海友フォーラム 第11回懇談会用の資料を 岡本 洋さんが編集したもの(パワーポイント)から
一部を抜粋して ここに掲載。 海中写真は → ここ 海中写真 (その1) 海中写真 (その2)
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座間味島の歴史
1264年 英祖王(琉球史の第1期頃) の 首里に入貢。 天孫子の子孫が渡来して住民の開祖となる。
1314年 に三山が分立してその子孫といわれる旧家現存。 那覇より渡島の住民多し。
昔から海洋思想に富む。
1350年 察度王が明国に進貢船が航海。その船頭を数名出す。 地頭職が各間切に置かれた。
地頭は藩主の所在地・首里に居住。 間切を巡視する代理職・地頭代を置く。
1372年 沖縄と中国の公式交通開始。 当時の船たまり跡「唐船グムイ」が阿児の浦港にのこる。
1609年 薩摩藩の植民地となる。 明治12年 琉球藩廃止。 明治30年 番所、地頭代は廃止。
明治41年 沖縄県島尻郡座間味村となる。
1945年3月26日沖縄戦の第一上陸地となる。 村民犠牲数 402名。
1948年7月市町村制の公布現在に至っている。?
慶良間海洋文化館(座間味島)
交易で栄えた琉球王朝時代に海を駆けた唐船・進貢船(しんこうせん)・馬艦船(まーらんせん)などの
模型や本物のサバニが並ぶ資料館。
大交易時代の慶良間と進貢船、海上交易の変遷、鰹漁業の発展など、島の歴史について学ぶことが
出来る。
民具や漁具などの民族資料、また特攻艇や沖縄戦に関する当時の新聞記事も展示されており、戦争の悲惨さを考えさせられる場にもなっている。
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シニア・ダイバーの安全 : 閑散時利用、ガイドと一対一で潜る 行きつけの宿、ガイド
外地でのダイビングの危険 : 多人数と少ないガイド、 リーフに出入りする海流の危険
・・・座間味にはない
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クマノミ とイソギンチャク との共生 − Wikipedia より
ハタゴイソギンチャク科の 大型イソギンチャク類と共生。
通常イソギンチャク の触手に触れた動物は刺胞による攻撃を受けるが、クマノミは刺胞に対する免疫を持つ。 免疫は生来の体質ではなく、幼魚が徐々にイソギンチャクと触れ合うことで免疫性を獲得。
お互いのメリット
安全 − クマノミは、イソギンチャクの触手の中にいると大きな動物からも捕食されず、身を守れる。
捕食 − クマノミは魚の死骸や弱った魚を見つけると、それをくわえてイソギンチャクに捕食させる
ことが観察されている。
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カクレクマノミの性変化
一番大きい固体 メス
二番目の大きさ オス
三番目 オス
以下は未成魚。
普通、1つのイソギンチャクに住む複数のクマノミは、一番大きなメス(沢山の卵を産める)、次に大きなオス、そしてメスでもオスでもない未成魚達の構成。
もしメスが死ぬと、オスが性変化してメスになり、3番目に大きい未成魚がオスになるという巧みな戦略でクマノミ達は子孫を残しています。
東海大学海の博物館より |
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