潜水艦訓練にあると韓国軍参謀本部は発表している。

 2) ベトナムに現れた「ジョージ・ワシントン」
 ―日本海での米韓軍事演習をこの(2010年) 7月25日に始めたばかりの「ジョージ・ワシントン」は約2週間後の8月8日には、領有権を巡りベトナム、ヒリピン他東南アジア諸国と争いのある西沙諸島の目の前のベトナムの中部・ダナン港にいたことが確認されている(TBS 青山)。 「ジョージ・ワシントン」の艦速は30Knot以上とされるが、このスピードをしても日本海北西部から約約2,250SMのこの地までは3日以上を要する。 恐らく「ジョージ・ワシントン」は、或いは日本海から第1列島線の北側の公海、中国のアクセス拒否領域を通過しながら南西諸島沿いにバシー海峡を経てダナンに至ったのではなかろうか。 それでこそこの航海の意味があるといえるはずである。 何れにせよ、依然としてこの空母は大きな存在力をはたしている。

8. まとめ

8.1 東アジア諸国の潜水艦隊の拡充
 ―中国の西太平洋への進出、アクセス拒否領域としての「第1・2列島線」の設定などによる西太平洋への急速な勢力拡張を受けて、民主党は今年(2010年)末の防衛大綱において保有潜水艦隻数を現在の18隻から20隻に増やすことを決定した。 東アジア各国も近年潜水艦隊の拡充を急速に進めている。この海域の潜水艦戦争はあわただしい情勢にある。
  一方、中国の衛星・IT・ミサイル技術の急速な発展から早急に空母の抑止力は失われ、東アジア海域には容易に介入出来なくなりつつあるとの米シンクタンクの論説が多い。 米シンクタンク、米国防省と言えども将来展望において、ベトナム、イランなどで大きな間違いを犯してきたのが、潜水艦隊の抑止力を考慮すると、十分に考えなければならない潮流には間違いない。

8.2 日米の協力対処

 −「米海軍はまだ中国海軍を圧する力を持っているが、その差は縮まっている。 この傾向は日米同盟にも重大な脅威であり、日米両国は深刻な懸念を共有して、共同での対処を図るべきだ」との某軍事専門家の言葉を引用してこの項をおわる。

                            (V 潜水艦戦の項終わり)

 ・ 防衛研究所年次報告 「東アジア戦略概観2010」 防衛省・2010年3月  pdf版
 ・ 「AirSea Battles」 By Jan vzn Tol with Mark Gunzinger,etal 2010.May 18.
   CSBA(Center of Sterategic and Budgetary Accessment) Download slide.
   http://www.csbaonline.org/2006-1/index.shtml