討 論

三宮一泰 [K-Senior.02076]
三宮です。前回のバルカン物語に続いて「トルコ物語」を頂き続メイルを期待し
ています。ただし印刷用の原稿なのでEメイル画面では見難く、 プリントしてじ
っくりと読ませてもらいます。塙さんに励起されて、私のトルコの思い出を書き
ます。私がトルコのイスタンブールに飛鳥の世界一周クルーズの途次寄港したの
は1996/04/05で朝0800に入港しKARAKOI QUEIに係留しました。事前に塩野七生さ
んの「東ローマ帝国の滅亡」を読んで感銘を受け興味を持っていたので当時の激
戦の跡ガラタ橋に近く上陸して市内の名所モスク、トプカピ宮殿などを団体ツア
で歴訪し市街を迷いながら歩き遠いトルコ軍事博物館を探し当て有名なトルコ行
進曲の軍楽隊マーチの実演に感激しました。夜は飛鳥食堂の夕食豚のヒレカツ、
秋刀魚の塩焼き、煮物、胡瓜の酢の物,赤だし、香の物、 ご飯の日本食をそこそ
こに友人と雨のガラタ塔を夜道を伝って訪れました。 歴史上の古い塔の最上階
にレストランがあり現金の持ち合わせがないので恐る恐るカード支払い可かと確
かめ暫く果物など食べながら待つと中央の舞台に楽団が揃い目的はトルコのベリ
ーダンスが始まりました。所がビックリしたことに若い美しい踊り子がおなかを
くねらしてのダンスは、既成概念で豊満なアラブの女性を想像していたのいたの
と大違い色の白いほっそりした曲線美とやや東洋的な顔かたちにうっとりしてい
ると記念写真をとりましょうと彼女が客を順繰りにまわり私の番になるとほお擦
りをしたところをカメラマンに撮影させて直ぐに現像焼付けしてお土産としてく
れる。これはどれほどぼられるかと心配しいていると請求書が来てなんと日本円
で約500円相当。翌日は同船の男2人女2人 でガラタ橋を通ってフェリー乗り場か
ら海峡を渡り対岸のユスクダラを街を回る。雨がしとしと降り濡れて寒いので開
店前のレストランに入りこみコーフィーを所望する。開店前なのに直ぐに石油ス
トーブを用意して対応して独特のトルココーフィーを出してくれる。有難うと店
主に言うと「当たり前貴方かたが余りにも寒そうだったので手配しました」と。
屋敷町の中のボスフォラス海峡を一望の大きな店であった。街をうろうろしてい
る中学生の少女が寄ってきて下手な英語を使って郵便局を探しているのですかと
声をかけてくれる。コーランの祈りの声がスピーカーで流れる昼になりシシカバ
ブなどを食べ魚市場でマグロのトロ一塊2Kgを500,000トルコリラ(J\8
00-相当 )で買いこみ帰船し飛鳥の鮨職人に料理して貰い、最初は恐る恐る最後
は満足した。翌朝マルマラ海を西にダーダネルス海峡を抜けて一路ベニスに向か
った。トルコの港町は平和で治安が良く東西混交の近代的な非常に楽しい所で、
私の世界一週では最も印象深い港の一つでした。又訪れたい。

大野道夫 [K-Senior.02078]
好奇心旺盛な大野道夫です。
塙さんの「トルコ民族物語」、三宮さんの「私のイスタンブール」面白く読ませ
て頂きました。まだ見た事のない御伽噺の国の話を空想を大きく膨らませながら
読ませてもらいました。有難うございました。

河合敏夫 [K-Senior.02074]
トルコと関連事項について詳しく調べて纏められた塙さんのメールを興味深く拝
見しました。続きが楽しみです。又、三宮さんの「私のイスタンブール」も面白
く拝見しました。ありがとうございました。私自身、 かってジンギスカン (ハン
)に興味を持ち調べメモしていたものがあったのを思い出しました。少し関連が
あると思い、参考のために、以下に貼り付けました。歴史的な世界の火種のキリ
スト教、ギリシャ正教、イスラム教への政治的対応について、ハンは武力を背景
にはしていましたが、見事であったと思っています。この様な話題は視点が違え
ば感じが変わると思いました。
**********************************
チンギスカーン(ハン)(1157-1237)は蒙古の軍人で、 1206年蒙古帝国を樹立し
、ハンの制度を作り1237亡くなるまで帝国を支配しする。その後も後継者が引き
継ぎ広大な地域を支配した。イスラムは610年 にサラセン帝国にてマホメッド教
祖が起こす。唯一の神アラーを祭る一神教で、神の前で民は皆平等とするイスラ
ム社会主義である。近代西欧の云う社会主義とは全く異質の物。13世紀にハンに
支配されるがお互いに受け入れる。17世紀にはインドネシアなど東南アジアに勢
力を伸ばす。イスラム原理主義は、西欧文化に毒されず、本来のイスラムの教え
に帰る復古主義を云う。原理主義者の一部に、イスラムに西欧文明を持ち込み悪
影響をもたらす勢力に対し、武力で抗議しているイスラム原理主義過激派が問題
になっている。所感:イスラムは歴史的に着実に人口を伸ばしてきており、一神
教で、イスラムの教義に反する宗教、文化等を否定するので、将来イスラム以外
の人々にとって脅威であろう。特に、隣国のインド(ヒンズー)は、物質、動物
などを崇拝するので、イスラムには全く受け入れられないと思う。ハンのやり方
は賢明で、イスラムに対し見事な対応だったと思う。ハンは、東方の金を攻略す
る為に主力を投入していた。従って、当初西方とは友好的であったが、ハンの使
節が西方ホラムスに虐殺され、怒ったジンギスカンが西方遠征し、ホラムスに進
撃して破り、ロシア諸侯連合軍も破り帰国する。ジンギスカン死後、弟三子オゴ
タイカンが継ぎ、南宋、西方征服計画を立てる。西方は、ジンギスカン長子の子
パトウ大王を総指揮官とした。快進撃を続け、ポーランド、ハンガリーよりワル
シュタット辺りまで攻め込み西欧に怖れられた。モンゴル本国でオゴタイカーン
が突然死亡したので、パトウは後継を心配して、突然引き上げたので、西欧は助
かった。当時、キリスト教、イスラム教、ギリシャ(ロシア)正教、はお互いに
受け入れず反目し合っていた。十字軍が盛んに出撃していたのはこの頃のことで
ある。キリスト教は、イスラムを挟撃するために、ハンに協力を求める使節を送
ったのもこの頃のことである。しかし、ハンは、キリスト教、イスラム教、ギリ
シャ正教等の宗教を許容した。ハンは厳しい法律を作って占領地を統治したが、
統治した地名に今もハンの名前が多く残っている。例:現在の国名として、イラ
ン(イルカーンが治めた。イル+カン/ ハン=イラン)、パキスタン、アフガニ
スタン、ヨルダン、トルクメニスタン(トルコ人のハン)、アゼルバイジャン、
ウズベキスタン、天山山脈に近いタジキスタン、キルギスタンなどがある。更に
前にハンが付くハンガリー、フィンランドなどがある。しかし、ギリシャ正教が
支配する地方にハンの発音が入った地名が、何故残っていないのであろう。地名
としては、テヘラン、イスハーハン、アバダンなど多数残っている。イルカーン
は強い武将であり政治家であり、イスラム教にも理解を示し、今のイランを中心
にパキスタン、アフガニスタン、イラン、トルコを長期に渡って治めていたよう
だ。

日本に対しては:
チンギスハン第4子の子クビライは、南宋(南方に逃走しこれを追撃中)、高麗
(朝鮮半島)を攻め攻略する。日本に対しては1268年より国書で交易、親睦を求
めてきていたが、日本側は国書の文言を無礼と解釈する。再三の使節来日に対し
て、日本側は感情的になり追い返し続ける。1271年クビライが国号を元と称し、
その内に日本遠征を決意する。1274年第一次文永の役は、占領地の高麗製の船90
0隻に高麗軍8000人、高麗船員6800人に元軍を含んで2万人の規模であった。 高
の山が禿げ山になったと言われている。元軍は日本に上陸し、新式鉄砲で戦闘し
良い感触を得たが、台風で敗退する。その後、クビライは使者を出し親睦を図ろ
うとするが、鎌倉幕府はこの使者を斬首する。1281年第二次弘安の役は、高麗製
船900隻、4万人に、旧南宋(寧波、舟山群島)製船3500 隻人員10万人の規模で
あった。今回も台風(現太陽暦8月22日)で大被害を受けて敗走した。
所感:
当時、気象予報術は進んでいたかったが、高麗、中でも三星・大宇造船所のある
巨斉島付近の朝鮮南部、また中国の寧波、舟山諸島地域の、造船技術と航海技術
は相当進んでいたのであろう。
「日本と世界の歴史(学研)」「日本語大辞典(講談社)」を引用又は参考にし
ました。

塙 友雄 [K-Senior.02080]
三宮さん、大野さん、河合さん、「トルコ民族物語」についての返信、有難うご
ざいました。今回の物語は、日常生活に縁がなく、くどくどしい内容ですから、
皆様の興 味を得難いのではないかと案じ、 「続き」を書くのに嫌気がさしてい
ました。けれども、早速にも反応いただき、続編へ「やる気」が出てきました。
最近、耳にする事は、嫌な社会現象、経済問題、災害等の報道、また内輪の理論
、評論ばかりです。国外報道も、災害、国際紛争等、暗いニュースばかりです。
何となく嫌気がさして、10月、奥飛騨へ遊び、上高地で4泊し、 山の自然道を毎
日歩き廻りました。リフレッシュされたような気分です。今回の随筆に「ユーラ
シア大陸創成の話」を挿入したのも上高地の印象の素晴しさに魅せられた影響だ
と思います。「トルコ民族」を取上げたのは、自然との関わりの壮大さ、民族構
成の多様性にロマンを感じたからです。何故か、「シルクロード」とか「中央ア
ジア」と云う言葉に憧憬を感じます。「中央アジアの草原にて」の音楽が好きな
せいかも知れません。そして、ひょつとすると、縄文人も、古代トルコ人とルー
ツを同じくするのではないかと思うようになりました。トルコ民族にたいする感
想は、今後の連載文の中で、順次、述べることにします。

三宮さんへ
「あすか」でイスタンブールへ寄港されたときの記事、面白く、ユーモラスクに
拝 見しました。「2kgのまぐろを安く買い、船で調理して貰い、おいしかった」
とのくだりは関西造協の総会講演会の時に伺い、よく覚えていましたが、これが
イスタンブ―ルでの話であったことは失念していました。私が読んだイスタンブ
ールの記事には、オスマントルコ隆盛の時代、支配者のスルタンは、宮殿内のハ
レムに世界各地から、よりすぐった美女たちを集め、裁縫、料理、家事、芸術万
能を仕込み、毎日彼女たちにかしがれて鼻の下を長くしていたとあります。ガラ
タ塔、最上階、レストランのベリーダンスで、白いほっそりした曲線美、東洋的
顔かたちでおなかをくねらせる美人に、三宮さんがうっとりと、頬擦りされた時
は、さぞ、オスマンのサルタンと同じ気分であっただろうと思います。私も是非
、イスタンブールへ行ってみたくなりました。上高地より、何ぼかよいでしょう
ね!。オスマンが東欧へ侵攻したのは戦略上のことだったのでしょうが、当事の
サルタンは個人的に西欧文化、西欧芸術に憧れを持ち、東欧人を軍事・政治の要
職に登用し、西欧企業に出資させて西欧的都市を建設させたそうです (ガラタ橋
を越えたベイオールー地区がそうだそうです)。 これが仇となり、オスマントル
コが衰退すると、イスタンブールは西欧の植民地のようになってしまったと云う
ことです。それでトルコ共和国は、1500年の文化をもつイスタンブールからあえ
て撤退し、首都をアナトリアのアンカラへ遷移したと記述されています。

大野さんへ
好奇心旺盛に、今後も「トルコ物語」をよろしく。

河合さんへ
激励ありがとうございます。また、河合さん自身の調査メモを添付下さったこと
、お礼申し上げます。今回は、トルコ民族を主役とし、大自然の中で牧畜と農耕
がどのように始まり、互いに争い、和解し、結合し、自然に根付きながら激動の
歴史をつくり、現在に至ったかを述べます。言外に日本民族と比較します。「大
自然と民族」の視点に立脚した歴史物語です。

河合敏夫 [K-Senior.02102]

トルコ、イスラムに足を置いた歴史の流れを纏めた力作を興味津々と読ませてい
ただきました。21世紀にイスラム世界の膨張が続けば、世界はどうなるのでし
ょうか? 日本を含む漢字使用圏でイスラム信仰が繁殖しなかったのは何故でし
ょうか?

> 8.4.1 技術は自然の聖域を犯す
「産業廃棄物の恐怖」、「環境破壊の恐怖」、「核拡散の恐怖」、「遺伝子組替
えの恐怖」、「未知ウイルス出現の恐怖」、「環境ホルモンの恐怖」、「人間精
神阻害の恐怖」等々、各種の恐怖は枚挙に暇がない。これらはすべて、技術過信
、結果不考、責任不在の行為の成せる業である。人類が互いに、ひたすらに競争
のための開発を続けた結果、事後になって判明したものばかりである。「科学技
術産業」は、既に自然の聖域を犯している。この事柄を反省し、21世紀こそ、「
科学技術の国際的な理」> を我々の子孫のために確立する事が最重要であると思
う。

全く同感です。人間は楽(らく)を求め努力し、その後に苦が待ちかまえている
のも気付かず、その楽に当たり前のようになれてしまう。米国は国を挙げて遺伝
子特許の大半を手中に収め、21世紀前半に膨大な利益を生もうと考えている。
害がまだ解明されていない化学物質、医薬品が多々ある上に、更に未知数の多い
遺伝子の商業化は、確実に自然の聖域を犯すことになると思う。

米国主導のパソコンも、人類に対する害が潜在しているのでしょうか?

塙 友雄 [K-Senior02103]
塙です。河合さん。ご感想有り難うございました。返信します。

(1)「イスラムの膨張」についての感想
最近、NHKスペシャルも 「イスラム潮流」を取り上げました。宗教に関して素人
ですが、次のように感じています。 アラブ、イラン、アフガニスタン、中央ア
ジア等の荒涼とした風景の映像を見る度に「よくまあ!、こんな場所で生活がで
きるなあ」と実感します。 四季を有する 穏やかな自然の中に住んでいるから、
こう考えるのでしょう。 生まれた時から荒地に 慣れているイスラム圏の人達に
は、 本人が意識しなくとも、「過酷な自然」が深層心 理に染みつき、それに対
し強い精神性が備わっている筈です。 世界中の伝統芸術等を 見て、この傾向が
伺われます。 例えば、イスラムの寺院は、宇宙的なキノコ形の屋根、渦巻き模
様のモザイクタイル、緑色が少なく金色、銀色、黄色、橙色などが多く、幻想の
中から出たような「美」で、自然の「美」とは程遠い感じです。また、中国の伝
統的芸術品の「美」は、真紅、濃い青、曲線等が目立ち、自然に対抗する人間の
意志力をみるようです。中国では人名に、精神的な意味を取入れるのが習慣だそ
うです。トルコ族、蒙古族の「狼の伝説」も戦いの話です。これは狩猟民族の特
徴です。イスラム教アッラーの神のお告げは過酷で厳しい、闘争的、精神的なも
ので、予言者、ムハンマドも遊牧民の子でした。イスラム圏は遊牧の地が殆んど
です。遊牧民はミルク、食肉には事欠かないが、野菜不足で清貧です。だから精
神性が強くないと、生きてゆけない。こう云う民族には、イスラム教はピッタリ
適合する教えだと思うのです。イスラム教は、「食糧不足、精神苦、あるいは復
讐心、反抗心等がある人の集団」の方向へ拡大すると思います。教えの中に「正
義のために、敵を倒す」と云う、造反精神が含まれているからです。造反にもい
ろいろあります。チエチエン問題は「ロシアの抑圧に対する鬱憤、復讐」、イン
ドネシア問題は「富を独占された為政者に対する鬱憤」です。こうなると、宗教
と云うより社会問題です。、国際政治機構は「内政不干渉」に妨げられて紛争仲
裁不可、イスラム教は国境をこえて人の心へ浸透可、従がって紛争は容易に起こ
り、もし、抑圧者、被抑圧者双方が武力を行使すれば内戦です。紛争、内戦は連
鎖反応を呼びますから、面倒な問題です。イスラム教が今後、さらに拡大すれが
、それは「世界不安定」の警告だと思います。その意味からも「環境破壊防止、
国際経済格差の是正」等、あるべき方向にグローバルな対策が取られなければな
らないと思います。

(2) 日本を含む漢字使用国へイスラム教が入らなかった理由
二つの理由があると思います。第一はイスラム教が勃興した時、既に、 シルクロ
ードは衰退し、東方への普及が物理的に出来なかった事です。 それより以前の仏
教伝来はオアシス都市サマルカンド(現在のウズベクスタン )へインドから伝わり
、其処から繁栄期のシルクロードを経て東方へ伝播したものでした。 第二に、も
し、中国までイスラム教が入ったとしても、 日本へは伝来しなかったと思います
。日本は四季ある国、日本の伝統的文化は、 服飾をみても、「四季の花、草木鳥
、蝶」等、自然そのものがテーマです。 人名も「花子」など自然現象を表現し中
国とはまた違います。イスラム・モスクの姿と桂離宮、 日本寺院の姿の印象が対
照的です。それに大昔、狩猟・採集の縄文人が渡来したけれども、 多数の弥生人
に同化され、全般として、日本人は農耕人に変わりました。 遊牧民のように精神
性が強くありませんから、 日本民族性に合わないイスラムの厳しい教えは受け入
れられなかったと思います。

(3)「技術は自然の聖域を犯す」について
「遺伝子工学」については、私も今回、「人類の歴史」を再調査し、改めて身の
毛 がよだつ恐怖を感じました。
米国主導のパソコンについて
パソコン自体は単なるハードですが、インターネットがもし暴走すれば、誰も規
制出来ない未知の性質のもの、今のところ、良い面が現れていますが、やり方次
第では、人類に対し、害が潜在するように思います。それを主導する米国自体は
失敗の歴史を知らない国、西欧のエリートが浅はかさに、「大儲けが目的、また
便利であるとの口上」から革命を急ぎ、暴走しないよう望みます。情報近代化の
進歩が早すぎると、やはり「成長の限界」が起きるでしょう。西欧の学者には、
「インターネットと深層心理の関連」に焦点を当てている人も多いと思いまから
、下記の事柄が杞憂に過ぎないことを願っています。

「記」 パソコンの害で恐ろしいのは、2000年問題もそうですが 気がついた時、
どうにもならないことが起こるかも知れないことです。余りインターネットが発
達すると、犯罪問題も含めて、ウイルスのように、コンピュータが人間の個々の
能力内に潜入し、気がついた時、国家、社会、教育界などがどうにも対処できな
いことが起こりうるかも知れません。原始以来人間が持つ悪い性(サガ)だけが生
き残り、意欲とか、深層心理の良い面がパソコンにより破壊され、パソコンなし
では生きられない人間となるかも知れません。HGウエルズのSF小説に現れる「人
間の退化問題」が起こるかも知れません。

おわり
TOP PAGE