各位の主張 

1. 三宮一泰 [K-Senior.1565 ,1999/04/05] 2. 城野隆史 [K-Senior.1586 ,1999/04/17] 3. 三宮一泰 [K-Senior.1722 ,1999/06/28]
4. 大野道夫 [K-Senior.1747 ,1999/07/04] 5. 三宮一泰 [K-Senior.1758 ,1999/07/06] 6. 塙  友雄 [K-Senior.1776 ,1999/07/14]
7. 塙  友雄 [K-Senior.1854 ,1999/08/02] 8. 藤田  実 [K-Senior.1907 ,1999/08/19] 9. 三宮一泰 [K-Senior.1922 ,1999/08/22]

エストニア沈没事故:思うことなど

 TechnoMarine837号 に「エストニア沈没事故の最終報告書を読んで」(府立大:池田先生)が解説記事として掲載され、それに対し K-senior1565で三宮さんは報告書が純粋に技術的に解明されたものかどうか、政治的配慮が入っているのではないかと疑義を感じておられる。

 本事件については多くの議論があったことであろうが、小生は、それらを承知していないので、本当のところが何であったのかを推察する根拠に欠けている。 真実の追究という意味ではなく、この事件に関連して想起するところを5点ばかり述べてみたい。

1. No winners verdict
 かって、Capt. Woininは、 Derbyshire 号事件の Assessor's Reportを評してNo winners verdictといいましたが、それは責任者を出さない評決という意味だと思います。

 即ち Derbyshireの沈没は、 FPTのAccess hatchの閉め忘れという亡くなった船員のせいにして、操船者(船長)の責任でもなければ、建造者の責任でもない、ましてや船級協会ではない(船級協会はもともと責任は取る立場にない)ということにして、結果的に、生存者または既存の機関からは、責任者を出さない結論になっています。

 ナホトカ号事件でもロシアは浮遊物衝突説を捨てていないといいます。 こうなると責任回避のための主張で Verdictでもなんでもありませんが、責任の追求が必然的に法的処置や補償問題に繋がる状況では、よほど明確な証拠がないと、断定するのは非常に難しく、このような結果になるのもある程度はやむをえないのかも知れません。

 この事件も主因は、バウバイザーの固定部、ヒンジ部が予想以上の波浪外力によって破壊されたものであるとしています。 予想以上ということは、不可抗力であったというのと同じ事ではないでしょうか。 やはり、No winners verdictになっているように感じられます。

 海難事故、なかでも全損事故は、いろいろな要因が重なっていることが多く、生存者の話しや、当時の海象状況、交信記録、残存物などが証拠で、それも完全に揃っていることは少ない。 どうしても最も確からしい状況証拠の積重ねから類推しながら事故原因を特定して行かざるを得ないので、結論が慎重になるのも肯けるところがあります。

 我々技術者がこのような事件を考えるとき、事故の再発を防止するためにはどうしたらよいかが念頭にあります。 事故発生のシナリオ(一つとは限らない)を想定し、そのような事が起こらないための対策案を考えるのが重要で、だれかの責任を問う法的立場とは目的意識が初めから同じでないのです。

 安全性は可能性を根拠に議論できますが、法的責任論は証拠に基づく議論となるので、証拠がよほど明確なものでない限り、結論が曖昧で、時に事故報告書に違和感を覚えることがあるものと思います。 責任論のために技術論が曖昧に済まされることのないことを期待するのみです。

 このモヤモヤの解消策は、事件についていろいろな立場から研究が幅広く行われ、意見がOpenに交わされることだと考えます。 事故報告書は、上に述べたようなもろもろの事情があることでしょうから、その見識において、意見を取り上げるのも切り捨てるのもあってもよいと思います。 一方、安全論議においても同様で、政治的背景にとらわれる事なく別の議論として公正に行われる事が大切と思います。

 安全基準は国に決めていただくもの、国は間違いないので、国の決めることには口を挟むのは慎むもの、という風潮がとかく日本の風土には定着しているように思います。 必ずしも国の無誤謬性が保証されていないことは、最近の一連の社会の動きを見ても明らかで、国と企業・国民の凭れあい構造はモラルハザードの温床にさえなっていることはご承知のとおりです。

 この点から、主張の妥当性はともかく郵船の嶋田さんが、日本案として IMOに提案中の PSC関する細則案に異を唱えられたことは、歓迎すべき画期的出来事だと思います。 また、関西造船協会の特別研究として、内藤先生がナホトカ号事件を取り上げられました。 正式には、同時期に国の委員会でも検討され、立派な報告を出していますが、これと同じような事を、独自に行っています。

 別に国の委員会に楯突いたわけでもなく、純粋に技術的関心からなされたものですが、このような活動が、議論の深まりと透明性を保障する一例のように思います。

2. バウバイザー崩壊のメカニズムと波浪外力
 バウバイザーのヒンジの強度不足という指摘がありましたが、何をもって不足というのか、いくらの強度があればよいのか検討した上でのことでしょうか。 波浪が打ちつけたときの荷重は、バウバイザーを支持する周辺構造全体で受け持つので、ピンで持つものではないように思うのですが。

 ピンは跳ね上げるときのバウバイザーの重量を支持するものと思っていました。 バウバイザーおよび支持構造が柔であったため波浪外力がピンに集中的に片掛かりしてしまったのかもしれません。 この辺のことが報告書から分かれば、設計者にとって有用な情報になると思います。

 次に波浪外力についてですが、「予想以上」の波浪とする判断基準が最終報告書に書いてあれば明確なのですが、何となく予想以上ということで片づけられているのではないかと気になります。 波高何メートル以上が予想以上といえるのか、厳密には波と船首船体の相対速度が幾ら以上が予想外に当たるのか、青波をどのくらいかぶると予想以上というのか、何かがなければならないと思います。

 Hull girder を対象として波浪外力を線形的に扱うことはなされてきましたが、船首に作用する衝撃的な波浪荷重を定量的に扱うには至っていないのではないでしょうか。 非線形理論の実用化が必要になりますが、実用化とは一例が計算できたというだけではすまないので、一般化し、船体形状や速力との関係、流体力と構造の弾性応答の相互影響(外力の決め方)、許容応力の決め方、船首形状の決め方までが視野に入っていなければなりません。

 流体から構造までが研究対象になっていないと、設計には使えません。どの程度設計へ導入できるところまで研究が進んでいるのか、小生不勉強で、不案内です。 どなたか解説していただければありがたいのですが。

3. 2次災害
 バウバイザーが波浪外力によって崩壊したことが一時災害とすると、浸水した海水が車両甲板に溜まって遊動水となって船を沈没させるに至ったことは、 1次災害の結果発生した二次災害と見なすことができます。

 1次災害が発生しても、監視装置、警報装置、排水装置、操舵装置によって、避航・排水を適切に行うことができれば、2次災害は防止できる可能性は高くなります。 一般的にいって、安全規制はどのレベルまでを対象にするものなのでしょうか。

 たとえば、Freeboard ruleでは、構造のintegrityの保たれているTanker(type A)とそれ以外(Type B)に分けて、 それぞれに表定乾玄を与えています(もちろんType Aの方が乾玄値は小さい)。 そして、Type B Shipであっても2区画浸水に耐えられれば、AとBの差の100% (Type Aと同じ表定乾玄)、1区画浸水に耐えられれば、AとBの差の60%乾玄値を減ずることができます。

 ここで浸水に耐えるとは、それ以上浸水が継続して起こらない(GMが正で開口部が静的状態で水線以下に沈まない)ことを意味し、その状態での強度的条件は問ておりません。 もし、荒海上で船体中央部の2区画に浸水し、 船体前後の浮力だけで浮いているよう..な状態を想定すれば、かなり強度的にも riskyではないでしょうか。

 また、このような状態では大抵船体は大傾斜しているのでDeckは波をかぶりやすく、青波はHatch coverを直撃し、損傷区画以外のholdもHatchから浸水するのではないでしょうか。  このように、区画が浸水してもそれによって惹起される2次災害は考慮に入っていないと考えられます。

 それともこのような事故は、平水中でしか起こらないと想定しているのでしょうか。 しかし、LNG船では貨物タンクがCrackを生じLeak(1次災害)を起こしても、修理の対策が取れるある一定期間(規則では3週間)は大破壊には至らないことを設計条件としています。  この一定期間内に2次災害に至らしめないことがルール化されています。

 要は、ある事故・損傷の発生が連鎖反応を引き起こし船を転覆・沈没に至らしめる可能性のある場合、どこかで連鎖を断ち切らねばなりません。 車両甲板のFree water effect低減対策を強引にルール化しようとする動きのあることを、 解説記事にありましたが、自由水影響を制限する構造配置にすることは、設計上は大変な影響が出ます。 連鎖のつながりをそこにいたるまでに止めることができれば、そんな無理をすることはないわけですが、止められなければルール化も避けられません。

 船をどのていどfool proofにするのか、操船者の能力や、設備的能力を.どの程度期待するのか、安全のレベルにはいろいろな考え方が取れるわけで、どのような議論があったのか興味のあるところです。

 この点から見ると、満載喫水線規定(ILLC)は、低乾玄に歯止めをかけるという意味では、十分実際的効果はあると思いますが、厳密性に欠ける嫌いがあるので、Derbyshire 事件に関連してILLCの見直しが話題に上がっていましたが、SOLASとの統合を考えるくらいの気構えでないと、手出しできないようにおもいます。

4. 操船者の判断
 予想以上の波に遭遇したということですが、操船者がどの程度までの波ならば大丈夫と予想していたのかも問題であると思います。 船乗りは揺れに強いので、Pantingのような衝撃力や振動が発生するまでは、 船が揺れても平気で突っ込む。 事故にあった経験のある操船者でないと限界を見出すことは、かなり困難なのではないでしょうか。

 たとえば、高速船は速力性能上の理由から船体重量が強く制限されるため、構造強度上波高やBeaufort scaleで航行を制限されることがあります。 しかしこれを実際に見分けるのは困難なのでしょう、時に損傷を起こします。 逆に無事に運航できているのも操船者の判断よろしきを得てのことでもあるでしょう。

 船の安全性を構造・配置・設備だけで担保するのは非現実的でしょう。 操船者の判断によるところが非常に大きいのですが、操船者の判断は同時に経済性によっても影響を受けます。 避航の重要性を考えると、避航基準を明確にすることは大変重要な課題であると思います。

 操船者判断に客観性を持たせるためには、波浪、船体運動、船体応力のmonitoring装置の必要性は高いと思います。 Technomarine1999年3月号の巻頭随想で伏見彬氏が 「船長と設計者の知識融合による未来」を提唱されているのには同感します。

5. 安全規則は強化すべき
 社会主義国では規則は国が作るもので人民は従うものと相場が決まっているように思います。 自由市場経済では、原則何でもあり。 ただしそれで被害が出れば、加害者の責任を簡単に問うことができる。 製造者責任(PL)というのは、独占禁止法と対をなす競争政策上の規則ですが、国が規則を決める場合は、製造者責任というのはごく限定されたものになるし、国相手に訴えるのは原告側に大変な苦労が必要で、いろいろな公害裁判の例にも見られる通りです。

 日本は自由主義経済圏にあるとは言いながら、実態は社会主義国で、縦割り行政のもと業界毎に何から何まで規制され、規制が許認可権となり、業者は規制によって保護され、それを既得権として参入障壁を形成する。 その結果、高コスト体制が出来上がってしまい、身動きできない状態になっているのは、皆さんのご承知の通りです。

 そこで事前規制より結果責任という考え方が最近強く前面に出てきたのだと思いますが、高度に国際商品である船舶の場合にはどうなのでしょうか。 規則(安全に関する規制のみを考慮の対象とする)レベルはどうあるべきなのでしょうか。

 規則なしならば、船舶を買ったり、保険をかけたりする人は困るでしょう。 生まれながらにしてSubstandardの船が続出するに違いありません。  規則をさらに強化したらどうなるのでしょう。 単に船価が上がるだけか、設計力に格差がつけられるか。 近年新規則を導入する場合、安全性と経済性の両方から規則化の妥当性を評価するような考え方が、 IMOで議論されているように聞いたことがあります。

 船舶の安全性レベルのあり方について一般論を展開したような研究があれば、面白いのですが、どなたかご紹介していただけませんか。

 安全規則が与えられると、コストの関係から製品の安全性はそのレベルに張り付いてしまいます。 そして規則によほどの不備がない限り、その安全レベルを超えた事象による事故は不可抗力とみなされ、PLも適用されない可能性が大きいことになります。 規則は、往々にして現実的な妥協線を示すもので、必ずしも不可抗力かどうかの判断基準とは一致しないのではないでしょうか。

 これまで、日本の造船業界は船価を押し上げるという理由で、 IMOの場でも何かと規則強化には反対することが多かったようですが、輸送費が商品・製品コストに与える影響の小さくなった今、船舶の安全性向上にもっと積極的になってもよいと考えます。 多数の人命を失うような事故を無駄にするわけにはゆきません。

 避けるべきは、規則と許認可権とをセットにして新規参入障壁を形成することです。 規則は厳しくする。 しかし事業参入は自由。 ただし、厳しい規則に満足できず事故を生じれば、直ちに製造者責任を問うという体制であるべきです。
 安全規則は甘く、業界コントロールは厳しいというのは逆です。 大手・中手・小手と分かれて業界を形成し、その中で甘い規則の下で凭れ合う構図はもうおしまいにすべきでしょう。

 欧米は、規則強化によって差別化を図ろうとしているようです。 こういう理念を背景にして積極的に国際社会をリードする志を持つことが本当の意味での造船業の活性化につながるのではないでしょうか。 造船学会で唱える先進安全船にしても単なる技術論を超えた哲学で武装できれば、おおいに勢いづくのではないでしょうか。 SRやRRにも活気が出るのではないでしょうか。 造船所の現状は、こういうincentiveがない限り技術による差別化はPayしない状況に追いこまれていると思います.

3.三宮一泰さんの主張へ