日本船舶海洋工学会 関西支部 海友フォーラム K シ ニ ア
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<旅の記録> 7.中欧 2008年

月/日 日数 滞在地 備考
5/28-30 B ウィーン シェーンブルン城、 市内、 Rust Am See (バス往復)
5/31-6/3 C ブダペスト 王宮、 観光船、 人形劇、 中央市場、 英雄広場
ドナウベント地方、 センテンドレ
6/4,5 A ホルトバジー 観光馬車、 walking
6/6 @ トカイ Trekking、 wine試飲
6/7,8 A レヴォチャ Spis城址
6/9-11 B スターリ・スモコヴィッチ フレビエノックtrekking、
ロムニッキー峰、 シュツラプスケ湖、 trekking
6/12,13 A ブラティスラバ 王宮、 旧市街、 デヴィンスキー城跡
6/14-16 B プラハ カレル橋、 コンサート、 城、 市内、 動物園
6/17,18 A チェスケー・ブデージョヴィチ フルボカ城、チェスケー・ルリムロフ
6/19,20 A ウィーン バッハウ渓谷、 美術館、 ベルベデーレ宮殿
6/21-23 B パリ 観光船、 オルセー、 オランジェリー、
モンサン・ミッチェル往復
6/24 @ 機中泊 6/25 帰国

 2006年、膝は治っているつもりで計画したのに、痛みは取れず、その上9月の暑いヴェトナム旅行で疲れ果て、しばらく旅の計画をする気分ではなかった。 けれども1年半が経つとそろそろ旅心が湧いてくる。 前回はヨーロッパ大陸の西の端だったので、今度は東側にした。

 ドイツ・フランス・イギリスが、まだ未開の地であった中世ヨーロッパの中心地帯、共産圏に取り込まれ発展に後れをとった中欧、近年再興し始めたハンガリー、チェコは、魅力的な響きをもつ。 今後ますます観光客があふれかえるだろうから、そうなる前に行っておきたいと思った。 ところが、そのときの私の知識の中には、チェコがオーストリアの北側に位置し、ハンガリーが東側に位置するという位置関係さえ明確ではなかった。 南の方へ脚をのばして、クロアチアはどうだろうとか、南東方向きのルーマニア、ブルガリアもおもしろそうだなとか、勝手な想像をしている状態であった。

 例によって、Lonely Planet叢書と地球の歩き方をボツボツ読み始めた。 読みながら想像をふくらませ、順次具体化に結びつける。 まず、日本からどこに入るかを決めなければならないが、中欧には日本からの直行便がない。 ロンドンまたはパリ乗り継ぎになるが、ウィーンが便数も多く便利そうであるから、ウィーンに入ることに決めた。

 ルーマニアやブルガリアは、列車やバスで行けないこともないらしいが、時間がかかりすぎる。 地元航空会社の飛行機でまわるしかないが、それとて首都に2,3日滞在して飛び回るような旅程にしかならないであろう。 どの國でも地方にまで脚をのばしてこそ、行ったような気になれるものだという思いは、常に私につきまとう。 もともと2人で総額100万円以内という予算では無理である。

 クロアチアなら飛行機でなくても行けそうだが、ハンガリー、チェコと組み合わせるには、スムースなコース設定が困難に思われた。 若いころならユーロパスを使って動き回る元気もあったろうが、70才を過ぎると、もうそれは無理。 1ヵ所の滞在日数を2日以上、1泊は、できるだけ避けるという方針に立てば、そんなにどこにでも行けるものではないことを悟る。

 ブダペスト、プラハ、チェスケー・クルムロフは頭にあるが、それ以外に事前の知識はないものの、ハンガリア大平原を実感できるところ、2001年に行ったポーランドの南部山岳地帯のスロヴァキア側を訪ねたかった。 そこで出来上がったのが上記表のような旅程である。 ウィーンから東へ列車でブダペストへ、ブダペストからハンガリア大平原をジグザグに東進、ハンガリー東北端からスロヴァキアに入り、スロヴァキア第2のキ史コシチェから西に戻って、レヴォチャ、タトラス山地経由、スロヴァキアノ首都ブラチスラバへ。 そこから更に西北西にプラハ。 プラハから南下、途中チェスケー・ブデジョヴィッチによって、リンツからオーストリアに入る 。ドナウ川のメルク,クレムス間、いわゆるバッハウ渓谷を船で下ってから、再びウィーンに戻ることにした。

 Flightがパリ経由であったので、帰路パリに立ち寄り、パリがはじめてというご婦人を案内し、モンサンミシェルを往復した。

 見ず知らずのところのホテルを決めるのは、何時も苦労する。 ウィーン、プラハ、パリのホテルは高い。 例によって三流どころを探すが、そういうところは中心地から遠い。 地下鉄やバスで最寄りの駅まで行って歩く。 タクシーは原則として使わない。 こういう國では、まだまだタクシーは、トラブルのもと。 毎回口論するのは、くたびれる。 おかげで、引っ張り回されるご婦人方のご機嫌は悪い。

 フロントでは英語が通じたが、下手なのに限って妙に頭の高い女性が多いのは、なぜか? 一流どころのホテルで知人と待ち合わせたときのフロント嬢の美人で英語の美しいことと比べると、天と地である。 社会主義時代の泊まらせてやるの気風が残っているのか、このようなホテルの客筋が悪くてそうなるのか、自分の英語の下手なのを隠すためか、よく分からない。 そんなことは気にせず、要件があれば遠慮することはなく告げればよい。 清潔で宿泊するには不足ないので、気にしなければよいだけである。 でも、平均的には、三流どころで十分である。

 モンサンミッシェルでは、有名なオムレツを食した。 泡立てたふわふわオムレツは、名物に旨いものナシの典型である。 あんなものを高価なもったいぶったレストランで喰うことはない。 ガイドブックも取り上げないくらいの見識があってもよいとおもった次第。
 

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