戦後日本のCargo Linerの発達はまず復興があり、その後1950年代後半からは新技術開発がありました。
ぱなま丸型は戦前の優秀船の復興ということで、12名の船客設備は最高級、ハウスの3層目のサロンデッキはプロムナードデッキも幅が広く、往時の客船を思いださせます。 Lppはこの級でよくあった145mです。
ねばだ丸型は、実海域での航行性能の向上を図り、Lppを145mより長く、150mとし、船首のフレアを大きく、長船首楼を設けて荒天中のデッキドライをはかった結果、実用航海性能は良好で太平洋横断のブルーリボンを獲得しました。 本船の設計に携わった高城清氏(故人)から「バルバスバウも検討したが結局は通常船首とした、荒天航行には通常船首の方が良かったように思う、しかしバルブを採用して平水中の高速成績を出すことも大切で、集荷営業にはこれがケッコウ影響する」と聞いたことがあります。 また私は学生時代、川崎の工場実習中、「ねばだ丸のことを教えてほしい」と申出たら、設計部の及川健氏が対応してくださり、本船の図面や荒天中船速に関するLewisの論文を見せて説明してくださいました。 実習では姉妹船
もんたな丸の上甲板下部構造のスケッチ等をしました。 当時一般貨物船に川崎が採用していた縦横混合式構造でありました。
山城丸級は画期的な船です。 NYKは高速Cargo Liner船隊整備を企画し第1船の山梨丸は17,500PS、サービス速力約20ノットでしたが、長崎建造の第2船の山城丸では新船型を開発して同じ速力を13,000PSで実現しました。 当時川崎の砂野仁社長(故人)が社内年頭挨拶で本船のことを話題にされたのを憶えています。
船のカタチとして、これらの船はよいカタチだと思います。 山城丸はセミアフト機関だが自然な、均整のとれたものと私は思います。 高速船ではやせた船型なので部の広い場所を貨物倉に当て、機関室はその後方の幅がせまくなる場所に配置する工夫は、デイゼル機関なら無理もすくなく、軸系も短くなり合理的といえます。
今回も斜め前から見た絵を入れました。 船首から45度右舷の方向から見たものです。 ハウスの形を見ると、ぱなま丸は船客設備が充実しており前面、側面の窓や開口には装飾的効果があり、船旅の楽しさを連想させるものと思います。 ねばだ丸はハウス内部の配置を優先したためかサロンデッキには舷側の通路が無く、ハウスの前面は四角で箱のようです。 しかしこれはこれでよいカタチだと私は思います。 山城丸はハウス前面の左右をえぐり取ったカタチで、よい造形になっていると思います。 風の抵抗もいくぶんか小になると思います。
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