Kシニア の トップに戻る 海友フォーラム の トップに戻る 2013年 の トップに戻る


チロル紀行  旅の概要  その7 (ザルツブルグ)
目次に戻る
<ザルツブルグ>

イタリア側ローカル列車


 9月16日:日曜日ドロミテ地方を去り、東チロル経由最終目的地ザルツブルグへ移動する日である。 

 9.25のバスでDobbiaccoの鉄道駅に向かう。 気持ちのいい林間道路を北上すること25分。 駅前は、清潔で静かなところ。 何も観光地の真ん中に泊まらずとも、バスの運賃は安いのだし、こんなところに長逗留するのもいいなあと思わせるようなところである。

 立派な駅なのに無人駅。 どこかに切符売り場はないかと構内を歩き回るが、見当たらない。地元の人らしき中年男性が、次の駅なら買えるだろうと。

オーストリア側列車


 次の駅San Candidoはイタリア側の国境駅。 ここでオーストリアの鉄道に乗り換える。 チロルの真ん中を通るローカル線なので、国境を越えて走るInterCityは走っていない。 国境で鉄道は切れる。

 ところでSan Candidoも無人駅である。 自動券売機が1台あった。 ドイツ系らしい若者が使っているので、まねすべく後ろに立って覗き込んでいたが、彼氏は当惑したような顔つきをして切符購入を諦めてしまった。 ドイツ人があきらめるのに私ができようはずもなく、先の中年男性も、列車の中で車掌から買おうと言っている。 結局そうした。DobbiaccoとSan candido間はタダ乗りとなった。

車窓より東チロルの眺め


 列車は、東チロルの幅広い谷間をゆっくり東に向かって走る。 両側の山の斜面には上の方にまでポツポツと民家が点在し、教会の尖塔があちこちに見える。 まるで夢のような景色である。

 何も有名地にこだわることはない、こんな田舎でぼんやり過ごせばどんなによいだろうと想像ばかりを膨らませる。 途中のSpittal-Millsttaterseeで乗り換え。 1時間ほどの待ち合わせ時間があるので、昼食でもとろうと思うが、日曜の昼下がりは、どの店も閉まっていて、駅前は森閑としている。 こんな田舎では、今だに日曜は完全に休みである。


車窓より東チロルの眺め


 乗り換えた列車は、次第に北方に向きを変え、山間部を走る。 ドロミテのような高山は見えないが、山岳地帯である。 そこから突然ザルツブルク駅に到着する。

 ザルツブルグは、チロルに隣接していて、ここより西には、チロルの山岳地帯、東にはウィーンからハンガリーに至る大平原地帯をひかえる位置にあることがわかる。 この感覚は、来てみないで地図を眺めていただけではわからないものだ。

 モーツアルト誕生の地、音楽祭、古城というイメージは、私の中では、どちらかというと落ち着いた、やや地味な先入観を与えていたが、にぎやかで完全な観光都市といった方が早いように思う。 事前の調査では、町はずれのロープウェー登山、旧市街、・・・と続いていたので、ここでも三日間有効なカードを購入して、この順で過ごすことにした。 3日目はお土産調達などのための予備日とした。

 宿泊したホテルGuter Hirteは、これまたネットで調べたところである。 駅からそんなに遠くないのに、120ユーロと観光都市としては意外に安いのである。 駅からの順路は、事前に連絡を得ていたものの、XXX通りをこう行って、ああ行ってと、いと簡単に書いてあるけれど、いざ駅頭に立ってみると、まず云っている通りがどこにあるのか、左に行くのか右に行くのかもよくわからないことがある。 この点日本は便利である。たいていの駅には、付近の街路地図がかかっているから、ほとんどそれで間に合う。 今度の旅でそのような地図にはお目にかかったことはない。

 コルティナのホテルのフロントでおすすめレストランを聞いたとき、40mほど行ったところのレストランがいいよと教えてくれたのだけど、それは約200mほど先であった。 200mを40mとみなす感覚はいかがなものかと思ったけれど、だいたい彼らは、地図を見るのも苦手だし、距離で表すのも苦手のように思う。 XX通りをOOブロック行って、左に入ったところのような表現の方が多く、それがどのくらいの距離かわからない。通りの名前がいつの間にか変わっていたり、通りが曲がっていたりすると、お手上げである。 ニューヨークのような碁盤目の町ならいいが、ヨーロッパでは、曲がりくねった通りも多く、距離感や方向感覚が掴みにくいのである。

 何はともあれ、駅の観光案内所で確認するのが1番である。 近いよと言われて、歩いてゆくが、彼女が簡単そうに言うほどには、慣れない者には簡単ではない。 得意の勘を頼りに角を曲がると、目の前に当のホテルが現れた。 いいホテルを見つけたな、どうして見つけたのだと、観光案内所の女性に言われたけれど、こちらには、意味することが分からない。 このホテルは、駅から観光の中心地区とは反対方向の住宅地の中にひっそり建つ、観光客よりビジネス客向きのホテルのようにみえた。 部屋は清潔かつゆとりがある。 内装もシンプルではあるが、とても色調に気配りされた上品なホテルなのであった。

 さて次の日、25番のバスに乗り終点で下車、Unterberg-Cable-Carに乗る。 日本では、地上をケーブルで引っ張られて上下するのが、ケーブルカー。 空中をロープにぶら下がる箱に入って上り下りするものをロープウェー、椅子に座って外気にさらされて上下するものをリフトと言い分けるけれど、こちらでは、ロープウェーもケーブルカーであることが多い。 10年ほど前スイスで、同じような経験をしたことがある。 ホテルの指示に従ってケーブルカーの駅を探すのだが、どこにもそのようなものは見当たらない。 見渡したところロープウェーが見えた。 ホテルは、それを云っていたのだが、当時は頭が固く、日本語で考えて、一所懸命に地上を走るケーブルカーをさがしたのであった。 カーといえば車輪がついた乗り物という概念が先立つが、人が載る箱ならばカーと呼ぶのだろうか。 腑に落ちないけれど、文句をつけても始まらない。

 さて、ドロミテの山中のロープウェーにあちこち乗ってきたものには、もう珍しくはなかったけれど、垂直にひっぱりあげられるような感覚にはスリルがある。 頂上駅から少し歩いた小ピークからザルツブルグを見下ろすことができる。 その向こうに主峰の Hochthron 1973mが見える。 標高は高くないけれど、平野からニョキッとそびえているので、ザルツブルグ市内から見れば、目立つ山である。 市内から見た山はとがって見えるけれど、頂上は丸くまるで甲山のようである。 30分ほどで登れそうである。 しかし、長い旅行も終わりに近づき、私の膝も限界に来たように見えるのであろう、家内は、もう登るのはよそうとむくれる。 高いところを見ると、そこまで行ってみたくなる習性はやみがたかったが、山も平凡に見えたので、この際妥協することにした。

 帰路には、バスの途中駅で下車。 動物園とHellbrunn城の庭園によった。 動物園は崖下に続く細長い小さな動物園である。 崖を背にして天井と前面だけが檻で囲われている。 動物園の横門から出れば、そこは Hellbrunn 城の庭園である。 広大な公園で、方向感覚が掴めないが、バス乗り場があるであろう方向を目指して歩く。 よくしたもので、突然バス乗り場に行き当たることができた。 さすがに疲れたし、膝に張る湿布がなくなったので、ホテルの近くの薬屋で補給する。 この辺の薬屋は、日本のように陳列していない、浅い木製の高い棚が壁一面ずらっと並んでいて、そこから症状を聞いて出してくる。 日本でいえば処方箋薬局のようなところが、処方箋なしで薬を売っているようなもの思えば早い。

ザルツブルグ城からの俯瞰



 次の日も晴天。 ミネルバ公園から旧市街を歩き、観光案内所で小さなコンサートの切符を購入。 3時から小1時間のチェンバロの演奏会である。 それまでの間ケーブルカーでザルツブルグ城を往復。 どうということもない。昨日登った山や、市街の展望を楽しむのみ。

 コンサートは小さな教会堂のようなところに50ほどの椅子が並べられている。 そこに30人ほどのく客が入っていた。 中年女性の演奏家で、おもにモーツアルトの曲を演奏した。 結構上手であったように思う。 あっという間に終わってしまう。


ザルツブルグ城から Hochthron 山 (1853m) を望む


 この辺りも屋台が多数出ている。 屋台で感心するのは、どの店もそれぞれ個性があるのである。 売っている商品が、それぞれに違いを競っているようで、見ているだけで楽しい。

 どこも観光客でにぎわっている。 隅々まで見て回ればきりがないほどである。 旧市街を通り抜けて、家内の好きな大きな駅中スーパーの食品部を一回りして帰館する。 夕方から雨がぱらつき始めた。
 最終日も朝から雨である。 午前中は、ホテルで休息していたが、午後、小雨をおして土産調達に旧市街に出る。 ついでに明朝のミュンヘン行き列車の切符を購入しておく。 小雨の中、屋台や商店をゆっくり見て回ることもできず、また私の膝は、じっと立っているのがつらいのである。 展覧会などでは、半分椅子に座っている。

 家内が一人で歩いてくれればいいのだけれど、その間私はビールでも飲んで待っていればよいわけだが、方向感覚の鈍い家内は、店に入って出てきたときにはもう方向感覚を失っていることがある。 ケロッとして反対方向に歩き出すことがある。 そんなわけで、水先案内人が必要なのである。 そんなわけで最終日は、やや欲求不満を残した日となった。

 ザルツブルグ発07.51、ミュンヘン着09.33。 1等を張り込む。 2等で十分であるけれど、旅の最後の日、ガラガラのコンパートメントで誰にも煩わせられることなく、旅のなごりを楽しみたいと思ったのだ。 ミュンヘン中央駅からは、買ってあった往復券を使ってルフトハンザの空港バス。 ガラガラのバスはすぐに出る。

 入国するときには気が付かなかったが、ミュンヘン空港の搭乗ゲートは、ガラスを多用した無機質で明るいモダンな新しい建物である。 チェックイン・カウンターの外に自動チェックイン装置が立っている。 青年の案内人がいて、私たちの予約番号を入力すれば、それで完了。 カウンターでは荷物を預けるだけ。 中には、duty free shop もあるけれど、そんなに賑わっていない。 EU域内のフライトが多く、大陸間直行便が少ないのかもしれない。 私も、この頃は、あまりしげしげと免税店を見て回る気もしなくなった。

 コペンハーゲン経由でスイスイと帰国。 翌日午後3時には帰宅。 何の変わりもなかった。

    
 洗濯ものを洗濯機に掘り込み、旅の途中で得たチラシや地図やレシートなど記録作成用の資料類は、大きな袋に一括、すべてを手早く片付ける。

 荷物の片付けは、すぐにしないと、なかなか手がつかなくなる。 たまった郵便物をチェック。 重要なものはなし。 Mailを開ける。1000通ほど来ているがほとんどは、メイル・ニュースや宣伝の類。 連絡を要するものは少数。

 無事、帰国した旨を関係先に連絡。 これら1連の作業をその日のうちに済ませ、家の狭いながら深い風呂に浸かって早めに就寝する。

 早く帰宅できるのは、その日のうちに大方の片付けが済ませられるので大変好都合である。
 今回の為替レイトは、ユーロ約100円であった。 現在のレイト、130円に比べると大変な円高であった。 おかげでその恩恵を受けることができたのは、運がよかったとしか言いようがない。

 リュックを担ぎ、キャリアーケースを引っ張って歩き、やむを得ない場合以外は Taxi を使わずもっぱら列車とバスを乗り継いで25日間程度の旅のスタイルは、もうそんなに長く続けられそうにない。 体力的に無理になってくる。 連日の移動はしんどいので、一か所の滞在日数もだんだん年ごとに増えてきた。 とは言いながら、毎日、街なり山なり、どこかえへ出かけるので、日本で生活するよりよほど運動量は多い。 だんだん体力に合った旅のスタイルに変化せざるを得ないであろう。

 以前、イギリスのコツオルズ地方を歩いた時、泊まったマナーハウスに毎年来るというフランス人の老夫婦がいた。 マナーハウスの庭の椅子に座ったまま庭の花を眺めて日がな一日日向ぼっこをして何日も滞在している。 いずれはそのようになるかもしれない。 それでも健康な限り旅は続けたい。 
                                       旅に病んで 夢は枯野を 駆け巡る (芭蕉)
目次に戻る