日本船舶海洋工学会 関西支部 海友フォーラム K シ ニ ア
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軍艦の輸出
― 韓国のイギリスへの補給艦輸出契約成立 と 第一次世界大戦中の日本海軍 「樺型駆逐艦」 12隻の輸出 ―
 2012.04  岡本 洋
◆1.はしがき

1.1 韓国のイギリス向け給油艦受注

1) イギリス政府発表 ―― 今年(2012年)2月22日の発表 [1]
  「イギリス海軍は新型給油艦4隻を、韓国・大宇造船海洋に発注する」
   ― 「韓国の大宇、現代重工、イタリアのフインカンテイエリの3社」を選び、最終審査の結果、大宇造船海洋に
     発注を決定した。 艦種は、空母・駆逐艦などの業務遂行を支援する新型給油艦で、事業規模は
     4億5200万ホンドだ」という。 (概略8000億ウォン、588億円、) ―

2) 韓国防衛事業庁の論調
  本件につき、韓国防衛事業庁の関係者は 「(韓国が)伝統的に海軍大国といわれるイギリスに軍艦を輸出することに
  なり、ヨーロッパの軍用船舶市場に進出することになりその足がかりを掴んだ」 (KBS WORLD 2012.2.23) と評価した。

3) 韓国造船が拡大基調にはいったのは、戦後日本造船の急拡大より約半世紀も後で、事実上はオイルショツク数年後の
  1980年頃である。 然し、その発展速度は日本を凌ぐ急拡大で2000年には日本を捉えて新造船建造量世界トップの座に
  ついた。 今回受注についての韓国の報道は、この発展を背景にして、遂にその実力が軍艦市場でも認められたことを
  自賛したものと見ることができる。
  確かに、現在造船業界において顕在化している供給力過剰時代に対応する新分野として、先進造船国、英国に「艦艇
  輸出」に新たな成果を挙げたと言う事は韓国造船業会にとって一つのヒットと言えよう。


1.2 「海友フォーラム」での交信

  日本にも輸出実績がある ―― 上記イギリス政府の決定発表に先立ち、この受注が韓国造船所に絞られた時点の
  情報を、筆者は2012.02.17付けで、「海友フォーラム」に紹介した (この情報は、朝鮮日報2011.11.17を引用したの
  だが、数値に若干の間違いがある。 最新は本稿の数値。 違いの要点は、「艦種は1万5000トン級」 → Δ=37,000ton、
  予算£=452M、約570億円等)。

  これに対して、メンバーの藤村洋氏、石津氏より、「「新興造船国が老舗造船国へ軍艦を売る」と言うことでは日本も同じ
  ようなことをやっています」として、「舞鶴がフランスに駆逐艦3(?)隻、播磨造船が中国に砲艦2隻、三菱がシャム(タイ)
  に潜水艦2隻ある」という指摘があった。
  また石津氏よりは、更に詳しく、「第一次世界大戦時、日本海軍は12隻の樺級駆逐艦12隻を半年で急造、ドイツ潜水艦
  作戦に対応して、駆逐艦不足に悩むフランス海軍に輸出した」との要を得た情報が寄せられた。
  全くその通りで適切な指摘であった。


1.3 本稿の主題

  両氏の指摘は、上記ニュースに関するひとつの興味あるポイントなので、
  本稿は 「軍艦輸出と日韓のケース比較」 (以下日韓とは、日本は樺級輸出、韓国は今回の英国向け) を主題とする
  ことにした。

  尚、このほかにも、城野氏からは、我が国の「武器輸出三原則」関連のコメントが寄せられた。 
  これは、「現在、日本ではどうか」と考えた時には当然横たわる重要な関連テーマである。
  筆者も当初から関心があつた問題の一つでもあるので、考察の中で簡単に触れることにした。


1.4 日韓の比較の要点 ―― 詳細は本文で考察するが、要点の概略は次ぎのとおり

  ①相似 ―― 先進造船国への艦艇輸出としては、相似するところが,多い。 然し、
  ②相違 ―― 受注形態、設計・仕様ベースでは大きく異なるのが特徴。 韓国のケースは、入札による受注により、
           技術もさることながら、価格の強みによる成果であるのに対し、日本の樺級駆逐艦の場合は、
           フランスよりの強い要請によるもので、設計、仕様はすべて日本ベースで進められた特殊なケース
           である点の違いが大きい。 多くのサイドストーリーに興味ひかれる。


◆2.英国新型補給艦の建造

2.1 プロゼクトの概要 ―― イギリスの発表 (Royal Navy hp ほか) [1]

 予算£=452M (4.52億ポンド―約8000億ウォン、588億円)
 New Royal Fleet Auxiliary Tanker 4隻    Loa>200m   Δ=37,000ton   Tanker
 New Military Afloat Reach and Sustainability Tanker (MARS)
 MARSは、非常に汎用性のあるplatformで、空母、駆逐艦に燃料補給すると同時に
 ヘリコプターその他艦艇への補給をする。
 設計 ―― BMT Defence Service (英)  (艦艇、潜水艦、その他の設計の独立会社) 
 就航 ―― 2016年より。  構造 ―― 二重底構造タンカー
第1図  英新型補給艦の概要

第2図  新型英補給艦図

2.2 英海軍補給艦

1) 組織
  英国補給艦は国防省内でRoyal Navyとは別組織のRoyal Fleet Auxiliary, RFAに所属する。 艦旗も正規海軍の軍艦旗
  の「白地にユニオンジャック」(ホワイト・エンサイン)と区別し易い「ブルー地の(ブルー・エンサイン)を使用し、階級名も
  海軍式ではなく商船式が用いられる。 艦艇名も"Royal Navy"の艦艇には"HMS"が冠されるが、補助艦隊の艦艇には
  "RFA"が冠される。 基本的には、その成り立ちから補助艦隊は組織、階級、要員は「民間」である。
  然し、国際的には軍人扱いされるという。
  コモドール(最高指揮官 准将相当)、キャプテン(大佐相当)、チーフ・オフィサー(中佐相当)、ファースト・オフィサー
  (少佐相当)、セカンド・オフィサー(大尉相当)というのは正に商船並みで興味深い。
  補給艦は商船の転用という考え方が残っているようにみえる。 設計、建造、発注にも正規の艦艇とは異なり商船的な
  柔軟性があるかもしれない。

2) 補給艦
  種類別として、 AO (給油艦)、 AE (武器、弾薬)、 AFS (食料,給糧)、 AOE (総合)、 AKE (ドライカーゴ゙、燃料、
  貨油、真水 etc)が有るが、英国には下記の、4種計8隻(一部資料では6隻)が就航中。

 英   ① AO (ローバー級)          ΔF = 1.15万t  (1973年就航) 2隻
 ② AE (フォートグランジ級)      ΔF = 2.34万t  (1978,1979年就航) 2隻 
 ③ AOE (フォートヴィクトリア級)    ΔF = 3.66万t  (1993,1996年就航) 2隻 
 ④ AO (ウェーブナイト級)       ΔF = 3.15万t  (2003年就航) 2隻
 新型 AO                  ΔF = 3.70万t  (2016年より就航)4隻
 日   ① AOE (とわだ級)  ΔF = 1.58万t  (1987、1990年 × 2、就航) 3隻
 ② AOE (ましう級)   ΔF = 2.5万t  (2005年就航) 2隻
第3図  日英の補給艦
(上記 英 の就航年次の古いもの4隻が新型のダブルハルタンカーに代替されるものと考えられる。)   

2.3 英の海外発注と国内への配慮など


1) 国内受注分 ―― 今回の韓国への発注について国防省は、「契約に当たっては世界の造船所の中から決めたもので、
  英国にとってベストの船価で納税者にとって最良の選択だと信じている」と説明し、更に国内分として 「このプロゼクトに
  関連して英国企業は
    「①主要機器・システム・設計・サポート・サービスなど£90M(約117億円)、 ②改造、試運転 その他特殊
    エンジニアリング・サービスで£60M(78億円) 」 により 計£150M(約195億円)のbenefitが得られる」
 と
  国内への気配りを示している。

2) Royal Navyの防衛支出 ―― 本件に関しての国防相は次の様にも発言 [2] している。
  「このタンカーの支出は、今後10年間に予定される 45型駆逐艦、クイーン・エリザベス級の空母、Astute級攻撃
  潜水艦、数千人の雇用を含む数十億ポンドの投資の一部である。 英政府は新型Warshipsの英国造船所での
  建造を留保している」
 (ピーター・ラッフ国防相)。
  また、補助艦隊長官、装備局長共々にこのタンカーが世界の造船所業者の競争の中から得られた契約で、将来のアップ
  グレードを念頭に設計されていること、 ヘリ補給を受けている間にも空母、駆逐艦に給油できる例外的な多能プラット
  フォームだと、特殊性を強調しているようにみえる。

3) 英国の造船と艦艇建造 ―― 英国の造船にはもはや往年の世界的存在はない。
  商船の新造建造量は、世界はおろか欧州域でもCESA(欧州造船工業協議会)参加16ケ国中14位の最低で、2010年竣工
  6隻、1,000GTに過ぎず、世界統計には出てこない。
  英国は2010年の総選挙で労働党から保守党と自由民主党の連立政権交代したが、そのキャメロン政権は財政赤字の
  削減に躍起となっているので、コマーシャルベースを考えると最早、英国内受注の競争力は残っていない事は自明である。
  今回の韓国への補給艦発注は、補助艦艇のタンカーである事とこの様な政治経済的背景を考えると良く理解できる。
  艦艇建造分野でみると、欧州造船界は金融危機と新規受注に苦しむ中で、2012年を造船危機ととらえ、艦艇需要に注目
  している。 英国では、VT Shipbuilding(Vosper+Thonycroft)を合併したBAE Systemsが防衛産業の中心に集約されている。
  同社は2008年には世界の軍需・国防分野の世界第1位、2009年には首位をロッキード社にゆずって第2位のコングロ
  マリツトだが、これら国内防衛産業を考慮したのが前記 [2] の国内向けの発言であり、英国は海外貿易とシーレーン
  確保のために戦略的海軍力を必要としていることを強調している。


◆3.我が国の軍艦輸出

  明治の帝国海軍創設以後は主としてイギリスより艦艇を調達したが、その中で日清戦争(1894~95、M27~28 )準備段階
  などでフランス海軍の援助をうけている。 その後の海軍工廠、国内造船所の整備と、時々の国際情勢の下で多くの軍艦
  の輸出がおこなわれた。 藤村、石津氏の指摘するように樺型駆逐艦のフランス向け以外は全て造船先進国ではない。
  概要は次ぎのとおり

3.1 総括

No. 仕向け国 艦種 隻数 造船所 Δ ton Loa m Note
フィリピン 砲艦  1903  播磨 350 42.7  鉄骨木皮
中国 砲艦  1906  川崎 525 51.8  浅喫水河川砲艦
砲艦  1906  川崎 740 58  14.76 Kt
中国 水雷艇  1907  川崎 89 40.1  
タイ 水雷艇  1908  川崎 89 40.1  
タイ 駆逐艦  1908  川崎 375 69.2  
中国 砲艦  1913  川崎 830    
砲艦  1913  三菱長崎 830    
フランス 駆逐艦 12  1918  6社×2隻 665 79.3  28 Kt  樺級駆逐艦
中国 巡洋艦  1932 (S7)  播磨  2,526  109.6  
満州 砲艦  1933 (S8)  川崎 15 16.6  
10 満州 砲艦  1933 (S8)  三菱神戸 65 30  
11 満州 砲艦  1934 (S9)  播磨 270 52.6  
12 タイ フリゲート  1937 (S12)  浦賀  1,400 82  
13 タイ 警備艇  1937 (S12)  石川島 110 40.1  
14 タイ 小型潜水艦  1937 (S12)  三菱神戸 430 51  
第4図  我が国より輸出された艦艇

3.2 最初より樺型駆逐艦輸出以前まで No.1~No.6の概要

     件数 ― 計6件。  輸出先 ― 中国、ヒリピン、タイ向け。  以下年代順に、1)~6)

1).フィリピン向け砲艦 5隻 浦賀造船所   排水量350ton  鉄骨木皮構造
  我が国最初の軍艦輸出。 1番艦引渡しは1903(M36)年1月 ― 日露戦争の前年。
     L x B x d = 42.7 x 6.1 x 2.4 m 、2軸 連成機関、450馬力 10ノット 速射砲3門
  艦名 [ロンブロン、マリンダキュール、 ボホール、 セビュしー、 ジョロ]
  引渡し「1903年1月21日(第1艦)、同年4月22日(第2艦)」 (受け取り拒否のトラブルをその後解決) 但し、第3艦以降の船は、
  翌年に起こった日露戦争のために日本陸軍の買収する所となり、第1、2、3扇海丸と命名され、後に税関監視船となった
  という、戦争に翻弄された特殊なケースである。
  1898年米西戦争 (1898.4.25~1898.8.12) の結果アメリカの統治下になったフィリピン政府の砲艦調達計画を知った
  浦賀・塚原社長がマニラに渡り、1902年2月12日、建造契約されたもの。

2).中国向け砲艦 10隻 川崎造船所   浅喫水河川砲艦  川崎独自設計
  ① 江元型4隻 1番艦 1906年2月25日完成 と 追加艦3艦 ~1907.11.19
      排水量525ton   L x B x d = 51.8 x 8.5 x 2.1 m   ヤーロー2缶、 1,487馬力 14.76ノット (試運転)
  ② 楚泰型6隻 1番艦1906年8月25日~6番艦1907年12月10日
      排水量740ton   L x B x d = 58 x 9 x 2.4 m   1,350馬力 13ノット 

 川崎造船は1899年以降ドイツ製水雷艇(83トン型4隻)、翌年フランス製水雷艇(150トン型)の組み立て、日露戦争(1904~05)
 前後に順同型2艦を国産。更に375トン型駆逐艦5隻と、国産潜水艦2隻を建造。 艦艇建造の地歩を固めていた。

3).中国向け水雷艇 4隻 川崎造船所   1907年5月31日~1908年3月16日完成

4).タイ向け水雷艇 4隻 川崎造船所   1908年6月25日3隻、1913年7月22日1隻完成
    排水量 89ton   L x B x d = 40.1 x 4.9 x 1.0 m 、  ヤーロー2缶、 1,200馬力 23ノット 

5).タイ向け駆逐艦 2隻 川崎造船所   1908年6月25日1隻、1912年5月2日1隻完成
    排水量345ton   L x B x d = 69.2 x 6.5 x 1.8 m 、  ヤーロー4缶、 6,000馬力 28ノット 

6).中国向け砲艦  2隻 川崎造船所・三菱長崎造船所   各1隻
    排水量830ton   L x B x d = 62.5 x 9 x 2.4 m 、  1,350馬力 13.5ノット
    楚泰型のLのみ延長 共に、1913年1月7日と1月9日完成。

3.3 No.7

7).樺型駆逐艦  第一次世界大戦末期、(1918(T7)、  フランス向け12隻
  海軍4工廠 (横須賀、佐世保、呉、舞鶴)  + 川崎造船所・三菱長崎造船所  各2隻
  1918(T7).9.19 と 10.30 第一次大戦の戦時下のエジプトポートサイドにてフランス海軍に引き渡した。
  詳細は次の4項に示す。


第5図  樺型駆逐艦

3.4 昭和以降、太平洋戦争開始1941(S16)年まで

 8).中国・中華民国向け 巡洋艦 計2隻   播磨造船所。  1932(S7)年7月3日1番艦完成。  2番艦は上海・江南
  造船所で当方の設計図面、建造指導の下に船体完成後、相生に回航、主砲工事(独製高角砲88mm x 3門)の後、翌年
  6月18日 上海帰着。
    排水量2,526ton   L x B x d = 109.6 x 11.9 x 4.0 m、  9,500馬力ピストン機関、 23ノット

 9).満州国向け 砲艦 3隻   川崎造船所。  1933(S8)年7月10日渡し。
  一旦組み立て後、分割してハルピンに貨車輸送後、現地組み立て。
    排水量 15ton   L x B x d = 16.6 x 3.4 x 0.50 m、  80馬力ガソリン機関、 10ノット、  47mm砲x 2 

10).満州国向け 砲艦 2隻   三菱神戸造船所 (同所最初の外国軍艦)。  1933(S8)年8月23、26日渡。
    排水量 65ton   L x B x d = 30 x 4.9 x 1.4 m、  270馬力、 11.7ノット、 曲射砲3門、 7.7mm機銃x 3

11).満州国向け 砲艦 4隻   播磨造船所。  1934 (S9).10.18 及び 1935 (S10).8.31渡。
    排水量 270ton   L x B x d =52.6 x 8.8 x 2.4 m、 Dx2、500馬力、 12.5ノット、 12cm連装高角砲1門、
    137mm連装機銃x 3 ・・・ 後の2隻は L=+2m。

12).タイ向け フリゲート 2隻   浦賀ドツク。  1937(S12).6.12完成 (兵装は呉海軍工廠)。
    排水量1400ton   L x B x d = 82 x 10.5 x 3.2 m、  2500馬力、 18ノット、  12cm砲4門、ほか

13).タイ警備艇 3隻   石川島造船所。  1937(S12).6.21完成。
    排水量110ton   L x B x d = 40.1 x 4.7 x 1.2 m、  1500馬力、 18ノット、 短8cm高角砲1門、ほか

14).タイ向け 小型潜水艦 4隻   三菱神戸造船所。  1937(S12).9.3、翌 1938.(S13).4.30  各2隻
    排水量430ton   L x B x d = 51 x 4.1 x 3.6 m、  水上1,000馬力、14.5ット、(水中540馬力 7.5ノット)


◆4.フランスへの駆逐艦の輸出

4.1 概要


 概要  樺型駆逐艦 計12隻。第一次世界大戦中、仏海軍の懇請により、日本で急速建造の上、
 戦時中の仏・地中海艦隊へ引き渡す。 独潜水艦対策の船団護衛用。
 建造所  4海軍工廠 (横須賀、佐世保、呉、舞鶴)、 川崎、 三菱長崎、 計6か所  各2隻
 艦名  アルゼリアン、 アンナミト、 アラブ (第7図)、 バンバラ、 オーヴァ、 カビール、
 モロカン、 サカラブ、 セネガレ、 ソマリ、 トンキノア、 ツアレグ
 建造契約  ①フランスよりの建造依頼の始まり ・・・
      第一次世界大戦中 (1914~1918年) の 最中の 1916 (T5).10.22
 ②契約締結 1917 (T6).3.29
 建造期間  建造期間 5か月、  日本海軍仕様
 引き渡し  1918 (T7).9.19 と 10.30、 ポートサイドにてフランス軍に
第6図  樺級駆逐艦のフランスへの輸出


第7図  樺級 駆逐艦 アラブ

4.2 経緯

1) 交渉の開始 ―― フランスより申し入れ (以下資料より引用、編集)。
  第一次世界大戦も1916年(T5)5月31日のユトランド沖海戦によって主力を失ったドイツ艦隊の大規模行動は、以後下火と
  なつたが、潜水艦による通商破壊は一向に止まらなかった。 その年(1916年)の10月22日、パリの松村大使館付武官は、
  フランス海軍軍令部長に招かれた。
  「フランス駆逐艦の大半は、開戦後の過度の使用から今や船体機関の故障が続出し、速力はわずか12ノット内外を出ない
  窮地にある。 駆逐艦の修理、補充は困難な状態にあり、イギリス、イタリア両海軍に相談したが到底応じて貰えない。
  そこで日本駆逐艦若干の譲り受けはできないものか。 なるべく大型で製造年の新しいものが望ましい」
  この依頼は直ちに鈴木貫太郎海軍次官に報告された。 しかし当時の海軍省は、世界大戦参戦のため駆逐艦の不足を
  1914年の議会に訴えて、ようやく10隻の建造予算が認められたところであり、新型駆逐艦に余裕があるといえるはずが
  ない。 また、ロシア、イタリアの両海軍からもすでに同様の懇望があったが、捕獲艦の返還やイギリスで建造中の駆逐艦
  「江風」の譲渡は別として、申し出を断っている。 そこで折り返し「鋼材をフランスが供給するならば、日本で駆逐艦8隻を
  建造することができる。 材料の到着後、665トンの樺型であれば6か月で引き渡しが可能である」との回答が送られた。

2) 日本の超造船ブームと鋼材不足 ―― この時期は第一次世界大戦(1914~18)も半ばに達し、国家総力戦の様相を
  深めていた頃である。 冒頭の「1916.5.31のユトランド沖海戦」は第一次世界中て唯一の英独の主力艦同士による決戦
  で、デン-ク半島沖の北海での海戦である。 「戦術的には英の僅差の敗北で戦略的には勝利」ともいわれている。 
  英の損失は巡洋艦3隻を含む合計14隻、合計排水量11万5千トン、ドイツは11隻6万2千トンで、英のほうが被害が大きい
  が、元の保有艦隊規模の劣るドイツ側は、この戦いにより制海権を失うことになる。 以後潜水艦攻撃に比重がうつり、
  「翌1917年2月1日遂に無制限潜水艦攻撃を宣言」するにいたる。 そのため開戦当時からうなぎのぼりの商船の需要は、
  戦場より遠く離れ直接参戦していない日本に「超造船ブーム」もたらした。 例えば、川崎造船は見込み生産として所謂
  「ストックボートの連続建造」をおこなっている(1916年(T5)~26年(T15)の11年間に96隻・計55万8,694GT)。
  その中で1918年(T7)建造の「来福丸(5,857GT)」では、「起工後わずか30日で完成」、それまでアメリカの造船所が保持
  していた短期建造世界記録を一挙に7日も短縮する快記録を樹立した。 この間川崎造船は1917年(T6)下期~20年(T9)
  下期まで最高40%の高配当をおこなっていることが、当時の異常な好況をあらわしている。
  しかし一方で、そのための鉄鋼は主に輸入に頼る産業基盤の脆弱さをはらむもので、大戦の勃発と船腹需要の増大で
  鋼材不足は深刻な問題になる中、鉄鋼の生産国の英は1916年4月(T5)、米は翌1917年(T6)相次いで鉄の禁輸に踏み
  切る。 この鋼材の逼迫の対策として、我が造船界では当時の川崎造船所・松方幸次郎社長のアイディアで「船鉄交換」
  の実現に自ら渡米奔走、交渉に応じない英国を断念し、官民の協力を得て遂に米国と1918年(T7)3月妥結、同4月、5月の
  第1、第2次の条約締結にこぎつけ、「我が国は1920年(T9)5月までに米国から鋼材25万余トンの供給を受け船舶を14社
  で45隻37万6,000DW供給することになつた。 フランスから駆逐艦の供給要請を受けたのは、日本造船界がこのような
  情況下にあった事を考えると、軍事、政治情勢と併せ考えてわが国の対応の大要が理解できる。

3) 契約 ―― 我が国の提示に対してフランスは、工期の早い樺型を選び、8隻を12隻にするよう希望してきた。
  しかし,アメリカからの鋼材輸入は翌年6月の到着となる事がわかり、日本軍艦用として日本の製鉄所に予約済みの材料
  を流用することになった。
  その後、フランス海軍は種々の注文を付けて難航したが、年が明けて1917年(T6)2月1日のドイツによる無制限潜水艦
  作戦宣言に続き、3月29日、加藤友三郎海相とルニョオ駐日フランス大使の間で「駆逐艦建造協定」が成立した。
  その協定により12隻の竣工期限は、1917年(T6)9月15日、ポ-トサイト回航期限は同11月1日、建造は日本海軍の
  造船規定によることとなり、樺級建造に経験のある横須賀、呉、佐世保、舞鶴の4工廠と川崎、三菱長崎の両民間会社が
  2隻ずつ分担して各艦わずか5か月のスピードで完成させた。
  艦名は受領後アルファベット順に種族の名がつけらけたが、建造中は順番に「仏国1号~12号駆逐艦」と称された。

排水量 Δ=665ton、  Loa=79.3 m、 B=8.8 m 、 d=2.4 m、  レシプロ 10,000 Hp、 V=29 Kt
12サンチ 砲1門、  8サンチ 砲3門、  8サンチ 高角砲1門、  機銃 2挺、  45サンチ連装発射管2基

  樺型との相違は8サンチ 3番砲が高角砲になっている事と、搭載艇2隻を4隻に増加したことである。 
  尚樺級は計画出力9,500馬力、速力30ノット と公表されているが、公試馬力は10,000馬力を超えているので、実馬力は
  10,000馬力と称している。 しかし速力は逆に樺級が公試で30ノツト に達しないことがあったので、29ノットと称して領収時の
  トラブルを避けている。
  これはフランスからの要請による建造という背景から、性能について無理をするまでもない事を示している。
  この日本製駆逐艦は、砲と砲弾がイギリス式と共通でない点が難点であったが、経済的な護衛艦として地中海の対
  潜水艦戦に活躍し、戦後もブレストを基地として1933?36(S8?S11)まで全艦在役した。


◆5.まとめと考察

1) 日本のフランスへの駆逐艦輸出  (以下、樺級駆逐艦輸出)

① 時代背景 ―― 第一次世界大戦(1914~’18、T3~7)では、日本は日英同盟に基づいて開戦1月後
       ドイツに宣戦布告して連合国の一員として参戦、然し、主力の欧州戦線には不参加。
② 連合国の駆逐艦不足 ―― 連合国は欧州戦線でドイツ潜水艦の執拗な攻撃に対抗するための
       駆逐艦の不足に悩む反面、戦争特需を満喫する日本に他の参戦国からの不平等感の存在。
③ フランスよりの要請 ―― フランス政府より日本に駆逐艦の譲渡申し入れにより本事案が進展。
④ 日本造船界のブームと鋼材不足 ―― 日本造船界の特殊な事情の中、フランスより鋼材支給、
       日本仕様の条件で建造、現地渡しという我が国のペースによる建造決定。
⑤ 急速建造5ケ月 ―― 新進造船国ながら、急速建造を可能にするレベルに達していた日本の技術力。

  日露戦争に勝利して世界海軍国として名を連ねたが、海軍創設と造船技術の立ち上げからわずか半世紀に満たない新進
  造船国日本が、かって教えを乞うた先進フランスに、この時期12隻という可なり纏まった隻数の輸出が成立したのは、上記
  に見るように特殊の条件が重なっていたとはいえ、一つの大きな技術的成果といえる。

2) フランス海軍との関係
  フランス海軍が日本海軍、造船に果たした貢献は幕末より明治20?30年代まで非常に大きい。 複数の招聘海軍技術者の
  業績とその教育指導を受けて後に海軍技術の中枢で活躍した者も多い。 例えば、日本海軍艦艇建造技術の立ち上げに
  貢献したフランス海軍からの招聘海軍造船官エミール・ベルタン (1840~1924、滞日1886~90) と、その指導をうけてのち
  に海軍造船大監となる辰巳一 (1857~1931) の活躍も、この事案の背景として非常に興味あるものである。
  ベルタンは優れた造船技術としてフランス海軍造船学校の教官として、当時留学した辰巳一を指導、のちに日本海軍に招
  かれ日清戦争の勝利を決定づけた帝国海軍の三景艦 (防護巡洋艦・厳島、松島、橋立) を設計 (基本設計)、辰巳は、
  その建造地フランスに派遣されて、詳細設計の展開など全般にその任を果たした。
  又ベルタンは呉、佐世保海軍工廠の建設にも指導的に関与し、彼の遺産とされる。 横須賀海軍工廠の建設も幕末から
  滞日したフランス海軍技術者レオンス・ヴェルニー (1837~1908、滞日1865~1876) の指導によるものことを考えると、
  日本海軍造船技術へのフランスの影響の大きさに改めて驚かされる。

3) 韓国の英国への補給艦輸出
  今回の韓国の事案と、日本の樺型駆逐艦の輸出は、共に新興造船国からの老舗造船国への軍艦輸出ではあるが、色々
  の点での相違が明らかになった、纏めると
   ①韓国の場合は、ビジネス原理指向 ―― 中国と共に急拡大した建造設備に対して既に始まっている大きな需給
     ギャップの中での、新造船の発注減少、過当競争と採算性の低下などの対策としての自発的な販路拡大、新市場
     獲得の強い経営目標があったに違いない。
   ②日本の「樺型駆逐艦のフランス輸出」の場合は、政治的背景 ―― 第一次世界大戦下、遠隔の東洋で大戦特需
     のブームを満喫していた日本にたいして、ドイツ潜水艦作戦に駆逐艦不足に悩む欧州連合国の強い要請に止むなく
     応じたという事情があった。
   ③韓国の輸出は英国海軍向け補給艦と称されているが、
    
 「Royal NavyではなくRoyal Fleet Auxiliary補助艦隊向け」であり「Tankerとして扱われている」ようで、商船入札の
     要素が高い。
     「英国Royal Navy向けの艦艇」ならば国際入札するとか、韓国が受注、建造する様なことは先ずないと考えるのが普通
     であろう。 反面、インドネシア向けに輸出した潜水艦のような新興国向けのケースは韓国の事例があるように、今後も
     不安定さを増す中国周辺で進められる事は十分に想定される。 欧州諸国も同様に志向しているので政治がらみの
     複雑な展開が進行中と予想される。
   ④英国キャメロン新政権とアルゼンチンとの間では、「フォークランド紛争」から今年4月2日で30年になる今、海底
     資源をめぐりこの海域で再び緊張が高まっている。 今回のRFA補給艦更新はその為との観測が多い。
     「1982年3月から6月にかけてのフォークランド紛争」では英国は計16隻の補給艦を参加させている。 多くの損害を
     受けながらようやく勝利をかちえた英国はこの戦いで多くの戦訓を得た上での前記の英国防相の軍備強化の声明
     だと理解できる。 3か月のこの戦いでの両国の被害(英国/アルゼンチン)は「死者 256/645、負傷者 777/1,048、
     捕虜 115/11,313、被撃沈 駆逐艦2隻/軽巡洋艦1隻、フリゲート2隻/0隻、揚陸艦1隻/0隻、コンテナ船1隻/0隻、
     擱座潜水艦0隻/1隻、航空機34機/100機」と、被害の激しさが記録されている。
   ⑤新興造船国の技術進歩スピード ―― 日本の「樺級駆逐艦輸出」の場合は、幕末時の横須賀製鉄所を源流と
     して1871年 (M4)に帝国海軍所管の「横須賀造船所」となった後、のち1903年 (M36)横須賀海軍工廠となったことを
     考えると、1917年(T6)のフランスへの輸出は全くのゼロからスタート後約40年の先進海軍国への正規の艦艇輸出と
     見ることができる。 韓国の場合は、格段に恵まれた20世紀末の工業化社会の中での、ほぼ同じく立ち上げから約
     40年の今回の事案ということができる。 内容の違いは大きい。

4) 「武器輸出三原則」
  1967年(S42)佐藤首相の国会答弁に始まり、その後1976年(S51)の三木首相により付加された項目が、これに当たる。
  艦艇の場合では、つまるところ武器を積んだ護衛艦は輸出は慎むという事である。 韓国の英国向け補給艦も兵装を無し
  ならば、日本も理論的には輸出可能なはずである。 然し、現実問題として政治外交環境が赦すかどうかは不確定と言わ
  ざるを得ない。
  日米共同の防衛機器開発の成果を第三国に輸出・供与しようとする米国の方針を受けたともいわれる野田政権は昨年
  2011(H23)年12月にこの「武器輸出三原則」を大幅に緩和した。 今後は新しい展開が期待できるかもしれない。
  本項については城野氏も指摘した問題点であるが、ここでは特に取り上げないことにした。

5) 日本の樺型駆逐艦を含む艦隊の派遣と活躍
  わが帝国海軍は上記の「樺級駆逐艦」をポ-トサイドで引き渡す1917年 (T6) 11月まえに止む無く地中海戦線とインド洋
  への艦隊派遣を余儀なくさせられた。
  派遣を固辞し続けていたが、「連合国戦争指導会議に於いて、日本の非協力体制を非難する決議が採択される可能性が
  出てきた」からで、国内の「参戦不要」世論を押しての艦隊派遣を決定するにいたる。
  然し、幸いにもその引き換えに日本は連合国との間で、戦後に「山東半島、赤道以北の南洋諸島のドイツ利権の保証」を
  えるという密約を結ぶことに成功した。

派遣編成  1917年 (T6) 2月7日、地中海には巡洋艦 「明石」 及び樺型駆逐艦計8隻からなる
 第二特務艦隊を派遣、後に桃型駆逐艦などを増派し合計18隻が派遣された。
成 果   1917年後半からの 「アレクサンドリア(エジプト) → マルセイユ」 への兵員転送
    (西部戦線の劣勢挽回に多大の貢献) の船団護衛 (対独Uボート対策)。
  その他インド洋、地中海での輸送船団護衛 ― 商船787隻、計350回。
被 害   駆逐艦「榊」が潜水艦攻撃を受け大破、戦死59人。他を含め計78人戦死。
顕 彰   司令官以下27名が英国王ジョージ五世から勲章をうけた。
  日本将兵78名の戦死に対し、マルタ島のイギリス海軍墓地に顕彰碑建立される。
日本派遣の特務艦隊の概要

  結果的に相当な犠牲を伴うことになるが、実質的な見返りを確保出来てせめてもの成功といえるのではなかろうか。


◆6.むすび

  韓国大宇造船海洋の英国向け補給艦の受注について、これを新進造船国の先進造船国への艦艇輸出の観点から考察
  した。 韓国のケースは韓国メデイア、英国Royal Navy、英国防衛関連情報によったが、現在進行中であり不確定な面も
  免れない。
  これに対比したのは、約100年前の第一次世界大戦時に、ドイツ潜水艦の攻撃などで駆逐艦の不足に悩むフランスから
  強い要請を受けて、12隻の「樺級駆逐艦」を国内4海軍工廠と川崎、三菱長崎の6か所で各2隻分担し5カ月という急速
  建造の後に地中海の現地に引き渡した事案である。
  これについては、建造・引き渡しに至る日仏海軍の交渉経緯は勿論だが、その後やむなく日本が18隻に上ると特務艦隊を
  地中海に派遣したこと、そして彼らが多くの犠牲を払いながらも成果を上げ、英仏から高い評価を受けていることなどの
  サイドストーリーに満ちている。
  更にフランス海軍が日本海軍の立ち上げと日清戦争の戦勝に大きく貢献したことにも触れた。
  明治、大正と我々の先輩が明治維新後の海軍立ち上げ、日清戦争、第一次世界大戦としたたかに国際社会の中で勝ち
  残ってきた状況の一端を見ることが出来た。
  又、韓国の艦艇輸出という新分野への挑戦は、今後も見守るべき分野のように思われた。
                                                                    (おわり)



                    参考文献

 [1].  “Government to spend £452M on four New Royal fleet Auxiliary Tanker” 22/02/2012
         http://www.royalnavy.mod.uk/The-Fleet/Royal-Fleet-Auxiliary
 [2]. 「South Korean firm Daewoo wins Royal Navy tanker deal」 Jeff Taylor,Feb.22nd 2012
       The Economic Voice,11th April 2012,   http://www.economicvoice.com/
 [3]. 「明治以後日本が輸出した艦艇について」 中名生 正己 「世界の艦船 1982.11」
 [4]. 「90年の歩みー川崎重工業小史」  川崎重工業(株)  昭和61年10月15日
 [5]. 「日本海運うら外史」 第1巻  矢木 憲爾  潮流社  1986年5月20日
 [6]. 百科事典、 その他 HP各種 
                                                                    以上