沈没への経過 2.
3カ国共同最終報告では、
風速18〜22m/sec、
有義波高4m
斜め向波の中14K で航走。
右のスライドの数値は最大値 (??)
機関室で異常に気づいてから
約14分で停電。
約35分で沈没。 |
スライドNo.7 |
4. 事故に対して取られた対応
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スライドNo.8 |
5. 沈没の原因 |
スライドNo.9 |
6. 事故の知識化 |
スライドNo.10 |
7. 破損の状況
本船の沈没の直接牽引となったBow Visor 関連の代表的な破損状況の写真を以下に示す。
右図はVisor全体を船内側から見たもの示す。
右上端が船首端。
上部左右○囲い部が跳ね上げヒンジ
両サイド、ボトムの○囲い部が locking lugロックするストッパーを差し込む個所。
――ここが直接破損の原点か。. |
スライドNo.11 |
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スライドNo.12 |
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スライドNo.13 |
Visor 開閉用アクチュエイターの下端。 |
スライドNo.14 |
Visor のボトム部のロック取り付け部。
同型線の緊急検査では取り付け部にクラックがあったということからして、
クラックの端部から、一気に破断したような破断面がみえる。 |
スライドNo.15 |
8. 多くの議論を呼ぶ
本船の沈没後、世界の、特に西欧の海事関係者から多くの議論が巻き起こった。
これは、沈没1年後に発表された3カ国共同の最終報告書が不評だったということを意味する。
右図は、その一つで、2002年発表の論文の要点。
ここで全般的に言えることは、
1.事故間接原因についての切り込み不足
2.建造造船所にとっては、不満な報告書
3.船主側の視点が強い。
後段の考察の項、参照 |
スライドNo.16 |
9. 2008年の最終報告書に
参加した専門家グループ |
スライドNo.17 |
10. 事故の原因と教訓 |
スライドNo.18 |
11. 考察――補足
11.1 死亡者の多い大海難事故
かの「戦艦 大和」と共に東支那海の海底に眠る貴い将兵の数は、約3,300人という多さ。 然し、商船の事故の場合、ESTINIA号の千人というのは大事故といえる。
下表、商船で千人超の多数の死者をだした大事故を、死者の多い順番にリストアップした。 |
table. 1 |
11.2 過去のRORO船の事故 |
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その他、国内の代表的な事故
1947年 紫雲丸 168人死亡 宇高連絡船 第3宇高丸と霧中衝突
table. 2
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11.3 ESTONIA号の売船遍歴 |
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★新造――1980年 ドイツ Meyer Werft (独・Papenburg)造船所において、cruiseferryとして建造
★船主、オペレーターの変遷ーー船名の示すごとく、新造時はノルウエイ・バイキングラインの一翼として
建造され、ノルウエイとドイツ間に就航した。
然し、その後はシリア・ライン、ヴァサライン(1993年にシリア・ラインに合併)などもあり、結局、船主は
4回、オペレーターは計5回代わったのち、最後のエストラインに移っている。
この間に船籍港も3回変わっている。
★船籍港――1980〜1991: Mariehamn,(Finland) 1991〜1993: Vaasa,(Finland)
1993〜1994: Tallinn(Estonia)
table. 3
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11.4 エストニアと Estline社について
沈没時の船主・オペレーターの Estline はソ連統治時代の流れを汲む国営勢力が強く感じられる会社である。
1) ESTONIA国の歩みーーソ連からの呪縛と開放
バルト3国(エストニア、ラトヴィア・リトアニア)の最北にあり、共に
1918年 第1次大戦後に独立。然し、第2次世界大戦前夜の
1939.8.23 締結の独ソ不可侵条約の密約によりソ連領に。第2次世界中、ソ連が占領。
戦後ソ連那圏。
1990年 独立宣言。 1991年1月 ソ連軍との衝突に発展して死傷者。
1991年8月 再独立、 1991年12月ソ連崩壊。
2004 年3月 NATO 加盟 2004年5月 EU加入。
まさに、ソ連に翻弄されつづけた歴史をもつ国である事から、本件の事故の考察において、
ソ連色を意識しておく必要があると思う。 それは、本船の事故時の運航会社ESTLINEの体質に
ついてである。
2) ESTLINE――ソヴィエト支配の色濃い底流。
複雑な経歴を持つ会社で、国営色を強く感じさせる。
設立―1990年。 この年は、エストニアが独立を宣言した年。
ソ連占領時代1940年〜1991年と1年ダブっているので、この間に以前の会社Cを事実上
引き継いだと考えられる。
1990年〜2000年までの間の 「ストックホルム〜タリン」間の独占航路権を所有
技術的には、First Baltic Shipmanagement に従う。
経営的には、@Swedish\Estonian Shipping Co, 。 ところが この会社は
ANord Sttrome & Thulin と
BEstonian Shipping Co (を通して、エストニア政府出資) の会社。
ところが更に このBの会社は1940〜1991年まで
CSoviet Union Merchant Fleet の一部。
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11.5 事故調査の進め方について
1994年事故発生後の、 @1995年報告書。 A各方面カらの批判。 B2008年報告書 を考える。
1) 直接原因
@における結論は、「予想以上の波浪衝撃によりBow Visor が破損、脱落。ひきつづいてRamp Door もはや波浪の流入を防ぐ機能をはたさなかった」と、している。 Bもこれを追認している。
Aとして、建造造船所からは、一面的な断定だとして強い不満が発表されている。 又、出港時にVisor のロックが不十分なことが度々あったとか、わずかながら海水の浸入が見られたなどの事実が報告されておることから、造船所側は保守点検,操作、運航規律などに疑念を抱く旨の報告がなされている。
Visor強度の問題では、その後、規則改正により、問題は解決された (造船学会Techno Marine837号、1999.3.25)
2) 間接原因に切り込み不十分な姿勢
関係3カ国による報告書@、 スウェーデン政府主導によるAの報告書は、 共に間接原因に切り込む姿勢が余りみられない。
その理由は、11.3項から分かる複雑な本船の運航環境により、その追及は極めて困難であることがあると思われる。
一方、船主側からすると、Visor関連の強度不足原因ならば、相対的な強度を増せばよい事であって、寧ろ海水流入から沈没にいたるプロセスが重要と考えると言う姿勢が強く感じられる。
これは、事故は何らかの原因で皆無には出来ず、起こりうる事として、寧ろ事故の影響が破局に向かわない事こそが重要とする、考えによると思う。
3) Aについては多くの発表資料がある。 (私も何度か発表した)
「下層への浸水説」――「何故Car Dkへの浸水によって、このように30分程度の短時間に沈没したか」ということについての問題提起である。
Car Dkより下層部分に何がしかの浸水があった筈だとしている。 Bの最終報告書を含めて、この点については、Car DKにおける搭載車両の横転、移動の衝撃によりAir Pipe ほか、扉などが破損。 下層に海水が流入としている。 然し、確証は無い。
「設計不良説への反論」―― 主として建造造船所サイドの反論。 建造以来14年間、殆ど同一海域で安全運航実績がある事、同種設計船の多い中で、本船のみにこのような判断は不当。 メンテナンス、日常運航の管理への疑問。 などに要約できる。
「船級協会への不信」――Visorkのロツク装置が完全にロックされない状態であったとか、チョロチョロと浸水があったとかの報告があった、ともいう。 同型船の事件後の緊急点検でロツク装置部にクラックが発見されたと正式報告書にある。 船級協会の検査機能不全は明らかであろう。
「遺族サイドの不満」――「信楽高原鉄道事故遺族会・弁護団・TASK」は海外調査の一環として、@関連の欧州現地でのシンポジュームに出席。 @が遺族の視点が足りないとの発表をしている。
@、Bはすべて政府主導で行われている。TASKの一貫した主張は、「事故調査は完全独立組織によるべし」という強い主張である。 然し、現実は信楽高原鉄道事故調査の過程におけるJRの隠蔽・組織擁護・論旨誘導などなどの教訓からの主張である。 米国・国家運輸安全委員会NTSBが大統領直属でこの点では先進的であることがよく引用される。
「宝塚線脱線事故」においてJRが採った事故調査への介入が明らかになっていることから、まさに正論であるが、@、Bの報告書においても、同様の懸念があると思う。 遺族としては、なぜこの船だけでVisorが脱落し、こんなに多数の死者が出たのか、納得がいかないのではなかろうか。 間接原因の調査に切り込み、再発防止の為にも、人災の面を追及する必要があると思う。
4) B2008年最終報告書について
「波浪衝撃について」ーー模型水槽試験とシミレーション計算が行われている。然し、予想以上の衝撃の発生についての結論の歯切れはよくない。 計算より模型試験の方が大きい衝撃値を示している。 実船では更に大きくなる可能性を述べている。 Head
SeaよりBow Seaの法が衝撃値が大きくなるのはよいとして、発達した時化の海面では、谷の波面はますますflatに、山はスティープになる。 水槽の波面と異なる。 波浪が非対称レイレイ分布になる。 ―――正確な衝撃値の検証は難しいとしている。
「我国の同種の事故」として、野島崎沖の一連の沈没事故と日本造船界を挙げての、波浪衝撃、船体強度に関する多くの研究と対策・成果について連想させる点が多いが、このような対策が実行されたのかは確認していない。
本 件については 関連する資料は大部、多数なので、全部を精査したわけでないので間違った個所がおるかもしれない。 関心のあるテーマなので、今後もこフォローを続けゆきたい。
(おわり)
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<参考文献>
●Sinking of MV ESTONIA
●ROROの海難 (List of RORO vessel accidents)
●エストニア沈没事故の最終報告を読んで 池田良穂 Techno Marine 837号1999.3.25
●大型専用船の海難と波浪外力についての研究 日本造船百年史 日本造船学会1997.5.13。229頁
●その他、海事・海難など関係hp 各種。
以上
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<外部リンク>
table. 1 : ドニャ・パス号 タイタニック (客船) サルタナ 洞爺丸 青函連絡船
洞爺丸台風 セントローレンス川 石炭船
table. 2 : MV Princess Victoria SS Heraklion Wahine disaster MS Herald of Free Enterprise
MS Jan Heweliusz MS Estonia MS Express Samina MS al-Salam Boccaccio 98
table. 3 : Viking Line Finland Steamship Company Estline Mariehamn Finland
Vaasa Tallinn
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