1. プロローグ
1.1 キルギス邦人拉致事件
今夏、キルギスで起った武装勢力による邦人拉致事件は、関係国政府の努力によ
り、人質無事解放で落着したようだが、「国際紛争の火種」、「それに伴う問題
」は未解決である。今後もこの種の新たな事件が発生する恐れが消えない。1979
−1989年のアフガニスタン紛争以来、いや、それ以前から、「中央アジア、西ア
ジア」では国際紛争が連続発生している。今年の分だけでも、セルビア紛争は別
として、アフガニスタンおよび周辺諸国の内乱、モスクワ爆弾テロ事件、チエチ
エン紛争、アルメニア要 人射殺、パキスタンクーデター等が短期間に集中して発
生している。発生場所はすべてがイスラム圏と大国のボーダーライン上で、キル
ギス邦人拉致事件はイスラム圏諸国の紛争に巻き込まれたものである。事件は今
のところ、殆どがイラン系トルコ人武装勢力が起こしたもので、彼等の目的は「
ジハード(聖戦)により敵(ロシア)からイスラム領土を奪回しよう」と云うのであ
る。「トルコ」と云えば、前回の随筆「バルカンに想う」の中でも「オスマンの
負の遺産」に触れたが、たまたま、今年8月、トルコ、アナトリア北西部でショッ
キングな大地震が起こり、トルコに関する出来事が相次いで起こるので驚いてい
る。キルギス事件のテレビ報道で、キルギス大統領はじめ同国要人の容姿が日本
人によく似ているので、また驚いた。俳優の高倉健さんの「そっくりさん」もい
た。救出された日本人がキルギス兵士に護られてテレビ画面に現れた時、アナウ
ンサーが「誰れが日本人かわからない」と云ったのが印象的であった。キルギス
の隣国、ウズベキスタン、カザフスタン、タジキスタンの人達はむしろ白人的で
ある。隣接地域なのに、同じトルコ系なのに、何故、このように様子が違うのか
不思議に思うが、このことは本文で述べよう。次ぎに、私は過日、上高地、北ア
ルプ スへ旅したが標高1500mの高地、2000m級の山岳は優美であった。中央アジ
アと云えば ボロデイン(ロシア作曲家1833−87)の「中央アジアの草原にて」と
いうメロデイを思いだす、美しくて叙情的な印象をもっていたが、今回、テレビ
に映し出されたキルギスの7000m高地、8000m級の山々は雪のない季節ながら、い
かにもきびしい有様であり、このような「中央アジア」の地に、当地の民族は開
闢以来よくも住んできたものと強い感慨を受けた。日本では今まで「中央アジア
」の出来事には余り関心が示されなかった。国際交流では西欧よりも遥かに遠い
地帯であるが、その距離は近く、特にキルギスは中国新彊ウイグル自治区のすぐ
傍である。世界史においても西欧から或いは中国からの視点による記述が主流、
トルコ人自身による歴史書は僅少である。トルコ 民族のルーツは「ユーラシアの
騎馬民族」、住居を定めない民である。歴史の流れを 通じ彼等は、極東から東欧
まで民族移動を繰返し、モンゴリアンとコーカソイドが混在する多岐にわたる民
族である。日本人は「人種」、「言語」、「国家」、「住居地」すべてが先祖と
同じ、彼等のような「遙かなる故郷」を持たない。だから、トルコ人のような複
雑な民族の気質を身体の底から理解するのは難しいと思われる。ところで、トル
コ系民族は、殆どがイスラム教徒、貧しく、西欧諸国とくにロシア、そして中国
等の大国からの「負の遺産」を背負い、精神主義を重んじる人達である。しかも
過去の因習から抜けきれず、国際通念、国際政治に関心なく、自説を主張する。
また、一部にはゲリラやテロ行為を「神のみ心」と信じ、戦いを聖戦化し、過激
に走る集団が台頭しつつある。そこで、彼等を少しでも理解する一助として、「
トルコ系民族の歴史」を調査した。そしてこの民族を論じるには「ユラーラシア
大陸創成」「遊牧民の始まり」まで歴史を遡らなければならないと感じた。冗長
になるかも知れないが 「トルコ民族物語」と題した一文を書きます。一読下さい
。本文を書いている今(99年11月13日)、トルコで再び大地震が起きた。震源地は
前回の少し東側、ボル県のジュズジエで、やはり北アナトリア断層の直上、M7.2
の強震、なおも余震継続中との報道。3ケ月間に2度も強震があるなんて信じられ
ない。私達は5年前に阪神・淡路大震災でひどい目にあったが、もう暫く阪神地方
に大地震は起らないだろうと甘くみている。だから、今回のアナトリア再地震の
報道は大層ショック。トルコの人達は再地震を恐れ、テント生活をしていた人も
多かったと云われる。何とか、前回のような大被害にならないことを祈り、新た
に犠牲となった人達に哀悼を捧げたい。
1.2 トルコ民族の定義
「民族」を正確に定義するのは難しい。一般に「民族とは人種と文化(言語、風俗
、宗教)が共通な集団」と解釈するが、通常は、いろいろな部族が混淆し、それら
を纏めて一つの民族と定義するのが普通である。15世紀以降、国家の規模が大き
くなると、国家への帰属意識強化あるいは宗教上の結束を目的として「民族魂」
が高揚されたり、または「情報メデイア」等がエスニック集団として、本来の民
族定義と違う集団名をつくり上げる場合もある。日本は3万年前、「モンゴリアン
・ロ−ド」の途上に存在したから、渡来した諸民族と先住民族とが交錯・混淆し
、その結果、大和民族が誕生し、有史時代が到来した時は、既に大和民族と云う
単一民族ができ上がっていたものと思われる。ウルム氷河解凍後、国土は島国と
なり狭い国土内で混淆が続いたため、渡来したアルタイ系言語が、自ずから変化
し、分類できない独特な日本語ができあがったものと考える。トルコ民族を分類
すると、オスマントルコ(ウズベク人建 国)時代以降、アナトリアに住むトルコ
人(アルタイ語族)5千万人。セルジューク朝時代(11世紀)のトルコ人の後裔で、
ユーラシア内陸の広域部分(東は満州から西は黒海まで)に住むモンゴル系、ウィ
グル系、ウズベク系民族(アルタイ語族)、5千万人。総勢1億人が狭義のトルコ民
族である。しかし、トルコ民族のルーツは「ユーラシア遊牧・騎馬民族」。この
意味では、シュメール文明を築いたアーリヤ人(古代ペルシャ人)もルーツを同じ
くするから、その直系、イラン、アフガニスタン、パキスタンの印・欧語族、お
よそ1億5千万人をトルコ民族として扱うべきであろう。(「イラン」と云う語句は
、アーリヤ人を意味する古代ペルシャ語の「アルヤーン」が「イーラーン」とな
ったそうである)。そうすれば広義のトルコ族はおよそ2億5千万人の人口である。
勇猛なチエチエン族、クルド族、パシュトー族等のイスラム・イラン系トルコ人
は、過激に走り易く、国際紛争との関わりが多い。
1.3トルコ系山岳民族の気質
アフガニスタンのパシュトー族(イラン系)を引用する。彼等はイスラム信徒で、
伝統的に武勇に富み、結束が強い。山岳地帯で、村全体が壁に囲まれ一軒の棟続
きになった家に住む。男性の服装は長袖のシャツ、だぶだぶのズボン、シャツの
上にチョッキ、パシュトー族特有の白いショールを肩に掛け、靴下なしで皮のサ
ンダルをはく。頭にターバン、上流の者はカラクル羊の毛皮帽子。弾帯を腰か胸
に締め、小銃を肩に掛けて歩く。若者が望む「武勇の民のかっこう良い、憧れの
姿」である。日本の武士が刀を差して闊歩したのに似ている。「パシュトー精神
」の第一徳目は「勇気」である。彼等は戦闘においては、勝利か死か、二つに一
つしかないと云う。敵に背を見せるのは恥、向こう傷は名誉、背の傷は不名誉と
される。優勢な敵(大国の軍隊)に対しては、夜襲または峻険な地形を利用したゲ
リラ戦法を得意とする。以上の事柄を証明するために、「パシュトー語」特有の
民謡詩を3句、次ぎに示す。いずれも、女性から男性に呼びかける内容である。