日本船舶海洋工学会 関西支部 海友フォーラム K シ ニ ア
Kシニア の トップに戻る 海友フォーラム の トップに戻る 2008年 の トップに戻る


アカシヤの大連   [大連報告1]

2008/06/18 Kシニア・海友フオーラム  岡本 洋


はじめに


 2008年(H20)5月27日12時、JALの中国北方航空との提携運行のBoeing 737型機は大連空港に予定通り着陸した。 然し、期待した5月の爽やかな青空はなく、空は全面のガス。 出迎えてくれた大連理工大の馬教授によると、 「今朝は珍しく雨だった」 とのことだったが、滞在の後半は幸いにクリヤーな天候にも恵まれた。

 今回の旅行のテーマの一つは 「大連のアカシヤ」 だが、今年の 「大連のアカシヤ祭り」 は5月25日〜31日に開催されることから、それを目掛けて27〜31日、ここ大連に滞在する日程とした。

 このほかのテーマである 「大連の海事」 「203高地を中心とする歴史探訪」 のについては別項に譲るとして、この滞在期間中、市内の 「槐花大道Huaihua Dadao(アカシヤの花大通り)」 や郊外の 「森林動物園」 周辺の道路近くに丁度盛りのアカシヤ、更には、旅順への道路沿いの多くの野生のアカシヤの花にも出会えた。

 そのなかで最も印象に残ったのは、大連理工大構内のアカシヤの一群の林と満開のその花のボリュウムであった。 このようにして、この4泊5日の旅行では、短時間にほんの一部に触れたに過ぎないが、大連のアカシヤについては、なんとか探訪の目的を果たすことが出来たように思う。

大連の概要
                            
第1図


 大連は中国東北部遼寧省の中の南部にある遼東半島の大部分を占める広域都市。 日本の旧「租借地関東州」に略近い面積をカバーする。 その中に大連市街がある。 位置は39°02′N、121°46′E。 秋田の緯度にほほ゛近く、気温は神戸より約7℃低いようであった。 時差1時間。(第1、2図)

 大連市は3つの市(瓦房店市、普薗店市、庄河市)、1つの県(長海県)、6つの区(中山区、西崗区、沙河口区、甘井子区、旅順港区、金州)がある。 全人口約600万人。 中山区、西崗区、沙河口区、甘井子区がほぼ大連市街地(第3図) その中に大連市街、旅順口が含まれる。




工業都市―――中国を代表する造船、海運、車、ソフト都市ですばらしい発展をとげつつある工業産業都市である。 (大連の海事、その他については別項で報告)。 その象徴として、開発区がある。 市街の北部渤海湾に面した長海県には長興島には、韓国の中堅造船所であるSTX造船が一大造船所を建設中である。 また大連市街地の北の大窯湾を中心にした大連経済技術開発区と旅順口地区に産業開発区がある。

軍事要衝―――その一方で、遼東半島は中国本土の山東半島と向かい合って、渤海湾・黄海を画する軍事上の要衝にあり、1880年の清国海軍創設以来、今でも旅順口は重要な軍港である。

観光都市―――遼東半島・大連市街は海と山に恵まれている。 冬はかなり寒い(-10℃以下)が5月になると、アカシヤの花のシーズンとなり夏には遠浅の海岸での海水浴が楽しめると共に恵まれたSea Foodがあり、四季のはっきりした観光資源にめぐまれていることから、観光都市をめざしている。 旅順には 「さくらんぼ園へどうぞ」 というインターネツト広告があるのには驚いた。――――この 「さくらんぼ」 の件については別として、他の産業・観光・軍港などの実態については、一見によって 「百聞」 の一端に触れ得たようにおもった。

                     第4図 旅順・大連



 アカシヤの花


 「大連のアカシヤ」 は、俗称でそう呼ばれているので、正確には、ニセアカシヤ、いぬアカシヤ、あるいはハリエンジュと呼ばれねばならないということであった。 そして、大連にも本当のアカシヤが二本ほどあり、それらは中央公園の東の方の入り口に近いところに生えていて、こうこういう形をしているということであった。 ――――しかし、本物の二本のアカシヤを見たとき安心した。 なぜなら、にせアカシヤのほうがずっと美しいとおもったからである。 (清岡卓行著 「アカシヤの大連」 より)」。

 これは、1922年(T11)大連生まれの著者が自伝小説の中で、中学三年生の生物授業の中における先生の説明のくだりの一節である。 資料によれば、 「アカシヤ、ニセアカシヤ」 共にマメ科に属し、一般にアカシヤとして街路樹に使われているのは 「ニセアカシヤ」 で、北アメリカ原産で成長が早く高さ20mにも達し、5−6月に開花、蜜は良質とある。

 わが国には明治10年ごろに輸入され、成長が早いことから、禿山の治山などに盛んに使われた、という。 「槐 エンジュ」 ともよばれる。自分の故郷の倉敷(岡山)の家の近くにもあったし、旅行先の北海道でもみることがあった。 大連のアカシヤはこの街を開いたロシヤによるのか、その後の日本人の手によるものか。 下の写真は今回、大連の森林動物園近くの野生のアカシヤの花である。

 花は優しい甘い香りがして、食べるとおいしい。 ここで出会った中年の夫婦は、トラツクの屋根に乗った旦那が枝を手繰り寄せてそのアカシヤの花の房をもぎ取り、奥さんはそれを受け取って、せっせと花弁だけをビニール袋に溜め込む作業を楽しんでいた。 たしか、 「餃子にいれる」 「てんぷらにする」 とおいしいと言っていた。 それを聞いて小指の先ほどの白い花を口に含むとほのかに甘く、優しいおいしさであった。  

 今回調べて初めて知ったのだが、「ニセアカシヤ」の和名はエンジュ(槐)としても、学名は、なんとStyponolobium japaonicum、英名は、Japanese Pagoda Tree というのだ。 中国原産で古くから台湾、日本、韓国などで栽培されており、ルチンを多く含む蕾を乾燥させたものは生薬で止血作用がある。 北米原産地というのに対しては異説だが、とにかく種類が多いということだろうが、素人は混乱する。

 先に触れたように日本では、明治初年足尾銅山の鉱毒により禿山になつた状態の再生に、このニセアカシヤが熱心に植樹された。 1610年に発見されて依頼、日本を代表する足尾銅山では、その鉱毒によって近隣の山肌は丸裸になったわけだが、明治になってから流された表土の貼り付けと共にアカシヤの植林が進められ、今では緑が復活しているとのドキュメントTVを観たことがある。

 地元である 六甲山も禿山になっていて、明治になって治山・植林がおこなわれたのは良く知られている。 昭和30年代には、神戸の再度山に緑化植樹としてニセアカシヤが盛んに植えられたという。

 はじめは成長の早いニセアカシヤも植えられたらしいが、六甲山の資料によると、「緑化に使われてきたニセアカシアやヤシャブシは、一度繁茂すると他の植物が入り込みにくくなる性質がある。 このため、これらの樹種が、本来の自然の回復を遅らせている地域が一部でみられるようになった。 また、これらの樹種は、根が浅いことから倒伏しやすい性質がある。 平成7年の震災で多くの崩壊が発生してからは、ニセアカシア林やヤシャブシ林は崩壊に弱いことも指摘されるようになった。 さらに近年、人々の自然環境への関心が高まるなかで、より質の高い緑の復元が求められるようになった」、と欠点が指摘している。

 山の緑化には効果があったとしても、多様な「森林再生」には失敗だったということらしく、時代が変わってきている、ということを知った。


アカシヤへの思い


 アカシヤに惹かれるのは何も植物観察の対象としてではない。 アカシヤは、ある世代の時代体験、重層的な個人体験や歴史・生活からの思いの、ひとつの象徴で、それは満州であり大連への思い繋がっているに違いない。 

 自分は特別に満州に係わったことはないが、もう12年前(1996年)、長春(旧・新京)に旅行するに当たり色々呼んだ本の中で、例えば、大江志乃夫「満州歴史紀行」などに代表されるものには共感する所も多く、更に現地での見聞や、古代から現代に至る中国・東アジアの歴史への思いもが重なって、満州への思いが自分の中に出来上がってきたように思われる。 

 満州への熱い思いをつづったものとして、私と同年代で満州出身の高野悦子氏(1929年生まれ、岩波ホール総支配人、東京近代美術館フィルムセンター初代名誉館長、文化功労者)の著書「黒竜江への旅」がある。その中では、

 ―――悠然と流れるスンガリー(黒竜江の支流である松花江)のほとりのハルピンの夏のすばらしさ、ポプラの花穂が白い綿状になって飛ぶ柳絮(リュウジョ。雌株が種子を飛ばす)、アカシヤ、ニセアカシヤ、柳の花などの風情などと共に大連の記述もある。
 ―――「大連のアカシヤは、ヨーロッパより街路樹として移植させた。 中国人は洋槐(ヤンホアイ)と呼び、5月に白い花が咲き甘い香り。 一方北方各所で見られるアンシヤは夏に黄色い花をつけるが香りはない。 中国産だから中国槐(チュンゴウホアイ)という。 前者にはとげがあり後者にはない。
 ―――大連の白菊町の家の玄関のわきにはポプラの大樹があった。 6月になるとポプラの柳絮が雪のように飛ぶのを地元の人は「6月の雪」と呼んでいた。
 ―――蝉が槐の古木の枝で鳴ききしきりーー」とつづく。

 高野悦子さんのお父さんは満鉄の保線の責任者だった由で、そのために大連、ハルピンなどに生活し、満州が色濃く刷り込まれているのがわかる。

 翻って自分の12年前の長春(旧 新京)を訪れたときには、市街には沢山の白い柳絮が舞い、ラスト・エンペラー関連のセピア色に色あせた遺構の雰囲気や、満州映画制作所(満映)の中のポプラ並木とリュウジョは、何か映画の世界に迷い込んだかのようなムーディーな雰囲気を満喫した経験がある。

 ポプラ、ヤナギと並んでアカシヤは満州の象徴の一つとなっているのだと思われる。 加藤登紀子、中西礼など同じような満州への思いを語る人はおおい。 大連子であるという当・「海友フオーラム」メンバーの長野健さんや、金州湾の海岸で、大連市街の北に位置する「夏家河子」海岸の満鉄・海水浴場で小学校時代に泳いだ経験を持つという同じく当・「海友フオーラム」メンバーの藤村洋さんなどは、更に切実な思いをお持ちであろう。


アカシヤ祭り
 

 大連市はその観光の目玉の一つとして、アカシヤ祭りを市の行事として行っている。 1989年から行われ、今年は19年目にあたる。

 ――「大連アカシア祭は1989年から始まり、アカシアの花をきっかけとして、『アカシアの花は友情を結び、旅行事業の発展は市の発展を促進する』をテーマとして掲げ、大連市の代表的な祝日と観光事業の複合大規模イベント活動として開催を重ねられました。 1992年、『大連アカシア祭』は国家観光局によって国家級の観光祝日事業として正式に認定され、国内外から多くの観光客を引きつけており、重要な観光資源の1つにもなっています。 今年は、5月25日から5月31日まで、開催場所は 労働公園 勝利広場 ロシア旅遊風情街 南山旅遊風情街 などで、主な行事は ファッションショー 海鮮美食会 書道展示会 ウオーキング などの イベントです」――
と説明している。

 このイベントには、今年はわからないが、昨年までは、日本から訪問団が参加して、市長への表敬訪問、交歓会などが開かれてきた。 中には、2004年の第15回アカシヤ祭りでは、二万人が参加した開幕式典が開かれ、日本からは、全国旅行業協会及び椛S旅が主催するアカシア祭訪問団は五〇〇名を超え、(自民党の)二階俊博全国旅行業協会長は、夏大連市長の開会のあいさつに続いて、参加各国を代表して祝辞を述べている。 なかなかの盛会のようだが、このような式典やショウには自分は興味はない。 ここで、市の発表のアカシヤに関する数値は次のとおり。

@ 大連には現在4,580haのハリエンジュの林があり、被緑化面積は34.2%
A 市街地には346本の街路樹が植えられた道があり、街路樹の数は73,900本
B アカシアの木(エンジュ)の品種は全部で十三種であり、そのうちハリエンジュが大半を占め、本数52000本、割合にして70.4%


アカシヤの探訪

1. 「槐花大道」

 大連の町は三方が海に面していて、町のやや南よりは山地となっている。 この山地の北斜面の一部が南山という高級住宅地で満鉄・日本人住宅があった地域らしい。 この一角に「槐花大道Huaihua Dadao(アカシヤの花大通り)」はあった。


 両側に並ぶ高木のアカシヤの街路樹がやや盛りを過ぎた感じながら多くの白い花房を咲ききそっていた。

 道沿いに日本人学校があったとのことだが、今の風景は赤レンガ造りのロシア的建物をバツクにエキゾチックな雰囲気を感じさせる。

 なかには、樹の勢いが衰えたものや、枯れて電信柱のように太い幹だけが立っているものも数本みられた。 道端には、散り落ちたアカシヤノ白い花が多くみられた。


2.南海岸の「浜海路」 周辺

 市街中心から南山に近い公園を南に抜けると、山が海に迫った東西40kmの海岸ベルトに着く。ここは海水浴場や海岸公園が点在する観光・リゾート地帯で、海岸沿いの「浜海路」を通ると自然の山地の中に白い花をつけたアカシヤを見ることが出来た。その中に森林動物園もある。 図5はこここのアカシヤ。

3.大連理工大キャンパス内のアカシヤ

 大学は市街の西の端に位置する教育ゾーンの一角にあるが、広大なキャンパスには建物がゆったりと配置されて緑も多い。 その構内の一角に馬教授の推薦するアカシヤの林があり、多くの白い花がここでも甘い香りを放っていた。 木の数も纏まって多く、すばらしい。 ここは馬教授の自宅の近くらしい。 彼女は同じくこの大学の日本語学科の教授の主人と学部3年生(?)の息子と住んでいる。 この立派なアカシヤの林や花はVideo に収めただけだったので、後日馬教授に自宅も含めてデジカメ写真を送って貰った。

――余談(教授の住宅事情)
 ――「近年、中国の住宅環境はだいぶよくなりました。 大学の教授は90平方メートルぐらいの住宅面積を持っている人が大勢います。 ほとんどマンションのようなところに住んでいます。 自宅の場合は、キャンバスの中に2階たての小楼に住んでいます。 このような小楼は構内に12軒があります。 1軒家は二つの家庭が住んで、別々の庭がついています。 一戸建てのような感じです。 ほかの教授はみんな構内じゃなくて、大学の近くに住んでいます。」――
 これは、公園のように緑一杯で、ゆったりしたキャンパス内に自宅をもつている恵まれた環境についての、こちらの質問に対する馬教授の返信。 すべての教授がこの様ではないらしいが、恵まれた環境だとおもう。
以下は、大連理工大の構内のアカシヤ。2008.06.05 馬教授の撮影

   図7-1 キャンパス内の馬教授の家とアカシヤ         図7-2 キヤンパス内のアカシヤ 1


      図7-3 キャンパス内アカシヤ 2             図7-3 キャンパス内のカシヤ 3

 環境に恵まれているのであろうか、ここのアカシヤが「花も木の持つボリュウム」も何にも増して一番であった。

4. 203高地のアカシヤ

 大連市内から中国人ドライバーとナビゲーターの女性二人の案内で旅順に向かった。 出来て間もないという山間部を行く高速道路の両側には方々にアカシヤが満開の花をつけているのが見られた。 帰りは海岸沿いを走ったが、大連に近い山間部に多いようであったが数はそんなに多くなかった。

       図8-1 203高地のアカシヤ 1          図8-2 203高地のアカシヤ 2(2008.05.28)

 203高地に登るには、中腹の駐車場から2-3百mのコンクリート舗装の坂道を上る。 その途中に一箇所だけ図8の一群のアカシヤが花をつけていた。 勿論百年前の日露の死闘の1904年の春には、こんな花など咲くことはなかったであろう、と感慨も一入であった。 写真は頂上手前の坂道でドライバーに撮ってもらった。 この中国女性は203高地には善い感情を持っていないのは明らかとしても、アカシヤについても関心は薄いようであった。 当然のことながら、ここではやはり自分は、違った歴史の中に生きてきた異邦人であるとの思いを深かめた。

結び

 短い期間だったが、大連の方々のアカシヤを見ることが出来た。 日清戦争(1894-5年)から終戦(1945年)までの大半の40年間日本の統治下にあった大連の地のアカシヤ。 植物としてもそれなりに美しく芳しいが、今は観光資源としても毎年活躍している。 見る人それぞれの思いによって色々な姿を見せてくれる花であると思われた。
                                                 終わり


追記――日本のアカシヤまつりーー 秋田県北部鉱山の町、小坂町

 今年(2008年)6月7と8日の二日間、第25回の小阪アカシヤ祭りが例年通りひらかれた。
ここでも、鉱毒による禿山被害の治山対策としてニセアカシヤが永年にわたり植林されて来たものだが、今では観光のシンボルとなっている。
 
       図9-1 ↓    9-2,  9-3 →


 白に加えて、紅色の花があることをこの写真から知った。 なかなかの風情が感じられる。
 東北の地に似合うのかもしれない。

                      以上


「大連 2話」に戻る     「大連船舶関連施設・工場見学記」