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チロル紀行  旅の概要  その2 (メラーノ)
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<メラーノ>
 昨日までの曇天を疑わせるような、透明な朝の空にNordkette連山が朝日に輝く。 線路工事中とかで途中のブレナー峠まで代替バスで行く。 まだ出発時間には早く、バスの発着場になっている中央駅の貨物集配場には人影がない。 広い場内のどこからバスが出るのか、何の表示もない。 そのうちに乗客かバスかが現れるだろうと、のんびり登り損ねた山を釣り逃がした大魚でも見るような気分で眺めていた。 バスが来たので、勝手に床下の貨物艙に各自の荷物を掘り込みバスに乗る。満席になったところでバスは発車。

 広々としたハイウェイを行く。 右にも左にも征服欲を駆り立てるような奇妙な山容の山々が次々現れる。 ブレナー峠とは、アルプスで最も低い峠(1374m)で、昔から文人墨客が行き来し、兵隊が行き来した。 名前だけは知ってはいるが、かつて、ここを越えれば南国だという感慨を持って通ったような詩的な感覚は、現在はまるでない。 イタリア奇想曲やメンデルスゾーンの交響曲が鳴り響くような気分は全くない。 40分足らずで、さびれたBrenner駅の横にバスは着く。 目の前に留まっている列車にてんでに乗り込む。

 例によって重量級の客車である。1等車ではないはずだが、座席の上にreservedのカードの入ったコンパートメントがある。 座っている人がみな座席指定を取っている人たちのようには見えないけれど平然と座っている。 途中駅から乗り込んでくるのかもしれないが、Bolzanoに着くまで、大きな町はないし私たちも、その席が果たして予約席なのかわからないままコンパートメントの中に納まった。 アメリカから来たという一人旅の黒人女性。 これまた一人の化粧の濃いイタリア女。 アメリカ女は、黒人にしてはわかりやすい英語でイタリア女に話しかける。 アメリカ女は、先のロシアの若者に似て、とてもおおらかで気さくである。 他人に対する気取りがない。 そこへ行くと水商売か旅芸人のような厚化粧のイタリア女は、打ち解けない。 そのくせムシャムシャト目の前でサンドイッチを食い始める。

 列車は、谷底を走るので高速道路より見晴らしは悪い。 渓谷が広がってきたなと思う間もなくBolzano着。 同じホームで20分ほど待ってMerano行のローカル列車に乗り換える。 幅広い谷間に広がる明るい果樹畑の中を北西方向へ進む。 日本では、ブドウもリンゴも枝葉を横に張っているものだが、ここでは、みんな縦づくりである。 やがて、谷間が狭まり山が迫ってきたところが、列車の終点Merano。 Bolzanoから50分程。 Meranoは、チロルの古都。 美しい植物園と散策路の街という宣伝文句にひかれて旅程に入れただけで、とりたてた意味はない。

たっぷりのメロンと生ハム
 プラットフォームにCafeのテーブルが並んでいる。 薫風の吹き抜けるのんびりした駅である。

 向かい側にはさらに山奥へ行く観光列車が発車を待っている。 乗客はのんきにCafeで出発を待っている。 客が引きあげた後の席に座り込み、軽い昼食をとる。

 この辺りは、日本人観光客は少ないと見える。 ボーイは、私たちが日本人と知ると、嬉しそうにたどたどしい英語でいろいろ問いかけてくる。

 やり取りしているうちになんだか、こちらも気持ちがくつろいでくる。
 駅は中心部から離れていて、駅前は広くあちこちに乗り場があるが、人通りは少ない。No.4のバスに乗れとホテルから聞いてはいたけれど、それが何番乗り場から出るのか分からぬ。 案内所らしきものもない。 下車して少し戻ればすぐわかると気楽な回答をホテルからもらっているが、面倒なのでタクシーにする。 1,500円かかったが、タクシーにしてよかった。 中心街を抜け、住宅地の中を何度も角を曲がった揚句の路地の奥にあった。

 屋敷林の茂った塀の高い立派な住宅のならぶ中にある小さなホテル。 2時前でチェックインには早いけれど、部屋は用意できていた。 英語のしゃべれる女主は、休息中。 掃除中の若い女中が受け付けてくれる。 私たちの来ることはわかっているから愛想がよい。 ロビーの突き当りに小さなテーブルを置いただけの受付がある小奇麗なホテル。 レストランはない。 バルコニー付の部屋で、窓のすぐ下にはブドウ畑、屋敷林の向こうには緑に覆われた低山とその向こうにすこし高い山が見える。 中心街からは少し遠いが、これもまたよい。

 ホテルは、Net上で、価格、利便性などを勘案して決めるのだが、もともと未知の場所を訪ねるのだから、周囲の雰囲気まではわからない。 賭けのようなものである。 ここは当りであった。

MERANO のどかに流れるパッシリオ川
 午後、街中に向かって散歩に出る。 晴れた日曜の午後、川沿いの並木通りは、犬を連れた家族、乳母車を押した家族、地元の人たちのそぞろ歩きが続く。

 道端のCafeでアイスクリームを食べながら、30分ほどぼんやり人通りを眺めている。 街中も人通りは多いが、商店は閉店。 スーパーで何か仕入れようとしたが果たせず。 適当なCafeも見当たらなかったので、ホテルの自室で持参のアルファー米と味噌汁。

 年齢とともにレストランに入るのが面倒になってきた。 食欲が衰えてきて大業なものを食べる気もしないし、wineもデザートも抜いたディナーは格好がつかぬ。 だいたい、開店が遅く、食事を終えて帰ると就寝時間が遅くなる。
 早く帰って、風呂に入って、できるだけ早く就寝する方を好む。 日本での生活では、毎日毎日こんなに出歩くことはない。 疲労回復が、旅を楽しむ重要な留意点である。

 むかし現役時代、海外出張した時などできるだけ現地特有の料理を好んで食べたし、故人となられた艤装の宮田さんに、「城野はなんでも喰いよる」と、大食漢を吹聴された時代とは、さま変わりである。
 ホテルの朝食は一部屋に料理がいろいろ並んでいる。好きなものを取って、どこかほかの部屋やテラスなどの好みの場所で食事をする。手作りのデザートなども並んで、家庭料理のような良さがある。 レピーターと思しき中高年夫婦がほとんどである。

 丁度このとき、メラーノでは音楽祭の開催中で、結構名の通った演奏家や楽団がやってくる時期であった。 ホテルから切符手配の問い合わせがあったが、その日はマーラーの日で、私は、マーラーの長々した曲調が肌に合わないので行かなかった。 日程が合えば、別のプログラムに行ってみたかった。 私がクラッシック音楽を好きになったのは、小さいころその種のレコードしか家になかったことが原因で、後年になってからもてはやされるようになったマーラーにはなじめないまま今日に至っている。 音楽の好みも大いにノスタルジーに影響されているようだ。

チロルの古都 Merano : 植物園
 植物園は、邸宅街を通る坂道を上りつめた先の丘の斜面にある。 植物園というより庭園に近い。来園者も少ない朝早い庭園の小道を歩くのは、至福の時である。

 一見小さな植物園だが、日本庭園もある。 外国で何度か日本庭園に出会ったことがあるけれど、いずれも妙にオリエンタル風で中国とも日本とも見分けのつかない、とってつけたような印象しかなかったけれど、ここの日本庭園は、小さいけれど、とってつけたようなところがなく、ただ静かな空間が存在するのみというゆかしさを感じさせた。

 隅から隅まで歩き、昼食もとると、植物園を出た時には、もう3時を過ぎていた。
 門の外には、入園時には見かけなかった観光バスが何台も並んでいる。 どこから来るのか、イタリア国内か、ドイツ、オーストリアあたりからだろうと思われるが、当地でも団体バス旅行は人気があるらしい。

 日本人に初めて会った。 イタリア人女性と二人連れの中年女性で、その口調からしてどうもアリタリアのスチュワーデスと察せられた。 休暇を利用してきているらしい。 あそこがいい、ここがいいとメラーノの見どころを褒めそやす。

 私たちは、もう疲れたので、来た道を戻る。 ほとんど人の通らない並木道である。 通り過ぎてしまいそうに静かな、邸宅の庭を利用したCafeの木陰のテーブルで、私はビール、家内はアイスクリームで疲れを癒し、帰館。 ベランダでwineとチーズで夕暮れのブドウ畑と山並みを眺めて、ボーっと疲れた膝を休める。
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