7 オスマン・トルコ滅亡後のイラン、アラブ民族

イラン人は誇り高く、オスマン時代、トルコ政府に屈従することを潔しとせず、
圧政に耐え、また、ロシア、英国からは半ば植民地のように扱われた。東西貿易
が海上輸送に依存され、経済が悪くなり惨めであった。第一次大戦中は戦場とな
り混乱の極みであった。しかし、イラン人は国家の危急に立上り、「イラン国」
(1935年)を建国し、列強に対する不平等条約を一切破棄した。第二次大戦は中立
を押し通し、戦後のホメイニ革命を経て現在に至っている。 エジプト(アラブ民
族)はオスマン時代も、 マムルーク時代の軍閥が勢力を占めていたが、18世紀末
、ナポレオン軍が突然来襲し、一時占領されて以来、民族が覚醒した。フランス
と組んでエズ運河を完成させ、東西交通の要衝として隆昌を図ったが、スエズ運
河会社は英国に買収され、その植民地化に屈した。第一次大戦では英国の保護国
となり、戦後、独立運動を起こして「エジプト王国」を樹立したが、英国の干渉
から逃れられなかった。 アラビアではオスマン時代から遊牧民を中心とするア
ラビア民族意識が高まり、18世紀、ワッハープがイスラム教の改宗運動を起こし
た。今の「原理主義運動」のさきがけであった。オスマン政府の支配権は、それ
程およばなかったが、代わりに英国、ドイツが介入し、国内は混乱した。第一次
大戦ではオスマン帝国に対し反乱を起こした。英国人ローレンスがアラビア人を
指揮して活躍したのはこの時である。第一次大戦後、「サウジアラビア王国」(1
932年)を建国、近代化政策を推進し始めた。油田が開発され、米国の石油会社に
掘削権を与え、その収入により、経済繁栄するようになった。イラクは第一次大
戦後、イギリスの委任統治領となったが、活発な反英運動を展開、「イラク王国
」(1930年)が独立した。けれども豊富な油田地帯なので、英国の干渉は第二次大
戦後も続き、国内派閥勢力が対立した。イラク内にはクルド族(イラン系)が多数
居住し、それをめぐりイラン、イラク戦争が起こり、また、隣国クエートへ侵攻
し、湾岸戦争が起り敗れた。アラブ人の心には民族意識、国家意識、イスラム意
識が混在し、近隣および西欧諸国に対する反感が今も残っている。第一次大戦終
了時、シリア、レバノンには前からフランスが介入していた。それで、この二国
はフランスの委任統治領となったが二つの共和国として自治が認められたのは第
二次大戦後(1946年)であった。パレスチナ、ヨルダンは第一次大戦後、英国の委
任統治領となった。アラブ人とユダヤ人が混在し対立抗争が激しくなった。第二
次大戦後(1948年)、委任統治が終了するや、ヨルダンは独立したが、パレスチナ
では、ユダヤ人がイスラエル共和国を建国した。アラブ5国(ヨルダン、レバノン
、シリア、イラク、エジプト)はこれに反対し、パレスチナ戦争が始まった。 パ
レスチナのアラブ人はアラブ諸国に避難して「パレスチナ難民」となり、「パレ
スチナ、ゲリラ」発生の引き金となった。さらに、米ソの対立が加わり、問題は
深刻化し、国連調停も役立たず、 ソ連崩壊後、和平の兆しが 見えているものの
、延々と「紛争の火種」がくすぶっている。

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