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MV Estonia 海難事故について
  October 06, 2009  城野隆史

1. まえおき

 1994年9月27日、ストッホルムへ向けて乗客・乗員989名を乗せて19.15エストニアのタリンを出港したエストニア船籍のRo-Ro Passenger Ferry エストニア号が、翌28日午前2時前に転覆沈没し、死者行方不明者852名という大惨事となった。

 1994年9月 29日、Estonia, Finland, Sweden政府は、直ちに”Joint Accident Investigation Commission (JAIC)”を結成し調査を開始した。

 その報告書が37ヶ月経過した1997年12月発表されたが、それが真相究明にほど遠いものであるとして、世論を紛糾させた。

 2008年SSPA、HSVAから再検証の調査報告書が公開されるなど、15年以上にわたって議論は継続しているが、未だに議論は続いている。




2. MV Estonia

(JAIC 1997)

(JAIC 1997)

(Anders Bjorkman 31st July 2009)

 1980年6月29日 Jos. L. Meyer(独)にて建造引き渡し、フィンランド船籍のVIKING SALLYとして1992年まで運航、その後、エストニア船籍のESTONIAとして、Estline Marine Companyによって運航されていた。 船級はBVである。

   Loa  : 155.4m     Lpp : 137.4m
   Bmld : 24.20m
   Dmld : 7.65m(Car deck;freeboard deck)
   draft : 5.60m
   DW  : 3,006t   
   Light wt : 9,733t    GT : 15,598T
   Vmax : 21knts

 船首には跳ね上げ方式のBow visorを備え、開くと背後にあるRampが前に倒れる仕掛になっている。

 Bow visorは、bottomとsideの3つのlockで船体に固定されている。

 Bow visorが、bridgeからは見えない配置である。Car deckはside to sideで、センターラインの右舷側に沿って船長の7割程度の長さで幅の狭いcasingが配置されている。

(JAIC 1997)

3. JAICの報告
   (Final report on the MV ESTONIA disaster of 28 September 1994

 生存者からの聴取、ダイバーによる沈船調査などに基づくJAICの最終報告での本船沈没のシナリオは次のようなものであった。

 有義波高4m(15-20m/sの風速が少なくとも10時間継続した場合に相当)で、海象は荒れてはいたが極端ではなかった。

 船速 約14ktsで航行、ほぼ航路の中間の変針点を過ぎた頃、異常な金属音と共に、Bow visorが破損、当初は、rampの脇から浸水する程度であったが、bow visor剥離と共にVisor開閉と連動したrampは波に煽られて開閉し、大量の海水がcar deckに流れ込んだ。

 Bridgeからvisorは見えず、Rampからの海水流入は、ECRではモニターしていたがbridgeには情報は届かず、 本船はそのままの速力で公開を続けた。

 当初heelは右舷15度程度で落ち着いていたが、Bow visorが脱落すると急に傾斜がまし、このときエンジン停止した。

 本船は速力を落としながら左旋回し、40度ほどに傾斜したまま漂流、浸水の進行と共に、ついに沈没した。

 原因は、Bow visorの強度不足にあったとしている。 事実、同様のVisor事故は他船でも多数発生しており、それらもリストアップしている。

 ROVによる沈船の撮影などダイバーによる調査が行われているが、水線下から浸水するような損傷はなかったと報告している。 ただし、危険なため船内には入っていない。

 沈没海域 : Finland’s Search and Rescue Region内の国際海域。  水深 : 約80m

(JAIC 1997)

4. 論争


 JAICの報告に対しては、異論・反論が相次いだ。沈没に至る推移の説明が話しのつなぎ合わせで論理性を欠き偏見に満ちているというのが最大の理由である。

 技術書ではないが「死の海からの生還(エストニア号沈没、そして物語は作られた) 」(ケント・ハールステッド著)が発刊され (日本では岩波書店から邦訳がでている)、映画も作られた。

 地元、特に多くの犠牲者を出したスウェーデンでは、メディアは過熱し、世論を湧かせたようである。

 技術面では、また、Visorの強度不足というJAICの主張に対しても建造国ドイツを中心に反発があった。

 沈没船のダイバー調査、生存者聞き取り、その他何かを隠しているのではないかなど、かえって不審を増長させてしまったところがある。

Anders Björkman
 著書「Lies and truths about the M/V Estonia accident」を1998年1月に発行したNaval architectである。

 同氏の主張は、Car deckに浸水しただけでは、空気がtrapされるため、右図のようにひっくり返ることはあっても沈没することはない。 沈没したのは、水線下船体のどこかから浸水したことがきっかけである。 そのために船が傾斜にして、bow visorのfreeboardが減ったにもかかわらず、速力を落とすことなく突き進んだため、強い波浪衝撃を受けて脱落、Car deckに浸水し、船体は傾斜を増し、沈没したのであるとする。

The M/S Estonia Accident investigation

(Anders Björkman: 31 July 2009)
The German ‘group of Experts’    (esto niaferrydisaster net
 本船を建造した造船所Meyerの社長の下に結成されたグループである。沈没にいたる考え方は、ほぼBjörkmanと同じであるが、本船の維持管理に主因がありと糾弾。

 建造後の12年間フィンランド船籍で運航されていた時には、適切にメンテナンスされていたが、エストニアの手に渡ってからは、管理がずさんで、出港時にはBow visor/Rampには水漏れがあり、決して出港できる状態ではなかったし、当時の海象では全速で走れる状態ではなかった。 ロックの点検が充分なされておらず、ロックの疲労亀裂を見逃していた疑いありと主張している。

学会
 RINAでの講演やNaval Architect誌への投稿、さらにはSeminarやConferenceの開催など、おびただしい量の論文が発表されている。

 それらの中で、比較的総括的でわかりやすいのが、Vassaro等の”Shedding Light Into The Loss of MV Estonia(2002年3月:Learning From Marin Incidents Ⅱ、London)”である。

 JAIC, Björkman、ドイツ専門家グループの主張の要点を比較し、沈没過程の各段階のstability、reserve buoyancyを検討しているが、結局のところ、分かることは; 下記3点のみであり、Car Deckの下から浸水が始まったのか、Car deckの上から始まって、下に流れ込んだのかは、疑問のまま残るとしている。

① 沈没したと言うことは、Car deckの上にもその下のspaceにも浸水したことになる。 (Car deckだけに
  浸水したとすると、重心上昇と自由水のため大傾斜を発生、上部構造に浸水して、直ちに反転する)
② 40度を超えるHeelをしたということは、Car Deckに浸水したことを意味する。 (下層甲板スペースに
  浸水しただけでは予備浮力を失うが、重心が下がるので船体傾斜は大きくない)
③ 横転状態で30分近く浮いていたと言うことは、上部構造への浸水の進行が遅かったことを意味する。


5. スウェーデン政府の調査


 上に述べたように、JAIC報告が一方的であるとして論争を招いたことから、スエーデン政府は、2006年3月、SSPAとHSVAそれぞれ独立に調査を依頼した。2年後の2008年3月その結果が公表された。

HSVA     (The Hamburg Ship Model Basin
 計算や実験で、想定できる様々な沈没シナリオに対し実験、計算を重ね、結局、JAICの結論を踏襲した沈没シナリオを結論としている。 ただし、Bow visorの損傷や強度の研究は対象外である。

 Rampが開いてしまった船首の開口から流れ込んだ波浪に曝されたcasingは損傷を受け、扉が開き、海水がfreeboard deck の下部スペースにも流れ込んだ。 そのため予備浮力を喪失し、同時にCar deck上の自由水は大傾斜の原因となった。 この二つの現象が重ならなければ沈没にいたる道筋は描けない。

 特に途中の過程で右舷に約50度に大傾斜した理由は、本船が全速を維持したまま左舷急旋回したために、その遠心力で右舷に傾斜を加速したものである。 横倒しになって上部構造からも徐々に浸水が進行し、約半時間で沈没した。

 船体下部から浸水が始まったという説は、水位がcar deckに達していなければ、報告されているような大傾斜は発生し得ないにもかかわらず、大傾斜の生じた時点で下部スペースが海水で充満してはいないことからして、あり得ないと考えられる。

 海底に沈んだ船のrampが閉鎖状態にあったのは、船尾から沈没した際に重力で閉じたものであろうとしている。

SSPA       (Sinking of MV Estonia
 HSVA同様、Bow visorの破損・落脱が事故の始まりとしている。

 異常音が発生して以降しばらく10-20どの傾斜で安定していたということには触れずに、Car deckへ2000m3の浸水があれば40度程度のheelは起こりえる。

 船側に配置されたベンチレーター・ダクトが破損して海水が下層スペースに流入したので、上部居住区画は海水面に浸かり、いくつかの船窓は波で破壊し、居住区画内のダクトやcasingから徐々に全体に浸水して予備浮力を失い沈没したとしている。

 SSPA報告に対しては、下部に浸水しないまま40度傾けば、ひっくり返る筈で、空気のtrappingに関する取り扱いについて Björkmanはかみついている (31 July 2009)。


6. 思うこと

 極度の混乱の中での体験には誤差が多いことだろうから、聞き取りから得た情報を基に想定したシナリオにも厳密さを欠くであろうことは、やむを得ないだろう。 それを理論的に再現し、沈没の原因を確定しようというのだから、簡単でないことは容易に理解できる。

 情報の不足は、沈没船の精査で補われるべきだと思われるが、十分ではない。 最大の犠牲者を出したスウェーデン国内では、徹底的海底調査の要求は未だに強い。

Bow visor落下原因 :
 JAIC1997はBow visorの強度不足を原因としている。 ドイツの専門家グループは、保守に問題があったのだと強く反論している。

 筆者は、強度について云々する知識はないけれども、船体とBow visorは剛性が違うはずで、両者の間にはどうしてもガタが出るので、強固なロック(合計3個)で固めてみても、取り付け部のどこかに損傷が発生することは、大いにあり得ると思う。

 たとえばバルクキャリアのハッチカバーは多数のクリートで締められ固縛力は分散されているが、これを数個の強固なロックで締めるようなことは考えられるであろうか。 しかし、寸暇を惜しむ出入港時に多数のクリートを開け閉めすることは、ほとんど不可能に近いとすれば、本船のような配置とし、packingでできるだけ力を分散する本方式がCar Ferryの設計プラクティスになっていたことは理解できる。

 その代わり、保守には細心の注意が必要で、パッキングとの当たりや、ロック周辺構造物の微細な亀裂の有無などの点検は、欠かせないと思われる。 前のフィンランドの船主は、そのことを承知していたのだろう、12年間の運航中、Bow visor事故を経験していないという。

 ところが、本船出港時には、締まりが悪く適当に当布などで水漏れを防ぐ応急処理をしていたというのだ。

Car deck下層スペースへの浸水
 Björkman 氏が主張するように先ず下部船体から浸水が始まり、その結果freeboardが減って、Bow visorに波浪が強く打ちつけるようになり、破損したとする見解が出てくる。 ただ、下部deckから脱出した証人の中には、stairwayから滝のように海水が流れ込んできたという証言があるところからしても、Car deckから流れ込んできたと考える方が自然である。

 しかし、通常の船で考えれば、Freeboard deck(car deck)の下のmain hullに、そんなに簡単に浸水するものだろうか。 しかもmain hullは水密横置隔壁で仕切られている。 簡単に予備浮力を消失するとも考えられないので、Björkman氏のような主張が出てくるのであろう。

 HSVAは、船首から侵入した波浪のsloshingでエンジン・ケーシングが破壊し、main hullに浸水したとしている。 ケーシング扉の閉め忘れとは、事実を確認できない以上は、断言できないので、そうはいっていない。

 SSPAは、エンジン・ケーシング破壊には触れずに、ベンチレー・ダクトなどからmain hullに浸水したと書いているが、その程度のことなのだろうか。

 横倒しになってからは、15-20分漂流するうちにmain hull内の空気と入れ替わりながら海水は浸水し、次第に予備浮力を失って沈没下のだろうが、この過程の記述が曖昧でBjörkman氏に突き上げられることになる。

 海底80mに右舷を下にして、半ばうつぶせ加減に(120度)沈んでいる船体の内部を精査する必要が大きいと考える。 水深80m であれば、海底調査は無理ではないと思うが、3カ国がからむので、政治的障害が大きいのだろうか、HSVA、SSPAレポートにも新しい証拠は見られない。

 水密扉が開けっ放しであったかどうか、ベンチレーター・ダクトは損傷していたのか、main hullへの浸水過程・経路を検証する証拠が欲しい。

 この事件は、筆者には、本船の維持管理がずさんであったことが、大きくかかわっているように思えてならない。  Derbyshere号沈没でも感じたことだが、大型船だという安心感が背景にあったのではないか。


7. あとがき

 旧Kシニア時代に本件を議論して10年が経過した。 その記録を添付する。 当時は、JAICの報告書だけが原資料であったが、その後HSVA/SSPAの調査結果が出てきたので、その後の経過をフォローしてみた。 しかし、目を見張るような新見解が示されたとは思えない。 これ以上、いくら精緻な計算と実験を重ねても、事実の解明は無理なように思える。

 本件には、Bow visorの強度の問題、Collision Bhd配置の問題 (RampはSOLAS規定の位置よりも4.2m前方にあった。それが当時の設計の慣行であった)、 その後の安全規則の改正への波及問題など、関連する問題は多い。

 なお、「失敗知識データベース」というサイトがあり、2009年7月現在1160件の事例が集められている。 その中にエストニア事故も入っている。 JAIC報告を中心にしたもので、事故の大要は分かる。

                                                         おわり



ESTONIA事故への主張

 海難事故の調査報告は国の内外を問わず、とかく 純粋な技術検討が明確に示されず 関係組織の
政治性が見え隠れするものである。


 旧KシニアHPに掲載された 各位の主張

 三宮一泰  [K-Senior.1565 , 1999/04/05]
 城野隆史  [K-Senior.1586 , 1999/04/17]
 三宮一泰  [K-Senior.1722 , 1999/06/28]
 大野道夫  [K-Senior.1747 , 1999/07/04]
 三宮一泰  [K-Senior.1758 , 1999/07/06]
 塙  友雄  [K-Senior.1776 , 1999/07/14]
 塙  友雄  [K-Senior.1854 , 1999/08/02]
 藤田  実  [K-Senior.1907 , 1999/08/19]
 三宮一泰  [K-Senior.1922 , 1999/08/22]

(バイキングサリー時代のエストニア号)