日本船舶海洋工学会 関西支部 海友フォーラム K シ ニ ア
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造船における技術協力  よもやま話
(技術移転の様態とその背後にあるもの)  三菱神戸の例
  2012.01.18 第15回海友フォーラム懇談会で講演
スピーカ : 渡邊俊夫、 井澤雄幸、 瀬川治朗、 藤村 洋(ナレータ)


◆ 技術協力の種々相

   ・コロンボ計画研修生の受入
   ・人材派遣による国内技術協力
   ・海外造船所の建設支援
   ・Lead/Follow Yard方式による技術移転
   ・契約に基づく技術指導
       * 米国Todd造船所に対する設計・建造・管理を含む技術指導
       * スペインAESA国営造船所に対する技術指導



◆ コロンボ計画とは    (コロンボ・プラン - Wikipedia より)

   ・コロンボ・プランとは、戦後最も早期に組織された開発途上国援助のための国際機関。主に技術協力を
    通じてアジア太平洋地域諸国の経済・社会開発を促進し、その生活水準を向上させることを目的とする。

   ・正式名称は「アジア及び太平洋の共同的経済社会開発のためのコロンボ・プラン」。
    事務局はスリランカのコロンボにある。

   ・1950年1月にコロンボで開かれたイギリス連邦外相会議を源としており、1951年7月に活動を開始する。
    当初イギリス連邦諸国のみを加盟国としていたが、その後その他の各国も加わり加盟国は増加した。

   ・日本におけるコロンボ・プラン 日本は1954年10月6日に、コロンボ・プランへの加盟を閣議決定。
    コロンボ・プランの第6回会合に正式加盟国として参加した。
    日本は翌1955年から研修員の受け入れ、専門家の派遣といった政府ベースの技術協力を開始した。
    これが日本のODAの開始とされている。
    加盟を契機として、戦後日本はマーシャル・プラン等による被援助国から援助国へ転換した。

   ・1987年には、外務省と国際協力事業団(JICA)がコロンボ・プランへの加盟日である10月6日を
    「国際協力の日」とすることに決定した。 しかし現在は、二国間のODAの方が金額的に多く、
    コロンボプランとしての活動はそれほど活発ではない。

   ・加盟国 [編集]アルファベット順。 ( )内は加盟年。
     アフガニスタン(1963) ミャンマー(1952) オーストラリア(1950) ネパール(1952) バングラデシュ(1972)
     ニュージーランド(1950) ブータン(1962) パキスタン(1950) フィジー(1972) パプアニューギニア(1973)
     インド(1950) フィリピン(1954) インドネシア(1953) シンガポール(1966) イラン(1966)
     スリランカ(1950) 日本(1954) タイ(1954) 韓国(1962) アメリカ(1951)
     ラオス(1951) ベトナム(2001) マレーシア(1957) モルジブ(1963) モンゴル(1998)


◆ 三菱神戸におけるコロンボ研修受入

   ・受入時期 : 1967年 (藤村 担当分)
   ・研修生  韓国 : 公務員    台湾 : 民間造船所   フィリピン : 民間
          タ イ : 海軍軍人   ビルマ : 官吏      エジプト : 造船所    計 6カ国 6人
   ・研修の期間 : 1年?
   ・受入側 : 藤村 洋、小林幹弘が造船設計部の世話役。  各部を巡回して研修。
  
  
  休日は我が家に招いて国際交流

                
遊びの記録ばかりで研修の記録がない

コロンボ・プランによる研修は長く続いたようで
昭和58年(1983)12月6日に撮った記念撮影もある

                                               
井澤は1982年に研修を担当した



◆ 人材派遣による国内技術協力
    昭和40年代? 行政の要請に基づいて(?) 当時の大手各社は
    中小手各社に人材を派遣、技術支援を行った。
    三菱の場合は 今治造船、新山本など
   
それを契機として 当初は中型のタンカー、バルクを建造していたところが
次第に船型を大型化し、さらにコンテナ船、LNG船まで建造できるように
なった。

< 行政の狙いは何処にあったのか?  大手は何を考えて支援したのか? >



◆ 海外造船所の建設支援

   ○1970〜76年  インド・コチン国営第2造船所の建設を支援
      ・1970年8月:建設技術契約調印   建造ドック 1基、 修繕ドック 1基
      ・1971年12月 : 232件 1万枚の図面完
      ・1972年3月 : コチン造船会社設立
      ・工期5年の計画で工事開始、しかし実際は9年かかった。 理由はインド工法と国産機械採用の政策
      ・三菱は契約期間満了時点で撤収 インド側は英国ヤードに依頼
      ・1981年SCI社から受注の41型タンカー進水式に来日のインド運輸大臣からコチンでのBC建造への
       技術援助を要請された
      ・三菱はまず自身が受注しその図面をコチンに供与するLead/Follow Yard方式を目論んだが、
       結局は指導の契約になった
   ○1982年から1年間  設計・工作の計画管理と基礎技術の関連技術者20名を派遣した
      ・技術は定着したが、コチン造船所は修繕専門ヤードに変わった



◆ Lead/Follow Yard方式による技術移転

   ・1978年 米国Sea−Land社は12隻のコンテナ
    船を日本・韓国造船所に対し一括発注

   ・Engineering Agreement : 三菱神戸
    Lead Yard : 三菱神戸 第1船 3隻
    Follow Yards : 三菱長崎    4隻
               : 三井玉野    3隻
               : 韓国現代    2隻

   ・全図面を後続ヤードに供与、 機器はすべて同一
    メーカー、 性能保証は各社責任
    納期 80年内に12隻
    第1船 契約〜引渡  15.5ヶ月

   ・韓国現代造船所はこのプロジェクトで最新鋭のコン
    テナ船の図面を入手、建造に当たっては船主要請
    で派遣された三菱神戸の指導を受けた
                          
 技術移転

   ・建造プロセスの詳細はSNAME論文として発表
    1983年11月発表




     
この論文はかなりの反響を生んだ・・らしい
   理由 
       ディーゼル船に付いての詳細な建造記録 特に振動など。   超短期建造 + 日程厳守。
       2國3社4造船所で12隻の全く同型 + 同一機器メーカ。


   米国ヤードの深刻な反省
      討論の NaSCo Mr.R.H.Vortmann 発言
             「Speedy Del.& Punctualityは競争の鍵、 米国ヤードは挑戦しなければならない」

   船主の回答
      「正にその通り、日本ヤードは全員でそのことに徹している、これを彼らはNBCのE.L.Marnから
       学んだ」
 
   ・このVortmann氏の発言にあるように米国造船界は日本の高効率生産に学ぶべきであるという空気が
    拡がり MarAdの主導で National Shipbuilding Research Program などが設定された。

   ・西岸のTodd社は SLを通じて三菱に接触、技術指導を懇請した。
      米海軍のDDG28隻建造の第1船を何とか受注したい
         幾度かの予備的折衝の後1984年6月 三菱/Todd間のTechnical Collaboration契約調印
         以後1986年末までToddによる神戸の調査、MHIによるロス・ヤードの調査と勧告、線状加熱の
         現場指導などが行われた。




◆ Todd 技術協力の苦労など

   三菱神戸は1973年、日科技連のデミング賞・事業所賞を受賞した。 いわゆるTQCであるが、受注生産
   では重要な プロジェクト管理(番船管理)が軸。 造船では普通のことであるが、三菱なりの泥臭い工夫を
   折り込んだ。 Todd指導に当たっての中心概念はこの“TQC”であった。

   これを相手に伝える方針は“われわれのやり方を開陳するから自分で見てくれ”
   つまり“百聞は一見に如かず” これを現場英語で 
        “Look and See!”  “One seeing is much better than 85 ears”    何故100でなく85か。

   300件にのぼる研修用資料 (使っている帳票などに英訳添付) を準備
   (1984.10.8〜85.8.12)  3〜10名単位のチーム  2〜4週間  計11チーム、70名
   中には女性の課長さんもいた。  造船屋同志の交流はよい経験。


Todd技術協力の外部への発表

  Toddに対するMHI神戸の技術協力の全貌は、
  右のような論文にまとめられ、1986年8月米国の
  “Ship Production Symposium”において
  発表された。

  Paperは “Journal of Ship Production”誌
  1987年5月号に掲載された。



 論文の内容 :

  ・技術協力の経過と内容

  ・MHI神戸の建造管理、組織、TQCの考え方、工場
   配置・日程など

  ・Toddの改善の状況

  多くの討論が寄せられ米国造船界の効率改善への
  関心の高さを示した。

  討論の内容を見ると、MHI神戸のデミング賞受賞の
  こと、 品質表などの考えなども知られていることが
  判る。


◆ Todd における Technical Collaboration の効果

   組織・設備の改善
      1 生産技術部の新設
      2 ハイブリッドシステムの誕生
        職種を越えて共用ワークショップ内のQCD全般の責任をもつワークステーションマネジャーの新設
      3 パイプ工場の改善、    古い設備の排除、    新しいワークステーションの設定、
        パレタイジングシステム導入 
      4 型鋼および小型鋼板工場の新設
      5 新しいワークステーションの設定

   実船への適用
      1 受注済みのO.H.Perry級フリゲート艦の最終艦FFG61に適用
      2 1985年11月受注のRO/RO船の改造工事に適用

   1985年艦艇の新造・改造で大きな利益を上げた。
   しかし、念願のDDGの受注には失敗、経営が苦しくなった。
   1987年には従業員引当金支払いに窮し、連邦破産法の適用を申請、倒産し、工場は更地と化した。




◆ スペインAESA造船所に対する技術協力

   スペインの事情    1936〜39 内戦
                 1941 産業投資公社設立  INI (Instituto National de Industria)
                 1968 INI は 工業エネルギー省傘下に
                 1980年代 国営企業群の赤字問題化

   INI
      DCN(造船公社)
        Barba副総裁    AESA 造船所    Juliana 造船所
        Saez 副総裁    技術部     Astano 造船所     Astican     Celaya
                    Barreras    Astander 造船所 

   AESA造船所傘下の造船所
        Sevilla    Cadiz    Sestao     Olaveaga    Manises (Diesel工場)

   Puerto Real(主力ヤード)    
        1875 に 乾ドック建設
        1975 100万トン新ドック (当時、欧州No.1)   600tガントリー2基
             完成と同時に造船不況
        1983 600億円の赤字    人員削減 ー7000人
                             ↓
                           技術協力により生産性向上



◆ AESA技術協力の内容と効果

   AESAに対する協力はToddの場合にくらべ期間も長く、対象も全社規模、内容も受入研修、現地派遣など
  多層的、取り組み側も本社組織をつくり、神戸・長崎・広島を巻き込むなどビジネスとして本格的に取り組む
  第1歩であった。

  生産性向上技術協力契約(1986)
      神戸・広島で研修受入 14チーム、81人     先方の設備調査、勧告

  一般包括契約・商談・技術・購買(1987)
      コンピュータシステム調査、 Rig建造の指導員派遣など、 15万トンタンカーの基本図供与など

  TQC指導契約(1991〜96)(1次〜3次)
      受入研修・現地指導・設計指導
 

  効果
         スペイン側   造船所、階層により異なるが 全般に効果はあったという認識
                   意識の向上     設備の改善

         改善の成果により成功報酬出す   評価委員会開催
                数字では算出困難、しかし効果ありということで成功報酬は出した。

         MHI側     収益あり、貢献した。

         しかし両社とも苦境にあったため継続は出来ず、スペイン側は大幅な組織変更・人員縮減
         経営は苦境に



◆ AESA技術協力の苦労など

  受入研修はToddの場合とほぼ同じ
     ただし、来日者は所長から作業長まで   さらに当方要請を入れて労組委員長4名。

  教科書はTodd向けにつくったものを使えたが、話は通訳が必要
     さいわい留学生などの適任者が得られた。

  一般包括契約は図面の供与、リアクションフィンの販売など5件で完結

  AESA向けの目玉は 神戸と現地におけるTQC指導     先ずは意識革命
     指導のコンセプト
        トップにコストダウンの鍵は TQC と信じてもらう。
        マネジャーたちに神戸のTQCをベースにした管理方式の実態を見て貰いやる気を起こさせる。
        現地に滞在して問題を一緒に解決しながら指導する。

  神戸における幹部研修(2回)    冒頭に渡邊がスペイン語でレクチャー
        社長から作業長まで各層一緒のチーム編成。      日本流のハードな実習。


AESA現地におけるTQC指導
                         現地での指導のキーはTQC大会、 如何にして盛り上げるか
                         旦那の宿題で奥様はご機嫌斜め、 その対策も
 
 

アンダルシアの青空に鯉のぼりが泳ぐ
             
 
 



                           長い歴史の中で見ると・・




大きな努力を払った Todd, AESA技術協力も
  最終的に歴史の流れを覆すには至らなかった


   この活動は長い歴史の流れから見ると“逆流”であった。
   すなわち造船後発国である日本が、先発国である米国・欧州に技術を指導した極めて珍しい例である。

   船の建造という労働集約型の活動は、生産管理、建造法、溶接などの技術的な側面だけでなく、
   “Social Structure” や “Endemic (地方特有の)Environmental Condition”と言った社会的な風土が
   関係してくる。 (Todd論文参照)

   指導する方は、このギャップを乗り越えるために様々な工夫をした。
   その内容は各スピーカーに話して頂いたが、この“涙ぐましい努力”にも関わらず、受け入れ国がこの
   ギャップを乗り越えることは難しかった

   また、指導する側の苦境もこのような単発の努力では克服するには至らなかったと言うべきであろう。
   指導に当たった当事者の苦労は貴重な先例になった。

   今後は自動車の例のように、資本進出による現地生産という形での技術移転が主流になるのではないか。
   1995年開始の川重南通は先駆者?  (KANRIN32号参照)

   12月27日三菱の発表に依ればインドに対して新しいタイプの造船技術供与を行う由
   「一粒の麦」は死んで多くの実を結ぶであろうか? 
                                                             おわり




◆ 補遺

   年末に古い資料を整理していたら添付のような新聞記事が出てきた。  1984年7月の日経?であろう。
  

 要旨は・・・

   最も早く技術輸出に取り組んだのは石播
   10年以上前から台湾、イタリアに技術指導
   ロイヤリティーはほとんどなし、
   昨年秋に英ハーランドウルフに
   標準船の図面供与と指導を開始

   三菱は米トッドに技術指導を開始

   石播もナスコに協力再開

   後進国向けには中国・大連へ日立が、江南へ三菱が

   三井が上海へ新たに対価を求めた協力を

   しかし、これらの協力には批判的な見方も出ている。
   急成長の韓国への供与は敬遠。



 
これから20数年が過ぎている、
 最早国際分業の動きは当たり前になってきているのでは?

The Map of Spain



          参考文献

1 : 「三菱神戸造船所75年史」 : 298p

2 : 「Sea-Land’s D9 Containerships:Design,Construction,and Performance」
                                      Richard J. Baumler, 渡邊俊夫、藤村 洋
                                      SNAME Transaction Vol.91, 1983:P225-256

3 : 「Technical Collaboration Between Mitsubishi Heavy Industries and Todd Shipyards」
                                 Lennart Thorell and Toshio Watanabe(渡邊俊夫)
                                 Journal of Ship Production, Vol.3 No.2 May 1987
           Presented at The Ship Production Symposium, Williamsburg, Virginia Aug.27-29 , 1986

4 : 「三菱重工神戸造船所100年史」 : 302p