「敗北を抱きしめて」読後感について
大野 伊左男 (K-Senior:2874)
書名:
敗北を抱きしめて
著者: ジョン・ダワー
発行所:岩波書店
著者はアメリカ人ジョン・ダワー、1938年生まれ、現在はマサチューセッツ工科大学教授、著書に「吉田茂とその時代」などあり、過去に日本に滞在したことがある。今回の書は全米で大変な反響を呼び、ピュリッツアー賞ほか沢山な賞を受賞された。
上巻・箱書きをそのまま写すと「1945年8月焦土と化した日本に上陸した占領軍兵士がそこに見出したのは、驚くべきことに、敗者の卑屈や憎悪ではなく、平和な世界と改革への希望に満ちた民衆の姿であった。勝者による上からの革命に、敗北を抱きしめながら民衆が力強く呼応したこの奇跡的な「敗北の物語」を米国最高の歴史家が描く」
下巻には「敗北を抱きしめながら、日本の民衆が「上からの革命」に力強く呼応したとき、すでに腐食しはじめていた。身を寄せる天皇を固く抱擁し、憲法を骨抜きにし、戦後民主改革の巻き戻しに道をつけて、占領軍は去った。日米合作の「戦後」がここに始まる」とある。
全巻にわたり、膨大な資料によってこれらの議論を裏付けている。どのテーマも自分が子供のときのことで当然であるが、ああそういうことだったのかと理解することが多い。たくさんな内容の中で、下巻にある憲法制定前後の話は国会でのテロ対策法案の論議に関連しており、皆さんに興味があると思うので、ここを先ず紹介します。
1、 憲法はアメリカに押し付けられたと理解していたが、本書によると当初日本政府に松本烝治を委員長とする憲法問題調査委員会が設置され、日本側で案を作成することをアメリカ側も期待していた。然し委員会は明治憲法にこだわり、事前に新聞にリークされた時、内容があまりに保守的、現状維持的で、新国家形成に必要なビジョン、政治的識見、理想に欠けるもので国民の失望をかってしまった。マッカサーは日本自身による作成を断念、民生局にアメリカ人だけのスタッフを集め1週間で作成させ日本に提示した。
2、 天皇制の維持、戦後天皇が最も戦争に責任があるという考えが内外から出てきたが、マッカサーは早くから「アジアは今後、世界の勢力均衡にとって中核的な役割を果たす」。アジアの国々がそうした新しい時代にはいるにあたり、自分が指導するのを当然として、更に日本については天皇制を利用するのがよいと考えていた。従ってGHQが草案を作った段階で天皇は日本国民統合の象徴と位置づけら、天皇制は維持され、天皇は一時あった退位論にもかかわらず退位することもなく、生涯を終えられた。
3、
今日論議の多い第9条について:当初の案は「国の主権の発動たる戦争と武力による威嚇または武力の行使は、他国との間の紛争の解決の手段としては、永久にこれを放棄する。
陸海空軍その他の戦力は、これを保持してはならない。国家の交戦権は、これを認めない」であった。
国会審議にはいり、早速問題になったのは自衛権まで放棄するかということであった。
日本がやがては国連の加盟国になる。その際全ての加盟国は集団安全保障に貢献するという国連の要請に応えられなければ、加盟は不可能になるのではないかとも心配された。
吉田首相は交戦権のみでなく自衛権も放棄するものであると答えた。興味あるのは、この時共産党野坂参三が自衛権放棄に真っ向から反対した。結局審議の最終段階で憲法改正小委員会委員長芦田均は次のように文面を変更し、これが採択された。
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決の手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない」この変更は自衛のための再武装禁止について隙間(小泉首相もこの言葉を使っている)を与え、自衛目的の限定武装が禁止されているかどうかについて論議を曖昧なものとした。
しかも間もなく朝鮮動乱が起こり、ソ連、中国と冷戦時代にはいり、アメラカは終戦直後と異なり日本が後方支援程度の武装することを望む方向となり、1950年警察予備隊といわれたが、実質は軍隊が発足し、憲法は改正されることなく、着々と戦車、軍艦、飛行機が整備されてくるようになった。
4、 敗戦から7年経過した1952年4月28日占領が終結した。後半は日本の自治が拡大したにしても、あらためて7年といわれると、占領がそんなに長かったのかという思いがするのは、私のみであろうか。
5、 米軍から押し付けられたという感情をもち、不承不承GHQ草案を政府自身の作として提案をよぎなくされた憲法担当大臣金森徳次郎も平和、国民主権、基本的人権の尊重という理念をもつ憲法に共鳴し、熱心に国民に新憲法の尊重、定着を説きくようになり、憲法は国民からも広く支持されるようになった。
6、 吉田首相が自衛権まで否定したのは、日本の平和を希求する姿勢を世界に示し、早く占領を終結させ、占領が終わり、自由になった時点で憲法改正すればよいと考えたようである。然し憲法は平和憲法として、国民に深く受け入れられ憲法改正が難しくなっていくとは、想像だにしなかったと思う。
なお本書で日本人の資質について書かれている点で、なる程と思う点を列記する。
● 戦後、敗戦の責任について国民全体が反省懺悔しなければならぬという主張が多く行われ、敗戦の責任が均一化され、誰も責任をとりたがらず、誰も自分に責任があると言わなくなってしまった。
● この戦争に突入したときも、敗戦でそこから這い出たときも、日本人は同じくらいぼんやりしていた。1941年に、真珠湾攻撃にでたとき、軍部や文官の指導者たちは、アメリカ合衆国の工業生産力についても、目前に迫る大々的な衝突がどのような道筋をたどるのかについても、真剣に長期予測をたてなかった。当時東条首相は「清水の舞台から飛び降りるしかないこともある」と言った。
戦争が終わったときも、エリート達は先の計画を立てることに関してはいい加減以外のなにものでなかった。戦争経済から平時経済への転換について、あるいは、平時経済とはどんなものかについて、真剣に考えた者はごくわずかだった。
官僚も実業家も政治家もそろって、戦後も「清水の舞台」妄想のなかにいるようだった。
全編読み終えてかんずることは、日本という国は自らの手で長期ビジョンを描き、改革していくことの難しさである。
戦後日本は指導者の若返り、農地解放、貴族階級の消滅など数々の改革を進め発展した。
然し残念ながら、変革の真のリーダーは日本人ではなく、すべてマッカサーの作り上げた骨組みに吉田首相以下、不承不承ついていった結果にすぎなっかということが分る。
一方民衆の方は冒頭の箱書にあるように、長々と続いた戦争、軍部の横暴に飽き、平和な
世界建設と日本社会改革の希望をもって、占領軍に抵抗することなく、出される方針に協力していった、言葉を変えれば勝者による上からの革命に民衆は力強く呼応したという事実である。
最近日経ビジネスに浅利慶太氏が「今回、台本をかいてつくづく思ったのは、この戦争の悲劇は軍事官僚の失敗だったということ、見通しもたたぬまま中途半端に中国大陸に突っ込んでいった、あるいは米国と開戦してしまった軍事官僚に最大の責任がある。
目先のことしか見ていない今の官僚と同じだね。これは痛烈に告発しなければ。世紀の変わり目を迎えて、我々は前の世紀になにがあったかをしっかり残さねばならない」最近書き下ろす異国の丘のコメントである。
今日失われた90年代といわれながら、現状は、相変わらず官僚は省益、政治家は個益にしがみ、将来にむかって長期ビジョン描き国を引っ張っていく動きは小泉首相周辺のみで大きな流れになっていかないということである。
この点について大野道夫さんの薦めた井沢元彦「なぜ日本では誰でも首相になれるのか」でも同じ主旨のことをいわれ更に次のように言っている。即ち「和をもって貴し」の聖徳太子以来日本は話し合いを異常に重んじる社会であり、日本の組織のトップは絶対権力をもった存在ではなく、談合権力の長みたいで、決して優秀なリーダーである必要はなく協調的な人がリーダーとなることが多かった。
日本の社会は一見民主的にみえるが、実は無責任な談合社会である。然し今は明治維新、戦後の大改革に匹敵する大改革をおこなわなければならない時期にあり、大きな権力を付託したリーダーによって社会を変えていかねばならない時にある。
今日国民から小泉首相の支持率が高いのは、国民は既得権利者の代弁者となってしまった既成政治家、官僚の限界を90年代分り、21世紀を迎え日本を思い切って改革していかねばならない必要性が相当に理解している。それから出る強い期待が支持率に表れていると思う。この辺の状況は戦後占領軍を迎え協力した民衆とある意味においては同じ状況にあるといえるのではないだろうか。更に当時と比べようもない情報社会の進展により、民衆は情報を持ち、情勢の判断を行っている。権力者が思っている以上の理解をしているのではないだろうか。