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チロル紀行  チロル地方  チロルとはどこか
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チロル地方
 もう一つチロルに関心を持った理由がある。 それはチロルとはどこかということである。 チロル、チロルと言いながらその地域がよくわかっていないのだ。 スイス以東のオーストリア、北イタリアからスロベニアに至る地方とあるが、もうひとつピンとこない。

 チロルを調べるのに最も役に立ったのは、今井敦著「三つのチロル」(新風舎)であった。 留学先のインスブルックの思い出を随想風に描いたもので、同時にチロルの歴史を紹介してある。大変いい本である。 この本にある図を下に掲載した。 上段の図は、周辺諸国も含めた広域図であり、下段がいわゆるチロル地方を示している。
 1248年チロル家が、トレンティーノを含む一帯を統一した時をもってチロル誕生とされる。 それ以前から、民族の移動により小国が生成消滅したに違いない。 Bolzanoの考古学博物館には、氷河に埋まっていた5,000年以上前の氷結した人体が発見当時のまま保存されている。
 その後チロルはハプスブルグ領に属して存続してきた。 それは下段図にあるとおり、オーストリア西部のドイツとイタリアに挟まれて細くなった部分の北チロル、Brenner峠以南の現在のイタリア領にある南チロルと南チロルの東となりのオーストリア領に属する小さな東チロルから構成されている。

 現在のオーストリアとイタリアを分ける分水嶺の両側に広がっていたチロルだったが、1918年分水嶺の南側はムッソリーニに割譲されてしまった。 ムッソリーニの歓心を買うためのヒットラーのとった方策であったと言われている。

 それ以来イタリア人の北上が始まり、もともとドイツ語を話していたチロル人もドイツ語を禁止されてしまう。 その後幾多の騒動を経て、南チロルの自治が順次実現し、1992年オーストリア、イタリアとの紛争終結が国連対してなされ、現在に至っている。

 そのような事情のため南チロルの山や都市などの固有名詞には独伊の両方が併記されている。 Bolzano(Bozen)、Merano(Meran)は、カッコの中がドイツ名で、似ているので見当はつく。 中にはDobbiacco(Toblach),Ortisei(ST.Ulrich)と似ても似つかぬ地名もある。 山の名前も同じである。 三つ並んでいるものもある、三つ目は、バディア語(南チロルの少数民族の言葉)かもしれない。
 山の名前など地図によってはきれいに書き並べられていないものもあり、2,3の地図を比較して類推することもある。 このように名前が氾濫していても観光客には民族間の反目があるようにはかんじられない。 至って穏やかである。 しかし、地名に精通していることは、旅するうえで大切なことで、名前を忘れると行った場所のことさえ印象が薄れるので、帰国後ルーペを使って地図(現地で購入した)で登った山の名前、山小屋の名前などを確認している。

 勿論オーストリア領の北チロルや東チロルでは、名前は一つである南チロルだけが、イタリア語、トイツ語が併記されているのは、歴史的経過がそうさせているということがわかる。 多少不便でも、イタリア人とドイツ人が仲良く暮らしてゆくためには、そうすることが必要なのだろう。

<旅程>

 さてチロルはわかったが、至って広大な地域である。 しかも私の旅の主目的は、街散策やハイキングである。 その上、長らく膝を痛めていて、自分で思うほどには歩けないので毎日のように居場所を変えるのは御免である。

 まず、構想としてミュンヘンに降り立ち、そこから列車でインスブルク、さらに南下してBrenner峠を越えてイタリア側の南チロルに入り、BolzanoとMeranoに滞在、それから東へドロミテ地方の各所に数泊しながらコルチナ、ミズリーナに至り、Dobbiaccoから東回りの列車でザルツブルクに出て、旅の最終日の朝ザルツブルクを出てミュンヘンからのflightで帰国することにした。

 インスブルクやザルツブルグにも空港はあるが、日本からの直行便はないし、地方空港のようなものだから便数が少なく接続がよくない。 ミュンヘンーインスブルク、ザルツブルグーミュンヘンはともに列車で2時間程度なので、ミュンヘンを発着地とし、SASを利用した。 コペンハーゲン乗継である。 接続時間が適当なので同じ日の午後6時半にミュンヘンに着く。 無理すればその日のうちにインスブルクに着けるかもしれないが、安全に、最初の日はミュンヘン中央駅近くの安宿(\8.000)に一泊とした。
さて、構想はできたが、具体的な滞在場所と、日数を決めなければならない。 旅の立案に参考とした文献は、主に次の二つである。

    1.  オーストリア・アルプス ハイキング案内 (山と渓谷社)
    2.  Shorter walks in the Dolomites (A Cicerone guide by Gillian Price)

 このような本を見ていると紹介されてコースを全部めぐりたくなるが、それは無理というもの。 特に南チロルのどこを通るのがよいのか見当がつかない。 下の図は、「地球の歩き方」に出ている図である。 日本では、ドロミテ街道が旅行社のパンフレットなどに散見される。 図の黄色く着色されたところがそれである。 バスで走れば1日で走れる距離である。 図の中央のマルモラーダ山は南チロルの最高峰である。 北面には氷河を抱えている。
 

地球の歩き方 より
 一方、Cicerone guideを見れば、赤丸で示された推奨コースは、広範囲に分布していて、いわゆるドロミテ街道が、必ずしも中心とは限らない。

Cicerone guide より
 南チロル中をぐるぐる回ることも考えらえるが、どうせそんなに歩けないのだし、行き先の多さを競うよりも1か所に数日は滞在してゆっくりと落ち着いた旅を選択した。
 そのコースは、Gardena谷(St. Christina4泊)、Badia谷(Corvara3泊)、Cortina谷(Cortina 4泊)とした。 これらの滞在地での行動予定は、たてていない。 Net検索でどんなところか想像はつくが、わかったようでわからないものだ。 行ってからのお楽しみである。 南チロルは主にドロミテ・バスが走っているが、土地不案内な者にとってはあいまいな理解しかできない。 あとは、先々の観光案内所で地図やパンフレットもらい、バスの時間や割引パスの有無などを尋ねながらの旅となる。
日程表
当初 Cortina に4泊するつもりだったが、路線バスが9/12から運休というので2日を Misurina に割振る。
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