船のカタチ(71)  日本海運界初期の貨物船
                 豊岡丸 <1915> 級、 ぱなま丸 <1910> 級、
                 来福丸 <1918> 級、 ぼるどう丸 <1923> 級
                                                                   2015-11 神田 修治


船のカタチ-13」では1930年代日本の貨物船の技術革新を述べましたが、今回はそれより前、1910~20年代の貨物船を取上げます。 この時期は日本外航海運界の初期、それまでの新造船は客船や貨客船が主であり、純貨物船の新造はほとんど行われなかったが、日本の経済産業が発展するにつれ外航貨物輸送の需要も高まり、専用の外航貨物船が建造されるようになりました。 その中からピックアップして図示します。

豊岡丸 <1915> 級 ・・・ NYKは優秀な貨物船フリートの整備を図り、まず徳島丸<1913>を先進英国Russell社に発注、以後これを手本として三菱と川崎で本船等を建造しました。 Tクラスと称され好評を得ました。

ぱなま丸 <1910> 級 ・・・ OSKは内航中心の会社でしたが、北米航路開設のため建造した貨客船がこれです。 この船は貨客船であり専用の貨物船ではないが、OSKの船も出したいのでここに図示します。 帆装もある。

来福丸 <1918> 級 ・・・ 川崎造船所は第一次大戦の船舶需要の高まりに鑑み、見込み生産の貨物船、ストックボートを多数建造しました。 本船はそのうちの一隻で30日という短期間で建造し当時話題となりました。 多数のストックボートは、大戦後の不況時に船腹過剰という問題もきたしたが、山下汽船や川崎汽船、国際汽船等により運航され、業績も上げました。 また一部は船鉄交換として米国等に輸出されました。

ぼるどう丸 <1923> 級 ・・・ 川崎ストックボートの後期のもので、来福丸よりひとまわり大型の1万dwt、また来福丸は蒸気レシプロ機関なのに対し、本船は蒸気タービン機関で、当時としては高速の12ノットを出し、川崎汽船、国際汽船、川崎造船所船舶部の三社で結成されたK-Lineの定期貨物船として運航されました。

これらの船はいろいろ異なる経緯のもとで建造されたものですが、いずれも同型船が多数建造され、当時の日本海運の船腹拡充・業容発展に大きく貢献したと言えます。 またこれらの船のカタチは古典的だが、味わいのあるよいカタチであると私は思います。


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