日本船舶海洋工学会 関西支部 海友フォーラム K シ ニ ア
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設計と設計工学を考える
2009年4月16日 赤木新介

1. 異なる分野の体験

 藤村先輩から設計教育についての体験を述べるようにとの要請(藤村:造船技術者獲得とその教育についてのコメント、2009.2.15)を受け、大学に在籍していた当時を思い出しながら記してみたい。

 私事で恐縮であるが、まず自分自身がたどってきた経歴を紹介させていただく。 私は昭和33年に阪大造船を卒業して三菱神戸に入り、そこで艤装設計を中心に20年間勤務の後、昭和53年に阪大の機械に移った。
 こちらでも20年間を過ごし、平成11年定年になった。 その後、大阪産業大学に7年間勤め、こちらも定年になって現在に至っている。

 出身の大学も就職先の所属も“造船”であったが、移った先の阪大の所属は“機械工学科”であった。 したがって経験した分野は、“造船”と“機械”、それに“企業”と“大学”(さらに国立と私学)ということになり、異なる分野をわたり歩いた結果となった1)。 この変則的な経歴のために今回、設計教育についてのコメントを求められることになったものと思われる。

  さてその体験であるが、それぞれの分野の特徴というか、違いにふれることになった。
 例えば、造船分野と機械の分野を比べてみると、両者で教えられる「工学」の内容は、学部のカリキュラムなどを一瞥した限りでは、共通的なものが多い。 どちらも各種の力学系基礎科目に加えて設計や工作などの応用科目が並んでいる。 しかし、両学科が持っていた性格には明らかに相違があった。 造船は対象物指向であり、教育や研究の内容は当然、船に役立つことが必要とされる。 そのために船に必要とされる道具は、何であれ貪欲に取り入れる。

  一方、機械工学科では、対象が広いために方法論なども汎用性を重視する。 よく言えば柔軟で“つぶし”がきくが、悪くすると抽象的で役に立たないものにもなりやすい。
  そして、このような特徴は当然、両学科の性格を左右する。 最近は学科等の再編に伴って学科名なども消えつつあるが、学科の持っていた本質は残したいものである。


2. 設計とは何だろうか

 前置きはこれ位にして、大学に移ってからの設計工学と設計教育について述べよう。
 着任した阪大の機械系教室からは、“設計”をやってくれと言われ、はじめ些か戸惑った。 と言うのは、おそらく大学の先生からみれば、設計の本場は企業であるから、そこに働く設計者は“設計学”についても専門家であって、すぐにでも設計学が講じられる人であると思われている。 ところが企業の中の設計者は決して高尚(?)な設計学をやっている訳ではない。

 その毎日の設計実務は、その殆どがハシゴを掛けたり、パイプを引いたり、およそ学問とは縁遠い内容である。 したがって、このような実務をそのまま“設計学”として講じる訳にはゆかぬことは明らかである。 したがって、ここで必然的に“設計”とか“設計学”とは何かという基本に立ち戻って考えてみる必要がある。

  本来、工学の本質は“設計”であるにも拘らず、そのための設計手法は単なる手段として扱われ、“設計法”の域から“設計論”さらには“設計(工)学”という形に昇華できなかった。 この理由について佐藤は次のような点を挙げている2)。

  第一の理由は、“解析的手法”だけがいわゆる”学“の対象であり、”総合的手法“の設計は”学“の対象とは考えられなかったからである。

  第二の理由は、設計とは悟りながら身につけていくものであるという風潮が強く、学問体系をとる必要があまり認められなかったためである。

  第三の理由は、設計が頭脳作業で、発想から計画、図面がまとまるまでのプロセスは殆ど明らかにされていなかったからである。

  以上の点を強調しているのが有名なファーガソンの言う“心眼(Mind’s Eye)”である。 彼はその著書3)の中で、設計の本質は図面により描かれるアートであって、科学的な理論や計算で導かれるものではないとし、これを生むもとになる能力を”心眼“と称している。
図1, 設計工学と
    関連分野
    (Dixon)
図2, 設計方法論
    における背反関係
 図1,2 は、このことに関連して設計と設計工学の持つ特性を図によって表現したものである。 設計工学は、図1のDixonの図のように人間の目的とする所と、自然科学の両面に関係し、非常に広い範囲に及んでいる。

 また、図2は設計方法論のもつ背反関係を特徴的に表現してみたものである。 即ち設計方法論は、なるべく共通性をもち、しかも具体的な設計対象にも役立つものでありたい。 しかし一般化した手法というものは、どうしても具体性を欠き、いわゆる文章作法的なものになり易い。 一方、具体性を強調すると個別化が強まり、便覧的なものになって、一般性を欠く。 また、設計手法は精密なものでありたいが、これを強調しすぎると、分析ばかりが進み、過度に理学的なものになって、設計への有効性が減少する。 逆に効率化を重視すると経験中心になり、合理性や客観性に乏しくなる。つまり設計にはバランスが大切であり、本質は人間の活動に残される。


3.設計工学の必要性

 それでは、この時期に及んで、以上のような設計活動に、何故わざわざ学問としての“設計工学”が求められるのであろうか4)。 前述したように、設計自体は、改まって“設計工学“を意識することなく、日夜実施され、その産物たる製品は地球上のみならず、宇宙にまで溢れつつある。

 しかしながら、それでは設計が何ら問題なく実行されているかと言えばそうではない。 現在、設計が抱えている問題は、大別して2つある。1つは設計対象物の“質”の確保の問題であり、もう1つは、設計を行う際の効率化の問題である。

 第1の点については、現在、工業製品に以前には考えられなかった厳しい要求が求められていることである。 工業製品の大量生産はユーザを素人にも広げ、製品は故障しないことが当たり前である。 また製品は、原子力プラント、船舶、航空機などのように著しく大型化、高機能化してきた。

 機能の確保と安全性・信頼性の確保は至上命令であることは、原子力プラントなどを引き合いに出すまでも無い。 さらに情報技術の製品への取り込み、環境への対応は最近あらたに加わったものである。 そしてこれらの内容は、すべて設計への要求として発現するものである。

 第2の点はどうか。 第1の点を実現するために、設計への負担は際限なく増大する。 これに加えて最近の製品では、多様化に加え設計期間の短縮が要求される。設計は従来のやり方では、対応出来なくなってきている。 吉川5)によれば、まさに現代の設計は、“知能の不足”に悩まされている。

 このようにみてくると、設計者を支援し、大げさにいえば救済するための指導原理と方法論を研究するための「設計工学」が必要とされるのは当然といえる。


4.設計工学をどう展開するか
 
 しかし、そうは言っても設計工学を学問として確立することは困難を伴う。 前述のように設計には自然科学とは異なり、特有の原理が存在するが、これは「設計論」として議論されているものである。 設計論はフィロソフィであり、設計目標の策定と言い換えてもよい。

  当時、設計論を正面から考えておられる人があった。 東大精密工学科教授(当時)の吉川弘之先生である5)。 吉川先生はその後、東大工学部長から東大総長を歴任されたが、設計論の分野では、工学設計から発展し、さらに広いシンセシスを対象にした「一般設計学」を確立された。
 
 設計工学に話を戻すと、設計工学を真に使えるものにするには、フィロソフィとしての設計論だけでは十分でない。 設計目標を実現するには、科学的な「方法論」が必要である。 科学的な方法論によって“設計”がサイエンスとしての地位を確立することができる。 方法論の中核となるのは、やはり現代ではコンピュータの応用であろう。 各種の設計モデルや工学解析などもこれに含まれる。
 
 この考えは、前述のファーガソンの考えと対極にあるものである。 そしてこのような進展は、一言でいえば、コンピュータ化し易い所から行われ、困難な所が最後まで残る(図3)。 それは設計の本質に対応するところで、前述の“心眼”に相当する最も創造的なところである。
図 3 設計における
    コンピュータ化の
    進展
 このようにして「設計論」に加えて「方法論」ができると、これが具体的な設計対象に対して真に有効なことが確認されなければならない。 いわゆるToy Model(単なる演習問題)ではなく、具体的な設計事例に対して有効性が証明される必要がある。藤村さんの言われる「ケーススタデイ」やこれを行う「造船エンジニアリングスクール」構想などは、これに通じるものであろう。

  以上述べてきた考えは、著書6)7)8)として、かって上梓したが、内容については、
 ここで要約することが困難であるので、目次のみを示すに止める。

 「設計工学(上)」            「設計工学(下)」

1.  設計工学の基礎

6.  設計における工学解析

2.  設計要求の把握と製品企画

7.  設計における信頼性・安全性解析

3.  概念設計

8.  最適設計

4.  基本設計とモデリング

9.  AI技術による設計の支援法

5.  レイアウト設計



5. 機械学会における「設計工学・システム部門」
 
 上記のような考え方をもとに、設計工学をある程度体系づけることができたが、さらに教育や研究を発展させ、永続させるためには、これを支える組織が必要である。 組織とは特定の目的に奉仕する人の集団である。

 そこで機械学会の中に「設計工学・システム部門」を立ち上げ、同学の士に集まってもらうこととした4)。 幸い多くの人々に賛同を頂き、学会の部門として確立することができた。 この組織は現在、機械学会の中で主要な部門に発展した。


6. あとがき

 以上が設計と設計工学の概要であるが、舌足らずの内容になってしまい、肝心の設計教育のあり方や、企業と大学におけるあるべき姿などに殆ど言及できなかった。 幸い現在、海友フォーラムとして議論が進められているので、今後に期待したい。

                  文     献

1) 赤木新介、 「異なる分野をわたり歩いた体験から」 Techno Marine,  815, (1997-5),1.
2) 佐藤 豪、 「総合の学問としてのデザインテクロジー」 日本機械学会誌、 91-833,(1988-4), 294.
3) E.S.ファーガソン(藤原、砂田訳)、 「技術屋の心眼」 (1995-7)平凡社。
4) 赤木新介、 「設計工学の体系化」−設計工学・システム部門の発足にむけて、
           日本機械学会関西支部249回講演会論文集、 (1990-11),202.
5) 吉川弘之、 「先端技術と人間」、 雑誌「世界」(1988-1),19.
6) 赤木新介、 「設計工学(上)」、 コロナ社、(1991-1).
7) 赤木新介、 「設計工学(下)」、 コロナ社、(1991-2)
8) 赤木新介、 「システム工学」、 共立出版、(1992-11).