友人から 「NYKのS級は私も乗組んだが、スマートで使い勝手の良い船だった」 という意見がありました。
私も同感で、前のA級もよいカタチだったが一段と進歩したS級の出現に感動した昔のことを思出しました。
そこで今回はNYKの戦後のA級とS級を図示します。 これらは戦災からの復興として、戦前のA級、S級に相当する船だが、当然その間の技術発達、たとえば溶接の採用、デイゼル主機の進化等があります。
A級は三島型、S級は平甲板型。 造船所はA級、S級ともに三菱横浜建造と三菱長崎建造があり、細部は横浜と長崎で異なっています。 A級の主機は横浜ではMANデイゼル1基、長崎はMSデイゼル2機。 S級では、横浜はMANデイゼル1基、長崎は当時新開発のUECデイゼル1基。 船のカタチも横浜と長崎では細部が異なります。
船のカタチとしては、いずれも均整の取れた、重厚で気品あるよいカタチだと私は思います。 ハウスが船体にくらべ大きく見えるが、当時は乗組員が50名程度と多かったことがあると思います。 また大きなハウスが重厚な船のカタチの要因となっているとも思います。
友人に聞くとS級は荒天中で突っ走ると船首が青波をかぶり、上甲板陥没事故が発生したそうです。 これについて私は、船のカタチ(14)の ねばだ丸 で述べたように長船首楼にし、船首フレアを大きくするのがよいと思います。 船の長さも重要な要因といえます。
これらの船はむかし私が中学・高校生時代、造船屋になりたいと思った頃に憧れた「船のカタチ」のひとつで、よいカタチだと、今でも思います。 そのカタチを表現しようと意識しながら描きましたが、うまくいったかどうか
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描きながら、むかしの感激がよみがえり、楽しい作業でありました。
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