三井船舶は現在のMOLの一翼で、三井造船(MES)との関係が深く、多くの船をMESで建造しました。
MESは終戦後輸出船のさきがけとしてMAERSK社のELSE MAERSK(E級)を建造したが小粒ながらセミアフト機関のカタチよい船でした。 AZ級はE級の影響か似たカタチでした。 AK級はAZ級の発展でハウスのカタチは似ているが中央機関でした。AZ級、AK級は三井独特のカタチで、私はこれが好きでした。 以後H級、M級になると、日本他社のCargo
Liner(例えばNYKのS級-船のカタチ28)と変わりのないカタチになりました。 三井の船は船体が緑色、ハウスがクリーム色、横腹にMITSUI
LINEと白色で記した独特の彩色でした。
三井船舶は1953年欧州航路への進出を企図したが、この航路同盟はclosed conferenceといい、閉鎖的で新規加盟がむつかしく、激しい盟外船活動の末、既加盟NYKのunder
wingで加盟が認められたという苦難の歴史があります(1)。 他方、米国航路はopen conferenceであり、開放的でありました。
ついでに記すと、いま定期航路はコンテナ船となり、さらには英国船社の撤退等により同盟も様変わりし、CKYHアライアンス、グランドアライアンス(GA)、ニューワールドアライアンス(NWA)等となり、さらに最近2012年1月にはGAとNWAが統合しG6アライアンスになる等激しく動いているようです。
(1)有吉義弥、回想録・日本海運とともに-12、ラメール1978
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