日本船舶海洋工学会 関西支部 海友フォーラム K シ ニ ア
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<旅の記録> 5.ポルトガル ・ ロンドン 2006年

月/日 日数 滞在地 備考
6/7-10 C リスボン サンタジュスタ、 城跡、 シントラ、 ロカ岬、
ジェロニモス修道院、 ベレンの塔、 Fado演奏会
6/11,12 A マルヴァオン コルク樹林trekking、城跡
6/13,14 A エヴォラ 水道橋、大聖堂
6/15-17 B ナザレ サンミゲル要塞、 オビドス、 バターリア修道院、
アルコバサ修道院
6/18,19 A コインブラ コインブラ大学、植物園、ブサコ国立公園
6/20,21 A マラオ アマランテ、 森林植物園からエスピニョ峰trekking
6/22,23 A ポルト 水晶宮庭園、 サンフランシスコ教会、 ポートワイン試飲、
サンジュアンの祭り
6/24 @ ラゴス 海岸散歩
6/25 @ サグレス ヴィンセント岬、 サグレス要塞
6/26 @ セツーバル トロイア海岸、 コウノトリ探鳥
6/27 @ リスボン 市内散歩
6/28-7/1 C ロンドン キューガーデン、 観劇、 ウィズレー・ガーデン
ドーバー、 カンタベリー (現地観光バス)
7/2 @ 機中泊 7/3 帰国

 2003年、冬のある朝、突然、強烈な頭鳴りがして、血圧の乱高下、異常感に見舞われる。 病院で診断受けるが異常なし。 自律神経失調症と自己診断。 その後波打ちながら緩和するが、2年毎に中程度の発作が出る。 また、2004年の冬、突然左膝の靱帯に激痛が走り、立てなくなる。 徐々に回復するのだが、無理して歩く内に右膝にも同じ症状が発生。 回復のテンポは遅い。 双曲線関数的である。 日数をNとすれば、回復の度合いは1/Nという調子で、Nが無限大にならなければ回復は見込めないような具合で、5年経った2009年でもまだ引きずっている。

 そんなわけで、海外旅行からは遠ざかっていた。 人は何でもリニアーに予測するもののようで、そんな膝の状態であっても、2006年初頭には、もう半年もすれば回復するであろうと期待して、そろそろどこかに出掛けたいと思うようになった。 なぜポルトガルを選んだかと問われても、確たる理由はない。 傾向として、パッケジ・ツアーであまり喧伝されていないところを選んでいることに気がつく。 ことに2006年はworld cupの年で、開催国ドイツは避けた。 ポルトガルでもっぱらTV観戦した。

 今回の旅の計画もLonely Planetと地球の歩き方が参考書である。 Planetにある推奨コースを参考に組み合わせ、鉄道とバスでつないだ。 この頃になると遠距離バスの時間表もnetで見られるようになってきたし、安ホテルでもE-mailが通ずるようになってきた。

 さて、ルート設定には苦労した。 一旦決めると、なんだかそれ以外の考え方ができないようになってしまうが、しばらく放っておくと別の考えが思い浮かぶ。 ガイドブックを読んでいると、田舎のおっとりした街の木陰で、風に吹かれて冷えたワインを飲んでいる姿を想像して、あちらもこちらもいってみたくなる。 何も知らない土地を旅するのだから、どこに行って、どこに行かないか選ぶ基準はないようなものである。 2ヶ月ほどモヤモヤしているうちに、あれこれ考えても始まらないと、考えも固まってくる。

 今回の特徴は、中央部のリスボン周辺を一回りしてから、ナザレ、コインブラを経て北部のポルトへ、ポルトから最南端のサグレスまでポルトガルを縦断して南下、途中1ヵ所セツーバルによってリスボンに戻る南北往復型である。

 宿は、Posada(スペインのParadorに相当する、歴史的建造物を改造した官営のホテル)3ヵ所と2-3流B$Bを混ぜた。 3流といっても、シャワーしかないけれど、清潔で何不自由ないし、かえって親しみが持てる。 ポルトガルの安宿は、Credit card番号を前もって知らせることは求めないが、前日までに電話で到着を確認する必要がある。 テレホンカードが便利であるが、最初は使い方が分からず苦労した。 観光なれした郵便局でないと、使い方の説明も英語ではできないのだ。 英語をもっともらしくしゃべるのだけれど、自分でも分かっていないのではないかと疑いたくなる始末。

  観光案内所など外国人なれした窓口の対応は要領よいけれど、庶民を対象にした郵便局、銀行などの窓口の係員(ほとんど女性)の非能率は驚くほどであった。 切手数枚の金額を計算するのに何分もかかる。 TCをcashingするのもコンピュターをたたき回して、それこそ大変。

 外国人に無縁な庶民は、英語はさっぱりだけれど、それ以外では英語は通じるし、気の張らないとても親しみやすい国柄であった。

 ただ、コインブラの有名なFadoをやっている小さな教会があるのでいってみたが、高級ホテルの予約客と私たちのような不意の客に対する客扱いの差が歴然として、とても不愉快であった。 お勧めできない。

 ガラガラのローカル列車に長々と乗って、リスボン東部の平原の小高い丘の上にある城壁で囲われた小さな集落マルバオンを訪れた。 そこは全くのんびりしたところだった。 丘の斜面のコルク林を通り抜け、野草が咲き乱れ、虫の羽音の響く道を3時間ほど誰にであうこともなくwalkingしたこと、青い空と海の広がり以外は、まるで何もないポルトガルの南西端サグレスの要塞などは、特別に印象深かった。 手の入らない自然がそのまま残っているところが素晴らしい。

 なお、65才以上の交通費は半額になる。 このことは地球の歩き方には記載なく、Lonely planetに載っていた。 早速、観光案内所でSeniorをポルトガル語ではEdososということを教えて貰い、その後、この言葉のお世話になった。 タクシーは安いし、交通費は安くついた。 ポルトガルは、何となくまた行ってみたいところである。
 それにひきかえロンドンは何かにつけ高価である。 でもRHSの本拠地Wisley Gardenは、行っただけのことはあった。
 

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