2016年1月25日 海友フォ-ラムで概要を発表 小野靖彦
猪瀬直樹著 「昭和16年の敗戦」 によると、1941年4月、内閣直属の総力戦研究所に各省・日銀・大学・大企業などから平均年齢33歳の研究員を集め、模擬内閣を作り対米英戦について研究した。 8月近衛内閣に報告した研究結果は、日本に勝機はなく、日米開戦は避けねばならないというものだった。 東條陸相は強い関心を示し、メモを取る手を休めなかったという。
最大の問題は石油だった。 日本が仏印に進駐、米国が対日石油禁輸を発動、東條内閣は死中に活を求めて日米開戦に踏み切った。 開戦後の経過は、この研究発表の通りとなった。 戦後70年、日本敗戦の大きな要因となった日米空母機動部隊対決を振り返ってみたい。
「日米空母機動部隊を回顧」 (10ページ, pdf 9MB)
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目 次
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1. |
日米航空母艦隻数推移 |
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2. |
日米艦上機比較 |
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3. |
珊瑚海海戦 1942年5月7,8日 |
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4. |
ミッドウェー海戦 1942年6月5、6日 |
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5. |
第二次ソロモン海戦 1942年8月21日 |
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6. |
南太平洋海戦 1942年10月26日 |
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7. |
マリアナ沖海戦 1944年6月19,20日 |
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8. |
エンガノ岬沖海戦(フィリピン沖海戦の一部) 1944年10月24,25日 |
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9. |
川崎重工業が関係した空母 |
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10. |
結び |
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参考文献 |
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