上図は英国名門船社 Blue Funnel Line (BF社、青筒船社)の船のカタチの変遷を示します。
中にオレンジ煙突があるが、それはBF社の系列社 Glen Line(GL社)で、船のデザインは BF社と共通です。
前回、名門船社の伝統的な船のカタチにはよいものがあると記したが、その典型と思うのが上掲 DEMODOCUS (D船)です。 このカタチは1938年建造の
GLENEARN (GL社)から1955年の D船まで、さらにバリエーションを入れると約50隻、性能は進歩しているのに船のカタチはほとんど同じです。 三島型で長い中央船楼に大きなハウスと煙突があり、ハウスは各層とも周囲にデッキをめぐらし、古典的で情緒豊かで、このカタチに対するBL社の自信がうかがえます。 乗員や関係者も「本船=わが船」のカタチが自慢であっただろうと私は思いを馳せます。 むかし私が神戸港で見た
BF社船は皆このタイプで、ブランド効果も大きいと私は思いました。 近くで見ると、中央船楼端部の補強のため外板を二重としリベットでものものしく固定していましたが、重量増加が難点です。 この局部強度の事情もあったのか、1962年竣工の
GLENLYON (G船)では長年続いた三島型をやめて平甲板型となりました。 しかしハウスは従来の BF社型で情緒豊かなものです。 G船もよいカタチだと私は思います。性能も優秀です。
PRIAM (P船)はそれまでのBF社の伝統的スタイルを捨て、斬新なカタチです。 (P船については前回も参照)
G船、P船が建造された1960年代、BF社の造船主任は H.Flett氏から M.Meek氏に変わりました。 船のカタチが大きく変わったのはそのためもあるかもしれません。 以前私は Meek氏の自伝(1)を読み、感想をKシニア海友フォーラムに出しましたが(2)、Flett氏と Meek氏のことが出ています。 文献にあるように BF社はこのあとコンテナ船事業にも注力するが結局1980年頃に海運業から手を引きます。 このとき
Meek氏は BF社会長の世話で英国造船所連合(BS)の技師長に就任して活躍し、あと英国造船学会(RINA)の会長もされました。
D船の他に、W.H.Dickie氏設計の PELEUS級<1952>貨客船8隻があり、これもD船同様のカタチです(3)。
これらを入れるとD船のカタチは約60隻になります。 しかもこれらは同型船や標準船ではありません。
むかしの映画「アラビアのロレンス」にD船クラスの船がスエズ運河を行くシーンがありました。 砂漠の砂山越しにすべるように動くハウスと青煙突のクローズアップが夢のように美しかったのを、いまも私は憶えています。
(1)M.Meek, There go the Ships, The Memoir Club, 2003
(2)神田修治, M.Meek氏の自伝「There go the Ships」を読む, K-シニア海友フォーラム, 2008
http://www.jasnaoe.or.jp/k-senior/2008/080323-kaiyuu-kanda.html
(3)W.H.Dickie, High Powered Single Screw Cargo Liner, Shipbuilder and Marine Engine-builder, 1952-07
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