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さらば工学部
 
「さらば工学部」  日経ビジネス 2008.8.18号

苦闘する東大工学部長
 
工学部から学生が逃げ出す東大、学力低下に歯止めが掛からない京大。 名門工学部の凋落が著しい。 地方大学では、工学部の廃部、減員も相次ぐ。 モノ作りの現場では、次代を担う人材の枯渇が顕在化し始めた。
 
 6月14日の午後3時。どんよりした梅雨空の下、東京大学駒場キャンパスの講堂に、ジーンズ姿の若者らが次々と吸い込まれていった。 会場は500人を超える人々で埋まった。
 
壇上に立ったのは、名作アニメ「鉄腕アトム」などの制作に携わり、1979年にテレビ放映が始まった「機動戦士ガンダム]の総監督として知られるアニメ作家の富野山悠季氏である。
 
東大工学部の教授2人とともに、ガンダムを題材にした「工学の未来」を語った。 1時間にわたっだガンダムトーグの終了間際、主催者らは会場の若者らに訴えかけた。 「ぜひ工学に興味を持って、工学部に来てください]――。

 
ガンダムに頼る学生集め
 この「ガンダム会」を開催したのは、東大の大久保達也・化学システムエ学科教授らだ。 会場に招かれたのは、主に工学部へ進学する東大理科I類に所属する1〜2年生たちが中心である。 一見華やかなイベントだが、裏には深刻な問題が隠れている。 東大理Iに入学しながら、工学系の学部を選ばない学生が急増しているのだ。
 
「理Tの58人が経済学部志願」――。
今年の夏、東大工学部を揺るがず事件"が起こった。 文理合わせて1学年当たり約3200人いる中で、理Iは約1200入の最大勢力だ。 理Iは工学系の学科を束ねる形になっており、2年間の教養課程を終えると3年生からはそれぞれの学科に属して専門教育を受ける。 学生は成績順で自由に学科を選ぶことができ、これを「進学振り分け(通称:進振り)」と呼ぶ。
 
 理Iの学生は工学系の学科にという当たり前のコースが大きく崩れたのは昨年のことだった。 理科I類、文科U類といった類の壁を越えて学科を選べる“転籍"枠を大幅に広げた新制度の導入がきっかけだ。 結果、起こったのは、理Iから経済学部への大量流出だった。
 
 以前の規定では7人までに限られていた。それが新制度の初年度だった昨年は志願者が39入になり、今年は58人まで増えた。志願者には成績優秀者が多い。 「工学部ならどの学科でも行ける成績なのに、経済学部を選ぶとは」。 工学部教授の誰もが天を仰いだ。 「困った」。 東大の保立和夫工学部長は頭を抱える。
 
 経済学部人気の一方で、かつての看板学科だった「土機電化(ドキデンカ=土木、機械、電気、化学)」の人気凋落に歯止めがかからない。 今年春に3年生となった学生たちの進振りで、ドキデンカ志願者は定員に達しなかった。 特に電気・情報系は惨憺たるもので、過去5年連続の定員割れとなった。
 
 2000年度まで10年近く定員割れが続いた原子力系、船舶系の学科は既に消滅した。 カリキユラムを大幅に変え、2000年度からは地球システムエ学と精密機械工学を加えた「システム創成学科」として再出発。 今では1学年130人を抱える工学部の最大勢力となったものの、カリキュラムの中から「原子力」も「船舶」も消えた。 代わりに入ったのは金融や投資の講座だ。 船舶工学が専門だった影山和郎・技術経営戦略学専攻教授は「名を捨てて実を取った」と言う。
 
年々広くなる「京大の門」
 福井謙一氏、野依良治氏というノーベル賞受賞者を輩出し、学術分野で誉れ高い西の名門、京都大工学部でも異変は起きていた。 入学試験の合格点が下がり続けているのだ。
 
 長らく京大の理系数学の入学試験問題には、優秀な受験生ですら手を焼く難問を2問入れる不文律があった。 ところが、京大大学院理学研究科数学教室の上野健爾教授は、「実は、ここ数年で問題を大幅に易しくした。白紙解答が続出して実力を正しく評価できない恐れがあったからだ」と話す。
 
  入学後も悩まされる。 「これはいったいどういうことか…」。 今年夏、大高幸一郎工学部長は、3年生を対象にした化学の試験で不合格者が続出し、言葉を失った。 授業は例年通りで、試験の難易度も従来と変わらない。 なのに、これまで10%程度だった不合格率が40%に急増した。
 
思い当たる理由はある。 「ゆとり教育」である。 今年の大学3年はその本格導入後の第1世代なのだ。
 
 1992年度のピーク時、全国の大学志願者数は延べ人数で506万人に上りそのうち工学部が62万3000人を占めていた。 その後、少子化で志願者は急減。 中でも工学部の減少幅は大きく、2007年度はピークから約6割減の27万人まで落ち込んだ。
 
 1990年代の景気後退局面で製造業が人員整理を進めたことがイメージを悪くした而もあるだろう。 総務省の労働力調査によると92年に約1600万人だった製造業の就業者は2005年に1200万人まで減った。受験生などに大学の情報を提供している会社、大学通信の安田賢治ゼネラルマネージャーは「景気悪化で、工学部離れに拍車がかかった」と解説する。
 
 予備校大手、代々木ゼミナールのデータでは、1988年には有力工学部の難易度は地方大学の医学部と同等かそれ以上だったが、この20年で一変した。 例えば、東京工業大の難易度は、88年は金沢大、岡山大、熊本大といった地方大学の医学部に並んでいたが、2008年はすべての後塵を拝した。
 
 
 
始まった工学部「廃部」
 今年5月、ニューヨーク・タイムズ紙は日本の「工学離れ」を大々的に報じた。「日本の産業界が、工学部をセクシーでクールに見せようと躍起になっている」と鄭楡した。 英タイムズ紙の大学ランキングはこの3年だけ見ても、日本の工学部の順位が低下した。
 
 私立大の工学部はさらに深刻だ。 九州共立大は2008年度から工学部の学生募集を停止した。 理事会が「廃部」を決定したのだ。 1991年度の入試競争率は3倍以上あったが志願者減少で状況は一変し、ここ数年は定員割れが続いていた。 志願者を全員合格させてでも学生数を確保したいところだが、それでは大学のレベルが保てないジレンマに陥った。 2001年度、「さすがに入試の数学が0点だったら落とそう」(小島治幸工学部長)という苦渋の決断をした。
 
 全国で工学部志願者のパイの奪い合いが激化している。 100万人都市の広島市には首都圏から大学が学生募集に押し寄せる。 広島工業大の茂里一紘学長は、「普通科卒の学生だけでは足りず、従来は少なかった工業高校や商業高校の卒業生を増やしている」と話す。
 
 半官半民の運営だった高知工科大は、完全公営化して学費を低減する。 佐久間健人学長は「高知県の1人当たり所得は平均215万円。 1年間の学費124万円は重い。 地方の工学部はもう公立しか成り立たない」と訴える。
 1995年度に始めた先駆的な工学教育改革で知られる金沢工業大も志願者激減に直面する。 95年度に1万人を超えた志願者が、2008年度には6523人まで落ち込んだ。 石川憲一学長が先導し、高校科目を復習させる課外指導など、他大学が模範とするような取り組みをしてきたが、工学離れの大波の中で何とか持ちこたえている状況だ。
 
 石川学長は「技術力で海外に追いつこうとしていた高度成長期は工学部の人気が高かった。 経済が成熟した今も学生らは同じ志を保てるか、モノ作り立国日本の試練の時だ」と言う。
 
危うくなった「鉄は国家なり」
 大学工学部の落日は、企業活動にも暗い影を落とし始めている。 「想定以上に学生が採れない」。 こう言ってため息をつくのは新日本製鉄の技術部門トップ、浜本康男常務だ。新日鉄は1990年代からの鉄鋼不況で大幅に抑制してきた技術系の新卒採用を拡大しようとしている。 しかし、思うに任せない。 優秀な人材が十分に集まったのは70年代末まで。 30年近い「人材断層」が重くのしかかる。
 
 この問、かつて花形だった冶金、金属工学の火が1つ、また1つと消えていった。 学部卒業生はこの10年で約700人から100人ほどまで減少。 金属工学科は材料学科などへ衣替えした。
 
浜本常務が懸念するのは、韓国や中国の追い上げだ。 「自動車用鋼板や電磁鋼といった商品開発技術では、世界最高水準を維持する」と言う浜本常務ですら、最近はヒヤリとする局面がある。
 
韓国鉄鋼最大手ポスコは昨年、独自技術「ファイネックス」を実用化した。 コスト削減策として有望な低品位石炭を活用する製鉄技術で、日本メーカーはまだ確立できていなかった。
 
粗鋼生産量を急拡大させて、既に日本の4倍近くになった中国も、国家の威信をかけて研究開発に取り組んでいる。鉄鋼分野だけではない。 中国の研究者数は2002年以降、日本を上回っており、今や日本のほは1.5倍の120万人に達している。
 
モノ作り立国の象徴的な技術だった金型も、後継者不足に悩む。
HDD(ハードディスク駆動装置)のバネ部品で3割近い世界シェアを握る大垣精工(岐阜県大垣市)の上田勝弘社長は、「韓国では毎年、高等教育を受けた金型技術者が2600人も生まれる。 中国はそれ以上だ。 抜本的な手を打たなければ、手遅れになる」と言う。
 
日本金型工業会の会長に就任した7年前から「日本の精密部品の強みの源泉は金型技術」と言い続け、大学での金型教育を働きかけてきた。 来年春には国内大学の金型学科は3つになるが、それでも「卒業生は年100人に過ぎない」と上田社長の表情は厳しい。
 
今年5月にインドのソフトウエア大手の研修所を訪れた富士通ソリューション事業推進本部の土井雄一郎人材開発部統括部長は絶句した。 学部卒中心に毎年1万人が入社するこの会社で教えていたのはOS(基本ソフト)開発に必要な最新「コンパイラー」技術。 日本では最難関の大学院を卒業した学生でも理解が難しいレベルだ。
 
富士通のシステム部門の技術系採用は年300人。 国内の有力大学の院卒がほとんどだ。 それでも簡単なプログラムを作れるのは2割に過ぎない。 幅広い産業で必要なソフト技術教育は新興国からも大きく劣後してしまった。
 
ナノテク、バイオより基礎教育
人材枯渇によって新人社員教育の「呉越同舟」に追い込まれたのが石油業界だ。 国際石油開発帝石ホールディングスは今年入社した20人と、新日本石油など石油開発企業の新入社員を共同で教育する。 日本の大学から鉱山学科がなくなったからだ。 山本一雄・帝国石油技術企画部長は「石油開発に必要な地質調査、物理探査の技術伝承を途絶えさせないよう、手を組んだ」と言う。
 
 8年前、日本が国を挙げて強化すべき課題として、「ナノテク、バイオ、情報」という先端研究強化を挙げていた東レの前田勝之助名誉会長も最近は提言のベクトルを方向修正している。 「日本のモノ作りを守るために必要なのは『基礎科学教育の再構築』だ。 次に打つべき施策は何か、国を挙げて考え直す局面に来ている」
 
快走する異色教育
大学工学部の地盤沈下を嘆いている閑はない。 「モノ作り教育」を作り直せ。
企業も自治体も学校も新たな挑戦が始まった。
従来の発想を超えた「人づくり」なしに、技術立国日本の未来はない。
 
<もう大学には頼らない> 独自教育に走る企業 
デンソー 社内に自前の「工学部」
 愛知県安城市にあるデンソーの企業内学校、デンソーエ業技術短期大学校では7月末、今年春に高校を卒業した学生たちが30人近く集まり、ハイブリッド車やエンジンの燃料噴射装置の説明に耳を傾けていた。
 
 電子制御を使った燃料の噴射技術など講義内容は大学レベルであり、学生たちもついていくのに必死だ。
 
この中の8人はデンソー短大のメカトロ(機械)コースの学生たち。 今年春に新設された機械コースこそ、デンソーが理想とする「大学工学部機械科」であり、教育の新たな挑戦になる。 同短大を運営するグループのデンソー技研センター(愛知県安城市)の荻野幸一社長は「機械コースでは普通の大学工学部で4年かける勉強を2年で、実践的に教えていく。 彼らの成長が今から楽しみだ」と目を細める。
 
 デンソーの短大は国際職業訓練競技大会(技能五輪)で活躍する若手技能者を数多く育ててきた「工業高校課程」が有名。 「短大課程」は昨年まで「電子」と「情報」の2コースがあり、全国の工業高校を卒業した若手に回路設計などを数えてきた。
 
 ただ、機械コースは意味合いが異なる。 デンソーの工業高校課程で英才教育を受けた卒業生だけを受け入れる。 初年度は8人が入学。 「技能五輪に出てもおかしくない技能者に大学の工学理論を叩き込む」と荻野社長は言う。 機械コースには2年間の専門科目だけで60講座もある。 材料力学など工学基礎理論から、生産ライン設計を含めた実践も学ぶ。 大学のようにベテラン技術者を「教授」とする研究室にも入り、卒業研究に取り組む。
 
 環境規制の強化を受け、エンジンの燃料噴射装置など主力製品の多くは従来の常識を超えた高精度のモノ作り技術や新発想の設計が必要だ。 デンソーの経営理念は「技能と技術が両輪」。 「大卒技術者の知恵を形にするのが高卒技能者」という考えであり、研究所でも技能者と技術者の人数がほぼ同じだ。 機械コースは「技能]と「技術」を兼ね備えた「理想のエンジニア」を育てる。
 
 デンソーは国内企業の人事担当者の多くから「ベンチマーク企業」とされる。 真似されても常に先を行くのがデンソー流だ。 荻野社長は「大学教育の質が問題視されていても、我々は最も充実した教育体制を整え、必要な人材は社内できっちり育てる」と強調する。
 
 「もう大学には頼れない」――。 企業の人事担当者の間から悲鳴が上がっている。 ゆとり教育や工学部卒業者の製造業離れで、超一流企業でも必要な技術者を確保できない。 デンソーが「大学工学部」を自前で立ち上げたのも、社内の教育力が企業の競争力を左右する時代が始まっているからだ。
 
三菱重工業 基礎復習を「義務教育」に
 三菱重工業は入社3年目までの若手を対象に「義務教育」制度を導入した。 国内製造業大手では若手の教育はOJT(職場内訓練)が基本。 三菱重工のように現場から引き離し、工学の基礎理論を再教育するのは異例だ。
 
 新卒技術者の大半は旧帝国大学系工学部出身者。 「最近は大学で流体力学など基礎を学べていない。 今年春から始めたテストでも平均点は40点。 これでは三菱重工の技術力が揺らぐ」と、技術研修所(名古屋市)の田口俊夫所長が基礎教育の重要性を訴えてきた。 高等数式ばかりの教科書もイラストの多用などで分かりやすく作り直した。
 
 今春入社の新卒技術者(600人)の7割を占める設計者は最初の3年間で、19講座ある「選択必修科目」から最低4単位の取得を義務づけられる。 1講座当たり3〜5日間の講義で大学院レベルまでの工学理論を復習する。 「義務教育」制度を導入した2007年度は受講者が1600人と、その前の年から倍増した。 今年も急拡大中だ。
 
 社内で最も忙しいとされる名古屋航空宇宙システム製作所(名航、名古屋市)は来年3月、今年の新卒技術者100人全員に1ヵ月間の集中講座を実施する方針だ。 名航には社運を賭けた小型ジェット旅客機「MRJ」を開発する三菱航空機(名古屋市)もあり、来年春には開発が佳境を迎える。 それでも、同社の宮川淳一常務は「若いうちからの基礎教育はリターンのある投資。 それなくして、世界に通用する航空技術
者を育てられない」と語る。
 
キャノン 大学に肝いりの研究施設
 大学では冶金、原子力、造船など日本の製造業の基盤を支える重要学科が姿を消している。 大学に任せていては“絶滅危惧種"を教えない。 キヤノンは宇都宮大学を支援、昨年春に光学分野の教育研究センターを設立した。
 
 「今年の大学院1年生は70人近くが光学専攻の講義を申し込んだ。 これまで光学の総合的な教育を受ける学生なんて日本全体でも1学年30人ぐらいだった」。 宇都宮大学オプティクス教育研究センターの谷田貝豊彦センター長は語る。
 
光学はデジタルカメラなどキヤノンの製品に必要なだけではない。 光計測機器や「光メモリー」など次世代デバイス関連の基盤技術でもある。 にもかかわらず、光の特性を理論化した「幾何光学」などを体系的に学べる大学は姿を消した。
 
 仕掛けたのは東京大学教授などを務めたキヤノンの生駒俊明特別顧問。 「お金の切れ目が縁の切れ目となる寄付講座ではダメだ。 世界をリードする光学の教育施設を作れ」と押し切った。
 
 キヤノンは年2億円の運営費を負担、5人のエース級技術者も送り込んだ。 その1人がレンズ設計の辻定彦氏だ。 秋からの演習講座では1000万円もする最新設計ソフトを使ったレンズ設計を指導する。 実践教育が技術者の裾野を広げる。
 
 NECの佐々木元会長は「(キヤノンのような)技術者教育の産学連携が一段と重要になる。 産業界がもっと積極的に動くべきだ」と強調する。 半導体出身の佐々木会長は1990年代末からの業界の業績不振に伴う学生人気の低下に悩んだ。 自らが旗を振り、業界共同出資の半導体理工学研究センター(STARC、横浜市)で2001年から、本格的な教育支援を始めた。
 
 STARCは合計4000ページの教科書を6万部近く無料配布。 最近は期末テストも作る。 講義を実施した大学には100万〜200万円を払う。 昨年度は全国44大学で実施、講座修了者数は前年度比5割増の2073人だ。 やっと涙ぐましい努力の成果が表れた。 産業界の真剣な協力がなければ、大学の工学部の危機は乗り切れない。
 
東大も「大学」に頼らない 社会人技術エリートに高度教育を
 「もう大学には頼らない」と考えているのは企業だけではない。 実は大学の中からも、新たな大学での技術者教育を模索する動きが出ている。 その象徴が社会人の原子力技術者を対象とした東京大学の専門職大学院だろう。
 
 「東大の原子力教育のDNA(遺伝子)を残せた。 ここが最後の頼みの綱だった」。 専門職大学院設立の旗を振った東大の班目春樹教授はこう語る。
 
 茨城県東海村にある東大の専門職大学院は教育期間が1年間。 電力会社や重電メーカーなどから30歳前後の技術者を受け入れる。 定員は15人。 長期的に先端技術の組み合わせである次世代原子炉の開発プロジェクトを担える人材を育てることが狙いだ。
 
 授業時間は月曜日から金曜日まで1日7時間。 午前中に座学が3時間、午後は問題演習や実習が4時間あり、夜中や週末も予習と復習が欠かせない。 炉心設計の権威である岡芳明教授ら東大の教官に加え、三菱重工業など民間からも専門家を講師として招く。 科目数は38あり、原子炉物理学や核燃料のリサイクルなどの専門科目に加え、小型実験炉の運転など実習も多い。
 
 日本の大学では1986年に旧ソ連で起きたチェルノブイリ原子力発電所の事故以来、原子力の学生人気が急落。 東大も専門科目を大幅に削減せざるを得なかった。 原子炉の構造すら理解せずに、大学院の原子力コースを卒業していく学生も多いという。 危機感を抱いた班目教授らが動き、2005年に工学部系初の専門職大学院が生まれた。
 
 岡教授は専門職大学院のメリットとして、年2回の難しい筆記試験で知識を身につけられることを挙げる。 「最近は専門科目の多くが大学院での教育。 試験はリポート提出が多く、それが教育レベルを落とした」からだ。 班目教授は「最近の大学生に、ここまで難しいことをやるのは無理。 経験の豊富な社会人なら可能だ。 専門職大学院は半導体など他分野でも転用できる教育の新しい形になる」と指摘する。
 
<地方から風を起こす> 革新を主導する自治体

宮城県 大型投資誘致で連戦連勝
 「国内の大手製造業が投資先として最も重視するのは技術系人材の供給力だ。宮城県は企業ニーズに即断即決で教育を強化していく。この姿勢が企業に信頼感を与え、誘致の成功につながる」。 宮城県の村井高浩知事は自信滴々にこう語る。
 
 それも無理はない。最近1年半、宮城県は大型の企業誘致で「連戦連勝」を重ね、岩手県など周囲のライバルに地団駄を踏ませてきた。
 
 2007年3月に契約した東京エレクトロンの新工場誘致を皮切りに、トヨタ自動車関連では大激戦となったセントラル自動車(神奈川県相模原市)の工場移転先に決定。 トヨタなどが出資するパナソニックEVエナジー(静岡県湖西市)のハイブリッド車向け新電池工場も射止めた。 8つの大型誘致案件だけで、総投資額は2200億円程度。 2000人近い新規直接雇用を生み出す。
 
゛快進撃の背景には2005年に就任した村井知事が企業に対して技術系人材育成への青写真を示し、すぐに動いたことがある。
 
 例えば、今年春から仙台市内で始めた自動車産業の専門技術者の育成プログラムがある。 東北大学や東北工業大学など県内の8大学の大学院生を主な対象に最新の3次元設計手法などを学べる32の講座を揃えた。 1年間で合計332時間の授業があり、講師陣はトヨタグループやNECなどの専門家が務める。 各大学から教授推薦による成績優秀者310人が送り込まれた。
 
 たった3ヵ月程度でこれだけの講座を準備したことに企業側はうならされた。 宮城県や地元経済界が昨年12月に設立した「みやぎカーインテリジェント人材育成センター」が講座のラインアップを作成した。
 
 工業高校でも、村井流の「即断即決」が続く。 仙台市から北に20km離れたセントラル自動車の新工場(大衡村)に近い黒川高校。 全国的には異例のことだが、2010年度から工業系クラスを1学級増やし、3学級(定員120人)にすることを7月に決めた。 長年、定員割れが続いてきたため、大きな賭けだ。
 
倉光恭三校長は「実習練の新設など県の支援も手厚い。 トヨタ系の部品メーカーの進出が続いても十分な人材を教育できる」と言う。 強気の学級増設で、投資をさらに呼び込む作戦だ。
 
 また、宮城県北部にある鶯沢工業高校(栗原市)の廃校も中止した。 大幅な定員割れで、来年から生徒募集を停止するはずだった。 「宮城県の経済は製造業で成長する。工業高校はつぶせない」と村井知事は言う。 興味深いのは宮城県が技術系人材の裾野を広げる長期戦略にも取り級んでいることだ。
 
 例えば、小学生向けの「特別理科実験授業」。 小学生の「理科離れ」に歯止めをかけるため、昨年から始めた。 2008年度は地元に大型工場を持つ電子部品大手NECトーキンや大和ハウスエ業の仙台支店の技術者ら合計97人を特別講師・理科支援員として小学校に派遣する。 県内41校170学級が対象だ。 合計の授業時間は1万4000時間。 全国でも屈指の水準だ。
 
 中学校で始めたのは「13歳の社会へのかけ橋づくり」プロジェクトだ。 中学1年生を対象に工場や福祉などの現場を体験させ、勤労意識を持たせる。 単なる社会見学ではない。 昨年度は3503人が工場などで作業を手伝った。 小学校、中学校から、将来の技術系人材を増やす綿密な戦略がある。
 
 村井知事は「県内の理工系大学の卒業生の7割が県外に就職するような状況を変えたい。 地元で大切に育てた技術者が地元で働く。 それなくして、宮城経済の長期的な成長はない」と言う。
 
山形県 「有機EL」を丸抱
 技術系人材の供給源とされてきた地方都市から、モノ作り教育の新しい風が吹き始めた。
 
 山形県は地元の国立大学工学部を活用し、人材育成と産業振興を組み合わせた戦略で注目を集めている。来年からは「有機EL(エレクトロリレミネッセンス)バレー」戦略が本格的に動き出す。 蛍光灯の代替となる照明用の白色有機EL素子を発見した山形大学工学部(山形県米沢市)の城戸淳二教授を支援してきた成果がいよいよ日の目を見る。
 
 今年5月末、三菱重工業やロームなどが共同で、米沢市に世界初の照明用有機ELパネルのサンプル工場を建設することを決めた。 来年から出荷が始まる。 3年後の量産工場の立ち上げも確実。 山形県経済に強い追い風になる。 城戸数授が白色の有機EL素子を発見してから15年。 山形県が本格的な支援を始めてから5年が過ぎた。 城戸教授は「サンプルエ場ができれば、国内外から優秀な学生や研究者をもっと集められる」と語る。
 
 地方の国立大学は「特色がないのが特色」とも鄭楡されてきた。 優秀な地方の高校生は首都圏志向が強く、東京都内の有力私立大学に奪われてきた。 山形大の小山清人副学長(工学部教授)は「地方の国立大学は『選択と集中』で明確な強みを出すことが重要だ。 そのためには城戸教授のようなスターを育てる必要があった」と語る。
 
 城戸教授には東北大学や広島大学などからのスカウト話があったが、小山副学長はすべて断ってもらった。 一方、城戸教授には米沢市内の工学部キャンパス内に合計1500m2にも及ぶ研究スペースを与え、入試などの雑務も免除した。 その代わり、毎月のように国内の有力高校を訪問する、広告塔になってもらった。 最近、山形大工学部の志願者教が増加に転じたのは「城戸効果」だという。
 
 山形県も2003年からの7年間で総額43億円を投資し、米沢市内の有機ELの研究センターを設立した。三菱重工や松下電工など有力企業の研究者が集まった。 城戸研究室の学生もパネル試作などの充実した設備で企業の研究者と交流できるから成長できた。 世界化学最大手の独BASFや、照明最大手の蘭フイ
リップスなど欧州大手も研究者を送り込む。
 
 城戸教授を最近喜ばせたのは自らが手塩にかけて学部生の頃から育てた学生が博士課程を修了し、ドイツのフランクフルト市に近いBASFの中央研究所に採用されたことだ。 山形大工学部は研究でも人材教育でも世界の中核を担う存在になってきた。 「有機ELのヨネザワ」に向けた動きが急ピッチで進んでいる。
 
愛知県、大阪府 工業高校を企業に託す
 もう1つ地域レベルでの人材育成で重要なのが日本の製造現場を支えてきた工業高校を復活させることだ。 国内の工業高校では昨年春の卒業者が10万人を大きく割り込んだ。 1960年代後半の半分。 製造業への就職者も全体の3割強に過ぎない。
 
 全国工業高等学校長協会(東京都千代田区)の毛利昭事務局長は「工業高校は生徒1人当たりの年間教育費用が200万〜250万円と、普通科の2倍だ。 地方財政が厳しく、学級数の削減が続いてきた。地域の支援がなければ、かつてのように優秀な技能者を育てるこ
とは難しい」と指摘する。
 
 驚異的な実績を上げているのが愛知県岡崎市の岡崎工業高校だ。昨年度の国家技能検定では高校生ではほとんど受からない旋盤と機械組み立ての2級試験に15人の合格者を出した。 「全国的に見ても圧倒的なトップだ」と吉見和俊校長は言う。
 
 2級の機械組み立てで求められる加工精度は100分の2mm程度とされる。 髪の毛の大さの半分以下である。 岡崎工業は7月下旬から10日間の合宿で地元のトヨタ自動車系の部品メーカーからベテラン技術者を呼び、1日8時間の指導を受けた。 愛知県が費用を負担した。
 
 2級合格には2年生からの基礎訓練が欠かせない。 吉見校長らが地元の中小企業に頼み込んだ。 今年の夏休みは昨年の2倍の40人が企業で10日間のマンツーマン指導を受けられる。
 
 愛知県ではトヨタを筆頭に有力製造業がひしめき、工業高校の就職希望者は大手志向が強い。 ただ、「企業研修で中小の良さを理解し、就職する生徒が増えてきた。 だから、企業も熱心に応援してくれる」と吉見校長は話す。
 
 大阪府では「工業高校のアキレス腱」とされる教員の教育への動きが始まっている。 地元の松下電工が支援に動いた。
 
 松下電工の研修拠点に教員を送り出す城東工科高校(大阪府東大阪市)の山田幸男校長は「工業高校の授業は先生が技能のすごさを見せられないと成り立だない。 ただ、技術担当の先生たちはこれから大量退職の時代を迎える。若手の育成が深刻な悩みだった」と語る。
 
 今年4月から2ヵ月に及んだ研修では12人の若手教員に、やすりを使った機械加工の実技を教えた。 2006年から研修を受けた合計22人の教員は細かい精度の加工ができるようになり、授業に役立っている。
 
 工業高校の教員の技能指導に協力している製造業大手はほとんどない。 松下電工は今後、工業高校から年100人規模の採用を計画している。 「地元の工業高校の教育レベルをいかに高められるかが重要になっていた」と小畑外嗣・生産技術研究所長は説明する。
 
 日本の技術者教育の再建には「草の根運動」が欠かせない。 ただ、それは今後、新たな潮流として着実に進むだろう。 宮城県の成功も周囲のライバルたちを猛烈に刺激している。 教育の地域間競争に後れを取れば、経済停滞から抜け出す道が閉ざされかねない。
 
<12歳からの英才教育> 鉄は熱いうちに打て
弓削商船 マイクロソフトが熱視線
 瀬戸内海の因島に寄り添うように浮かぶ弓削島(愛媛県上島町)。 かつて造船会社のベッドタウンとして栄えた小島の学校が、あの米マイクロソフトから熱い視線を浴びている。
 
 全国に61校ある高等専門学校(高専)の1つである弓削商船高等専門学校の宿泊施設では、7月下旬から、18人が所属するマイコン研究部が夏合宿に入った。 毎年10月に開かれる高専の「プログラミングコンテスト(プロコン)」に備え、8月末まではほぼ毎日、夜遅くまでプログラム作りが続く。 弓削商船は優勝8回の強豪校だ。
 
 マイコン研究部顧問の長尾和彦教授は「生徒には自らがプログラムしたシステムが動いた時の達成感を味わわせたい。 将来、ソフトウエア技術者として成長する礎になる」と語る。
 
 昨年大会の優勝メンバーから2人が残った今年のチームが開発するのは「ハートフルアラーム(心臓の警告)」システムだ。 小型心電図を着けた高齢者の心臓に異常が起きた場合、携帯電話経由で家族らに居場所などの情報を自動送信する。
 
 プロ顔負けのシステムが組めるのは高専の早期教育の成果だ。 中学卒業後に5年間在学する高専では情報工学科の1年生、つまり15歳からソフト技術を学ぶ。 弓削商船では2年生から最新の「Java」言語を始め、少なくとも毎週3時間の実習がある。 4年生からは大きなシステムを間発していく。
 
 長尾教授は「1学年40人いる生徒のうち、寝食を忘れて、プログラム作りにのめり込むのは1〜2割。狭き門だが、若いうちから学ぶので本当の実力を持った子が育つ」と言う。
 
 こんな弓削商船に注目し、高専のソフト教育の支援に動いたのがマイクロソフトだった。 8月11日から3日間、東京都ハ王子市に全国18高専からトップクラスの21人を集めた「ITリーダー育成キャンプ」を開いた。 大型システム開発のプロジェクト管理手法を教えた。 学生たちは9月から各校で仲間を募り、「テクノロジーを活用した環境保護」といったテーマでシステムを作る。 マイクロソフトが来年夏にエジプトで開く若手ソフト技術者向けの世界大会への出場の達も開かれている。
 
マイクロソフトの田中達彦アカデミックテクノロジー推進部マネージャはプロコンの審査員として、昨年大会で優勝した弓削商船チームの作品に驚いた。 ビーズによるペンギンの作り方を教える支援ソフトだった。 「あれほどのシステムを難なく動かした。発想も面白い」。
 
田中氏は国内の大学でソフト技術の講師を務めてきた。 学生たちのスキルとやる気の低さに失望することもあった。 「プログラムは英語と同じで早期教育が不可欠。 日本の汀(情報技術)産業の成長には全国で1学年2000人いる高専の情報工学科の学生が重要な役割を果たす」と言う。
 
 大学工学部の地盤沈下が続く中で、技術者の早期教育インフラとして高専が改めて注目されている。 高専では本科と専攻科で合計7年間も同じ学校で一貫した技術教育を受けられる。
 
 つまり、高専は日本の「6・3・3・4年制」の枠組みから離れており、大学受験もないところがポイントだ。技術者としての可能性が広がる。
 
阿南高専 18歳から最先端研究
 「うちの高専には東京大学の大学院生にも負けない学生が揃っている。 大学では専門的な研究は大学院の22歳からだ。 ここでは18歳、19歳の若さで研究に打ち込めるから、優秀な技術者に育ちやすい」。阿南工業高等専門学校(徳島県阿南市)の塚本史郎特別研究教授はこう語る。
 
 塚本氏は2004年、東京大学生産技術研究所の特任助教授時代に世界で初めて次世代半導体素子「量子ドット」の成膜過程を撮影した研究者として有名だ。 量子ドットは次世代半導体レーザーの本命であり、光ファイバーなどの飛躍的な性能向上につながる。
 
 塚本氏は昨年、地元の日亜化学工業が総額2億2600万円もの研究費を出した阿南高専の寄付講座の研究者に応募し、採用された。 「これほど有名な研究者が来てくれるとは想像もしていなかった」(小松満男校長)。
 
 塚本氏の周囲では「なぜ、あんな片田舎に行くのか」「東大に残るべきだ」という声が圧倒的だった。 塚本氏には高専出身者の研究仲間も多く、その能力の高さを知っており、迷いはなかった。 東大時代に自らが開発、世界で1台しかない量子ドット研究用の走査型トンネル顕微鏡も持ち込んだ。
 
 量子ドットはガリウムヒ素基板の上にインジウムなどを吹きつけて原子レベルの膜を作る。 いかに均一に、高密度にできるかが実用化のカギだ。 温度、圧力、電流など細かい条件を変え、成膜メカニズムを探る。
 
 塚本氏は「ジャングルの中をさまよう研究だ。 自らが手を動かし、徹夜も厭わない高専生と一緒にやれるから、世界でも最先端の研究が続けられる」と強調する。
 
 塚本研究室の学生が今年3月、応用物理学会で研究成果を発表した。 関係者を驚かせたのはこの学生が20歳という異例の若さだったから。 早くも成果が表れている。
 
日立製作所、横手清陵学園 中学生は「金の卵」
 「鉄は熱いうちに打て」。 早期教育の重要性は日本のモノ作りの現場を支える技能者でも同じだ。
 
 日立製作所は国内外の技能五輪大会での金メダル獲得数が約260個と、他社を圧倒する。 その秘密は創業者の小平浪平氏が1910年に創立した「徒弟養成所」をルーツとする日立工業専修学枝川専校、茨城県日立市)にあった。
 
 日立市内にある日立の訓練センター。 早朝8時前から14人の若者が陸上トラックで猛ダッシュを繰り返す。 200m走を5本。 1人でも35秒を超えれば、やり直しだ。 ほとんどが今年春に日専校を卒業し、10月の技能五輪大会に挑む選手たちだ。
 
金メダル獲得へ「地獄の特訓」技能五輪を目指す日立の研修生の一日
 日立の技能五輪「総監督」である中村洋氏は「1日10時間の実技訓練は厳しい。 それでも日専枝で学んだから精神的にも強い子供たちだ」と胸を張る。
 
 日専枝は1学年100人。 豊かな日本で、中学卒業後に全寮制の厳しい学校に入学したい子供は少ない。ただ、今年春入学者の受験では志願者が5割増の200人だ。 飛田和彦校長は「40人の教師が東日本11県の中学1200枝に足を運んだ努力の成果だ」と言う。
 
 日立の原子炉設計者から転じた杉山浩教頭は福島県の56枝が担当。 訪問する学校の卒業生がいれば、その学生の写真入りの壁新聞を作り、学校の掲示板に張ってもらう。 「担当中学から5人の受験者が出れば、大成功」(杉山教頭)。 3年前に担当中学から技能五輪の優勝者が出た時は胸を熱くした。
 
 日専技では3年間の実技研修だけで合計1900時間ある。 普通の工業高校の5倍だ。 それでも「技能
五輪の厳しい訓練にまで挑戦しようという生徒はほとんどいない」(杉山教頭)。 毎日の授業を通じて、モノ作りの醍醐味を教え込む。
 
 秋田県横手市にある横手清陵学院は国内唯一の中高一貫の工業高校として12歳から、「技術者の卵」を育てる。 中学2年生は金属製の文鎮やキーホルダーを作る。 高校総合技術科の4人の先生がつきっきりで旋盤を教える。
 
 福田世喜校長は「日本の中学校の技術の時間はパソコンをいじるくらい。ここでは工業高校の先生が本当の技術を教える。 技術に関心を持つ子供が増えてきた」と笑顔で語る。
 
 数字が証明している。今春、開校2年目の2005年に中学に入学した2期生80人のうち、22人が併設される高校の普通科ではなく、総合技術科を選んだ。 女子も8人いた。 昨年春の1期生の13人(女子1人)から大幅増だ。
 
 横手清陵では実技など授業も大幅に充実させた。 この結果、横手清陵の総合技術科への一般高校入試では母体の横手工業高校時代と比べて、合格ラインが500点満点で100点も上がった。 中高一貫教育は工業高校の学生の質の低下への打開策になる。
 
 日本には子供たちに、モノ作りの楽しさ、技術の魅力を教える教育インフラがある。 日本の貫重な財産を最大限に生かせるかが問われている。 
 
高専から超難関大への合格者急増 
 高等専門学校(高専)が難関国立大学への進学実績を急速に伸ばしている。 高専全体でも年2700人程度が大学に編入するが、この9割以上が国立大学だ。
 
東京大学など旧7帝国大学に東京工業大学を加えた超難関8大学の第3学年への編入者数は今年春卒業では254人。 10年前のほぼ2倍だ。 専攻科から8大学の大学院への進学者数も179人と、約14倍になっている。
 
 高専の中でも、群馬工業高等専門学校(前橋市)が進学校として有名だ。 今年春に全高専から東大大学院に入学した12人のうち、7人が群馬高専出身。 東工大の大学院進学も10人だ。
 
本間清校長は「専攻科を含めた7年間、好きな技術に熱中しても、専門技術科目の能力を重視する東大に数多く合格できる」と語る。 昨年、東大大学院の情報工学系に入学した女子生徒は数学が苦手だったが、群馬高専で学んだプログラミング能力で合格できた。
 
 高専と言えば、ロボット作りが有名だ。 豊田工業高等専門学校(愛知県豊田市)ではサッカーロボットの世界大会に挑戦する。 昨年は米国の強豪、ハーバード大学−マサチューセッツエ科大学連合にも勝った。
 
ロボット担当の渡辺正人技術専門職員は「学生は放課後に年800時間もロボットにのめり込む。 好きなことを究めるから、専門技術が身につく」と言う。 ロボットのチームからは毎年、京都大学や東工大な
ど名門大への進学者が生まれる。
 
モノ作り教育「格差是正」を
 日本の技術系教育を立て直すために今、何か求められているのか。 まず1つの事例を紹介したい。
 
川崎市にある向の岡工業高校定時制ロボット研究部の活躍だ。
 
 定時制は日本の高校教育で「最後の受け皿」と言われる。 複雑な家庭環境で育ち、中学時代に不登校だったり素行が悪かったりした生徒も少なくないからだ。
 
 ただ、向の岡工業は欧州の玩具メーカーのレゴが主催するロボット大会で昨年は207校の中で4位。 2年前は準優勝。世界大会にも出場した。 上位チームは全日制の有力工業高校ばかり。定時制ロボット部の活躍は「奇跡」だった。
 
 向の岡工業では定時制の授業が終わった夜9時から11人の部員がレゴのブロックやモーターを使ったロボットの組み立てに熱中する。 顧問の嶋村圭一教諭は「中学時代に引きこもっていた生徒の長隋が生き生きとしてくる。 モノ作り教育は生徒の心を動かし、成長させる」と言う。
 
 2年前に準優勝したメンバーの2人は入学当時は考えられなかった理工系大学への進学を果たした。 今年春には一挙に8人の新入生が入部した。 嶋村教諭らは大会が近づけば、土日も出動して部室を開ける。 現場の教師たちの熱意がモノ作り教育の底辺を支える。
 
 大手製造業の経営者は□を開けば、「教育の重要性」をぶつ。 だが、教育現場の苦労をどこまで理解しているのか。 団塊の世代が大量退職を迎える「2007年問題」が迫った焦りから、最近は工業高校からの採用拡大に動いた。 それでも「工業高校のレベルは昔に比べて落ちた」との声をよく耳にした。 自業自得だろう。 工業高校の人気が凋落したのは製造業大手が1990年代後半に業績悪化で採用を絞り込み、就職が難しくなったことが大きい。
 
 大学の工学教育の現場も荒廃が進んでいる。 文部科学省の科学技術研究費という「競争的資金」の奪い合いが教授の評価を左右し、本来の「教育」が置き去りにされた。 資金獲得が難しい機械や素材など基礎工学分野の教授の発言力は低下するばかり。 こうした流れを決定的にしたのが「イノベーションの実現」を掲げ、バイオなど一部の先端分野にあまりにも重点的に資金を集中させ過ぎた第3期科学技術基本計
画(2006〜10年度)だろう。 大学の資金力格差も一気に広がった。
 
 第3期計画の立案に問わった芝浦工業大学の柘植綾夫学長は「第3期はエリート教育に重点を置き過ぎていた。 社会を支える技術系人材を幅広く育てるべきだ。 トップクラスだけ伸ばしてもダメだ」と指摘する。 第4期計画では持論を主張していくつもりだ。
 
 戦後日本の高度成長を支えた技術者教育は今、大きな曲がり角に来ている。 工業高校の定時制にしても行政や企業による支援の上積みがあれば、病んだ日本の若者たちを教うために重要な役割を果たせるはずだ。 少子化が加速していく中で、モノ作りを担える人材を幅広く見いだし、大切に育てていく。 教育の格差を放置したままなら、技術立国日本の未来はない。
 

企業トップは学生と語れ
利島 康司[安川電機社長]   聞き手 本誌編集長 佐藤吉哉
日本経済の土台はモノ作り 技術革新で成果を上げて 世界的地位の再浮上を
若者にほしい「技術の幅」 豊かな発想力と高い目標で エンジニアは育っていく
 
まず学生を「マーケティング」
  安川電機は世界を代表する産業用ロボットメーカーです。 ただ、主力の溶接分野は、日本の大学で学生が減り続けていると開きます。 基盤技術を担う人材が減ると研究開発に影響が出かねないという恐れはありませんか。
 
  大きな問題だと思っています。 溶接ロボットは制御ソフトが要ですが、ソフト技術者を採用しただけでは、いい溶接ロボットはできません。 従来、当社では(溶接工学で有力な)大阪大学で溶接を学んだ卒業生をずっと採用してきました。 溶接の時の火花から良し悪しを判断したり、自動車の鋼板が衝撃で外れてしまう恐れがあるといったことが理論と経験から分かったりする。
 
 ところが、最近は採用できなくなった。 人数が少ないからです。 最近は、阪大でも溶接を学ぶ学生が減っています。 卒業生もロボットメーカーより、まず造船企業への就職を考えます。
 
  今までは採れていたんですか。
  当社では40歳前後の技術者を最後に新卒では採用できていません。 「断層」を埋めるためには、阪大出身者であれば60歳を超えていてもいいと、今、一生懸命、採しています。
  日本は技術で食べていかなければならない国です。 しかし、その技術力の源流である人材の今後を探っていくと心許ない。 技術系人材の育成や強化は喫緊の課題ではありませんか。
 
  その通りです。 今、世界の中で日本の地位がどうも上がってこない。 昔は、もうちょっと高かったように思います。 これを盛り返そうと恩ったら、やはりモノ作りや技術革新で目立った成果を上げることが一番大切ではないでしょうか。
 
 それができて初めて金融を含めた経済全体の地位も上がっていくということじゃないかと。 逆に言うと、モノ作りのベースがしっかりしていないと、日本経済は足元がふらつきます。
 
  日本がバブル経済に沸いていた頃、メーカーの経営者は理科系のいい人材が金融機関に奪われてしまうと嘆いていました。 それに近い状況が最近起きています。 ゆとり教育でろくに理科の実験もしていない世代も増える。 日本の中でモノ作りが軽視される風潮が強まっている気がします。
 
  確かに感じています。 ただ、企業側が学生のことを理解していないことも大きな原因ではないでしょうか。 「技術の勉強をしてきたはずの工学部の学生が、専門知識を生かせる製造業に入ってこないのは教育が悪いからだ」と言うのは簡単です。 しかし、そんな単純な話ではないでしょう。
 
 大学生はどんな学生生活を営んでいて、そして卒業後はどういうことをやりたいと恩っているのか、企業側はもっとしっかりリサーチすべき。 いわばマーケティングが必要なのです。
 
 企業側がそれをやらずに、入社後に教育を一からやり始めるから、当然、進歩は遅い。 企業も学生も「こんなはずではなかった」と思って、両者の間に溝ができる。 そして、若手社員が早々に辞めてしまったりする。 そうならないよう、溝を埋めようと思うなら、学校や学生にだけ頑張れと言うのではなくて、企業側がもっと学生を知る必要があります。
 
  大学と企業の関係は、時代とともに変わってきました。 「象牙の塔」と言われ、企業にとって近寄りがたい半面、教授が学生を推薦してひも付きで採用してもらうといった密な部分もありました。 癒着を排する一方、国際競争力を意識した真の産学連携を再構築する機運も高まっています。
 
  以前は、企業と学校の間に連続的なつながりがありました。 ゼミの学生が卒業生を通じて、「安川電機ではこんなことをやっていて面白そうだ」などと知ることができた。 自分の専門を生かせるなと判断できたり、興味を持ったりすることができたのですが、今はなくなってきました。
 
この10年ほど景気の悪い時期が続き、大学の新卒社員を採りたくても採れなかったことが最大の理由です。 その時期も過ぎて、いざ学生を採用しようとしても、以前と同じようなわけにはいかないでしょう。時代の移り変わりとともに社会構造も変わりました。 学校から「学生を採ってくれ」とアプローチしてくるのを企業が待つ時代ではないと思うんですよ。 それぐらい今は危機感を持っていないと。
 
社員には大学訪問をさせよ
  何か取り組みをしていますか。
 
  安川電機は1909年に「明治専門学校」という学校を創設しています。 現在の九州工業大学です。 今でも一番多くの学生がここから来ています。 この大学にどんな研究室があるのかは十分に把握していますし、ほかの大学も、実情を知る努力をしています。
 
 例えば、役員には、自分の出身学校に少なくとも年に数回は訪れるように言っています。 リクルートに役立てたいという思いもありますが、大学がどう変わろうとしているかを肌で感じてもらうためです。
 
 30歳前後の若手研究者も、出身大学から臨時講師などを頼まれたら積極的に行かせています。 企業の中で活躍している自分の姿を後輩に見せてほしいからです。 会社を知ってもらう良い機会なので、場合によっては、私もついていきます。 学生に私たちを知ってもらうと同時に、私たちも学生を知りたいのです。
 
  それでも、学生たちの工学への関心は低くなる傾向にあります。 初等教育も含めて、科学の目を養ってほしいという思いもありますか。
 
  学生が学ぶ「技術の幅」が狭くなっている印象はありますね。 企業の立場からすると、多様な技術をまず理解して、そのうえで専門性を身につけていってほしい。 技術が最終的にどのように製造現場や人間の生活で役立っているかを実感することが出発点だと思います。
 
その理解がないまま、1つの部品や1つの製品を良くしようとしてもモチベーションは高まらない。 人類や社会への貢献という、もっと大きな夢や目標を持ってほしいですね。
 
  学生がそう思うように道筋をつけてあげることが大切と。
 
  そうですね。最近では世界規模で「ロボットコンテスト」などが開催されています。 そうやって学生の夢を引き出しているところは合格でしょう。 80点ぐらいはあげられる。 でもそれだけでは若者が「ロボットおたく」で終わってしまう。
 
 もっと先を見てほしい。 ロボットとサッカーの試合ができるようになるかもしれない。 人間の介護や宇宙探検ができたらどうだろう。 宇宙から地球を見て研究し、地球環境を守ることができたら、なんて発想が広がっていったらいいですよね。
 
 トヨタ自動車の渡辺捷昭社長にお会いした時、「これからは人間が幸せになる車を作る」とおっしやっていた。 目標を上げることで、車の開発コンセプトは変わるし、より多くのエンジニアが集まるようになるはずです。
 
全国で20人ずつ対話集会
  人材獲得競争は世界規模で激しくなっています。人材育成の競争もしかりです。 安川電機は2002〜03年3月期に最終赤字に陥り、当時は6年間で本体の3割に当たる1200人の正社員を減らした。 厳しいリストラの間、採るべき人を採れなかったという反省が今の「ヒト重視」の原点にある…。
 
  経営は人づくりであり、モノ作りも人づくりです。 しかし、過ぎたことを悔やんでも仕方なく、今いるメンバーでしっかりやろうと社内には呼びかけています。
 
 そうなると、やはりモチベーションが大切です。一人ひとりが自律的に働けるような仕組み作りです。これは一朝一タにできることではありません。 私はいろんなタイミングをとらえて、自分で文章を作って社内に発信しています。 状況が許せば、自分の口で語る機会を持ちます。 毎年、国内のすべての拠点に足を運んでいて、その都度、人材育成のテーマを1つ決めて発表します。 それから、1回に社員を20人前後集める「対話集会」をずっとやっています。 今までに延べ1000人ぐらいと話したでしょうか。経営会議と同じくらい時間を費やしています。
 今年は「安川電機を愛し、安川電機を誇りに思う人々になろう」というキヤッチフレーズを設定しました。社員が心の底からそう思えるようになれば、その家族もみんなそう思う。 それが少しずつ社会に波及していけば、学校や学生から注がれる視線も変わってくる。 そうやって社員のモチベーションを上げていきたい。
 
  リストラが進んだからでしょうか、今は日本企業において、個人が会社との一体感を持ちづらくなったような気がします。 しかし、技術部門は、みんなでいろいろと議論したり、試行錯誤を重ねたりしながら進めていくことが大切ですよね。
 
  当社は一番危なかった時期を乗り切りました。 若手が育ってきたこともあって、50代の社員の中には「もう私は年を取りました」などと弱気なことを言ったりする人がいます。 でも私は「まだあなた方の力が必要。 その力を今後も高めてほしい」と言っています。 若手社員を引っ張る先頭集団になってもらいたいのです。
 
  製造現場における技能伝承が難しくなっていると言われます。 しかし、安川電機の主力製品はロボットです。 人手をロボットで置き換えることがモノ作りの「現場力」低下を助長しかねないといったジレンマを感じることはありませんか。
 
  それはありません。 実は、想像されるほど私たちは製造現場のロボット化をしていない。 少子高齢化で人間の数が減るから、その分を補うのがロボットの役割だととらえています。
 
 人間よりも賢い製造現場のロボットは作りません。 生産技術を変革していく知恵は、結局、人間でなければできないのです。
 
[傍白]
 幼い頃、壊れた置き時計などがあると、「修理」と称して、分解して内部の構造を見るのが好きでした。 大
学生や高等専門学校生たちが参加するロボットコンテストやロボカップサッカーなどはテレビ放映があると釘づけ。 ロボットの設計に知恵を絞り、動作に一喜一憂し、負けて悔し涙に暮れる。 郷愁やら憧れやらで、胸の奥がチリチリ痛みます。
 
 利島さんは小さな部品の組み立てから、社会の便益や世界の平和に役立つ技術や製品への構想力の重要性を訴えます。 「『鉄腕アトム』もテーマは地球を守る話になっている。 アトムヘの憧れは人間としてどこまで大きくなれるかということ」。 夢を持った若者を育てる大事な時です。
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