8 エピローグ

本文の「トルコ民族物語」は、「縄文人渡来」の部分を除き、史実を書き連ね、
読みにくい文章となってしまった。また、3000年を越えるストーリーを簡文化し
たので、短絡、説明不足の箇所が多かったと思う。最後に、私の感想、解釈を加
えながら「まとめ」を書きます。また、「トルコ民族物語」から外れるが、今後
の世界について、歴史の教訓からえられる提言を行います。読後の感想を戴けれ
ば幸いです。

8.1 ユーラシア特有の立地、気候条件がトルコ民族を生んだ。
ユーラシアの地殻変動が終息し、最後の氷期も終わり、気温が現在よりも上昇し
、いよいよ人類発展の時代を迎えたとき、大陸の真ん中には、東西数千キロメー
トルに亘る高地が存在し、程良く乾燥し、灌木、草原が茂っていた。小動物にと
ってはまたとない広域な住み場所が提供されたのであった。東アフリカで誕生し
、ユーラシアで進化し、狩猟・採集を生業としていた人達の一部は、小動物の後
を追ってこの地に集まり、遊牧を考えだした。動物(獣、人)が生きるには水が必
要である。大自然は、遊牧地の南側に、当然のようにオアシス群を用意して呉れ
ていた。遊牧民とは別の人達はここに集まって、定住し、農耕を考えだした。そ
して遊牧民と農耕民は互いに争いながらも、自然摂理に適った、「遊牧、農耕の
相互補完」を実現した。また、水辺にまる動物が小動物であったからこそ馴致
、遊牧が容易であった等、すべて大自然の恩恵であった。以上の史実から「トル
コ民族はユーラシア大陸の立地、気候条件に操られて育ったのである」と結論ず
けられる。やがて気候の寒冷化に対処して、民族移動が始まり、ナイル、チグリ
ス、ユーフテス、黄河、長江等、水のある地域に人々は集合し、麦作、稲作の農
業革命を生み出した。そして「農業革命」は世界中に普及する。都市が建設され
、文化が興り、人口が増加し、経済が豊かになった。アナトリアのヒッタイトで
は鉄器が創られ、騎馬技術の革新が興ると、忽ち、東方に波及した。自然が造形
した「シルクロード」が文化伝播に役立った。そして、遊牧民族は騎馬軍団に変
身した。極東では、騎馬民族(蒙古)と農耕民族(漢民族)の大規模な「戦争と平和
」が人間の性(さが)として繰返された。過去3000年間、人は飽きもせずこの行為
を続けてきたのである。蒙古の北方に住むトルコ族は。精神性が強く、「狼」を
尊敬し、連帯感をもって、部族結束を図っていた。一方、南方世界の定住民族は
、バラモン教、仏教、ヒンドウ教、ユダヤ教、キリスト教など、哲学的な宗教を
創りだした。7 世紀になって遊牧民に適った精神性が強いイスラム教が誕生した
。中国における「騎馬と農耕の戦い」では、経済力をもつ農耕族が優勢であった
。「経済力の強い方が勝つ」と云う常識は大昔から存在していた。トルコ民族は
、中国と蒙古の闘争を静観しながら、農耕文化に興味を持ち、西方オアシスへの
進出を夢想し始めていた。そして9 世紀以降、「トルコ民族西走」が始まったの
である。

8.2 イスラム教により民族覚醒  ―遊牧民族の繁栄―
6−7世紀、極東に住むトルコ族、「突蕨」が中央アジアに進出、カスピ海から黒
海北岸にいたるまでの広範囲を支配したが、あくまでも遊牧国家に終始した。9
世紀に西走したウイグル族は明らかに、西方文化に憧れていた。イスラム教の布
教活動と時期が一致し、精神性の強い両者の出会いが、中央アジアのイスラム化
に、大きな弾みをつけた。トルコ人が来るまでのイスラム支配者イラン王朝は、
ウイグル族に敗北し、トルコ系のカラ・ハン朝が設立された。その後のセルジュ
ーク朝もトルコ王国で、イスラム文化を継承したが経済成長への歓心は薄かった
。13世紀、蒙古の天下に替わったが、蒙古人は仏教化を強要したが、宗教の本質
に興味なく、政治、軍事の強化を遠隔地から指示するだけ、現場の把握に疎く、
イスラムの抵抗により永続きしなかった。14世紀のチムール朝は、文化を興隆し
たが、どちらかと云えば軍事国家で、チモ―ル自身はテント生活を続ける等、遊
牧民族から脱却できず、彼の死後、国家は自滅した。「軍人は政治ができない」
、「世襲では国家を維持できない」が立証された。

8.3 イスラム(オスマン・トルコ)が西欧に敗れた理由
オスマン・トルコが滅亡したのは、自身が抱える内憂もさることながら、「産業
革命」を果たした西欧諸国の威力に歯が立たなかったからである。「産業革命」
は「科学技術」に姿を変え、100 年後の現在、人類絶滅、地球環境破滅の恐れを
抱かせるまでに育ってしまった。ここに、西欧の歴史を顧みて「産業革命」の要
因を探ってみる。10世紀までのヨーロッパは惨めであった。打ち続く寒冷化の下
、牧畜の傍らで農耕が行われたが、やせた土地での粗放な移動農業は生産性が低
く、人達は封建的な集団生活に疲れ果て、無気力であった。彼等に発展の契機を
与えたのが11世紀の農業技術革命( 馬の効率化使用、農機具改良、風車による灌
漑、粉挽き技術革命)であった。 生産性は上がり、暮らしは楽になり、都市がで
き、若者は自由になり、独立心、進取の気性を備えるようになった。政教は分離
され、同じ時期、グレゴリウス改革が成功した。一般人が修道士に登用されるよ
うになり、抑圧されていた庶民の意気は高揚した。勇気ある者はピレネー山脈を
越えてトレド(イベリア半島の都市)、地中海のシチリア島へと進出し、イスラム
所有のアラブ、ギリシア、インド、中国の各文献を翻訳した。修道士達は労働を
尊び、穏健、堅忍不抜の精神を培養、共同生活の調和を重んじ、清貧・貞潔、禁
欲的精神、道徳主義を体得していた。彼等は神学、法学、哲学のほか数学、天文
学、光学、力学、医学と膨大な量の基礎科学を我が物とし、すべての知識は西欧
に受け継がれた。12世紀には、西欧主要都市にキリスト教の大学が設立され、修
道士の知識、労働理念は中産農民、産業家の精神に伝わり、資本主義発生倫理の
中核になった。15世紀、イタリア・ルネッサンスが興り、高級技術者、芸術家は
創意工夫に意欲を燃やし、「科学」と「技術」は合体して「科学技術」となった
。「庶民主導」、「個人尊重」の風潮が生れ、自然科学重視、唯物主義、経験主
義が発生した。17世紀ごろから石炭の利用が増大し、炭坑の発掘も進み、18世紀
には蒸気機関が完成、力学が進み、繊維工業が機械化された。練金術と云う非合
理世界の魔術は化学に変えられた。「産業革命」は、先ず紡績を主とした機械化
から始まり、19世紀中頃から鉄鋼業、重工業、電気エネルギー産業、化学工業お
よび企業巨大化等、全産業の革命に成功した。学問のすべてを西欧に引継がれた
イスラムが、その学問から生まれた「産業革命」に敗退したのは当然の結果であ
った。 イスラム民族は8-12世紀の400年間、文化、学問において、世界最高の創
造性を発揮したが、13世紀以降は萎えてしまった。トルコ民族、蒙古民族が自然
科学の重要性に気が付かず、その教育を怠ったためである。オスマン帝国も神官
、法制官養成の英才教育を行ったが、自然科学教育への歓心はなかった。遅まき
ながら「西欧化」へ転換を図ったが、単なる模倣では如何とも成しえなかった。
「産業革命」が出現した理由の一つに、「西欧の民族気質」が関わった事が挙げ
られる。それは「個人性の強さ」である。農業技術革命の時代まで、人々は孤立
し、精神的、経済的に他から行動を強制されていた。都市誕生を迎えた時、人々
は自由を求め、集団意志を排除し、自己中心的に行動するようになった。次ぎに
、西欧人は思考が単純と見なされる。複雑な事象を、浅はかなほど単純化して考
える。例えば「自然は征服できる」「人間生活を精神と物質に二分する」「深層
心理を考えずに人の心は意識と経験がすべてであると割切る」等の単純さがある
。この性質が、かえって科学技術を発展させるのに役立ったのかも知れない。

8.4 今後の課題 ―歴史を顧みて提言―
「トルコ民族物語」から逸脱するが、歴史の教訓から「科学技術」、「世界人口
増加」、「イスラム教」、「日本民族」等に関する課題を取上げて提言する。

8.4.1 技術は自然の聖域を犯す
19世紀、西欧諸国は、「産業革命」の後、「帝国主義」を展開し、世界中に対す
る侵略と植民地化を繰り返した。バルカンに住む諸民族は、オスマン・トルコ、
西欧諸国の両者から虐待されてバルカンの亡霊(心の傷)を生んだ。同様にアラブ
諸国、中央アジア、アフリカ地区においても、民族間の憎悪、対西欧反感等の「
負の遺産」はそのまま残り、国際紛争が現在も続いている。また、「帝国主義」
は、軍拡競争を促し、大西洋客船、軍艦、航空機、戦車等の開発、建造・製作競
争に意地を張り合ったが、とうとう第二次世界大戦を引き起こし、原子爆弾の製
造まで踏み込んでしまった。互いに、戦争惨禍の苦渋を味わい、平和が戻ってか
ら初めて「議会制民主政治」が見直され、「植民地政策」が反省され、「民族自
治」、「人権尊重」等の国際世論が興るようようになったのである。けれども、
「科学技術」はさらに進歩し、「水素爆弾」、「化学兵器」、「ミサイル」、「
高性能航空機」、「その他各種ハイテク機器」を生み、遺伝子組替技術も開発さ
れ、電算技術は限りなく発達し続けている。ソ連の崩壊から、米ソ間の核恐怖の
冷戦は終息したが、それに替わって、これからは「ハイテク情報時代」、「生物
工学の時代」と云う風潮が世界を支配し、激しい世界経済戦争が既に行われつつ
あり、後戻りできない。人間の性(サガ)は昔も今も変わらない。個人の場合は別
だが、集団として行動する場合、国際競争ともなれば歴史が示すように、人類は
何をしでかすかわからない。「生善説」は通用しない。既に起こっている「産業
廃棄物の恐怖」、「環境破壊の恐怖」、「核拡散の恐怖」、「遺伝子組替えの恐
怖」、「未知ウイルス出現の恐怖」、「環境ホルモンの恐怖」、「人間精神阻害
の恐怖」等々、各種の恐怖は枚挙に暇がない。これらはすべて、技術過信、結果
不考、責任不在の行為の成せる業である。人類が互いに、ひたすらに競争のため
の開発を続けた結果、事後になって判明したものばかりである。「科学技術産業
」は、既に自然の聖域を犯している。この事柄を反省し、21世紀こそ、「科学技
術の国際的な倫理」を我々の子孫のために確立する事が最重要であると思う。20
世紀の科学技術進展のスピードを振り返ると、ぐずぐずすると手遅れになる。ロ
ーマクラブの「成長の限界」説が蘇る。

8.4.2 世界人口増加と経済格差の拡大
世界人口は18世紀の初め10億人、20世紀の初め20億人、現在は60億人( 1999年、
国連発表)、年間6000-8000万人の割合で増加している。戦争、部族虐殺、飢餓、
災害等で大きな犠牲者を出しながら、人口は「科学技術の進展」に比例して増加
している。特にイスラム圏における人口増加が大きいが、宗教問題から産児制限
が困難視されている。人口が世界中で20%の先進国が、世界の富の70%を独占し、
人口増加は貧乏な開発途上国において著しいから、世界中の個人の経済格差は拡
がるばかりである。世界人口の分布は中国、パキスタン、インド、東南アジア、
日本が世界総人口の40% 近くを占め過密状態にある。世界人口増加のスピードは
「成長の限界」であり、経済格差の拡大は世界の安定を損なう。共に重要課題で
ある。国際的な取組みが望まれる。そのために国連活動がもっと強化されるべき
である。

8.4.3 イスラム潮流
最近、「イスラムの潮流」が起きている。米ソの冷戦終了以来、国際紛争は拡大
している。イスラム教は政教一致が原則、その中でもトルコ系、アラブ系は政教
分離と近代化を推進しているが、急速には進展していない。イラン系は政教一致
を止めることができない。イスラム圏には西欧から受けた「負の遺産」による「
イスラム魂」、「民族魂」、「国家魂」が混在し、社会が貧困状態になると、ど
の意識が突然、爆発するか、本人にもわからないカオス状態にある。従って、今
後も、「混乱」、「紛争」が続發する恐れがある。目下、「インドネシア、アメ
リカにおいてイスラム教が拡大している」と云う現象は、「誰にも頼れない、個
独な社会」、「資本主義世界における冷酷な自責任」と云う社会環境の中で、惨
めな思いをもつ人が、イスラム教の信仰によって「信者同志の連帯・安心感」を
得ようとするのではないだろうか。そうなると、宗教問題でなく、社会問題であ
る。開発途上国の経済がより活性化し、経済的にも国際社会が整合される日が望
まれる。けれども解決が難しい問題である。西欧先進国の真摯な対策が望まれる。


8.4.4 日本民族
日本は一時期、戦争に加担して、敗戦の憂き目をみたが、現在は世界第ニ位の経
済大国、外国から見て奇跡の復興と云われても当然である。「戦争放棄」を宣言
し、軍備費を極限まで落とし、商工業推進を施策として推進したお蔭であろう。
目下、先進諸国間および国内では、ハイテクによる経済戦争に議論が集中し勝ち
である。この議論から暫く目を反らし、歴史をみつめると、日本以外の先進国(
西欧諸国 )は、複雑な事象を簡単に決断し、行動する長所も欠点も持っている。
東洋人気質を有する日本人は、世界で稀な島国に住む単一民族で、永い歴史を持
ちながら、民族移動の争いもなく、被侵略の傷もなく、そして、外国文化を専ら
に摂取し、乱世の時代は鎖国し、時機をみて開国に転じ、西欧の合理的精神・知
識を一挙に体得した。自己の伝統、文化をあっさり捨てる欠点もあるが、要する
に、事象を整合するのに長けた知的民族であると見ることが出来るだろう。事象
が複雑多様な今後の世界に対処して、ハイテク技術も兼備しながら、深遠な東洋
気質を加味して事に当たることが可能な民族であると思う。「イスラム問題」、
「貧困問題」等の難しい国際精神性問題の解決についても大きな役割を果たすこ
とができるのではないだろうか。シュペングラーが述べた。「民族の興隆衰退10
00年」の波動説を用いれば、日本民族は覚醒して200年 足らず、これからが出番
である。だから、日本人は経済戦争に対し、先進国として合理的(西欧的)に対処
すると共に、西欧人が見逃し勝ちな事象を捕らえ、大きな観点からものを考え、
世界に対し発言し、また、行動すべきだと思うのである。さて、民族論を述べた
が、「個人意識」について触れると、戦後の日本では、敗戦の影響から「個人権
利」の風潮が台頭した。竹内均氏の書物の引用だが、すべてを他人のせいにし、
また義務を遂行しないで、権利だけを主張する風潮が流行しているようだ。これ
に対し竹内氏は聖徳太子の言葉を挙げている「独生独死独去独来」である。独立
自尊の精神復興を図り、これに自己自制を加えることである。各人が聖徳太子の
精神を覚醒し、また西欧の合理性を尊重し、世界民族史の教訓を生かせば、日本
没落はあり得ないと思うのである。日本の今後の教育課題として採択されるべき
である。

トルコ民族物語 ―完―
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